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「食料自給率100%」の日本を変えたアメリカの食料戦略
日本の食料自給率が低下してきたのは、アメリカの食料戦略の結果という面が大きい。第二次大戦後、食料難に苦しむ日本では、アメリカ産の農産物に対する強いニーズがあった。一方のアメリカでは、戦後、食料供給が過剰となり、余剰作物に悩んでいた。そのため、日本がアメリカの余剰在庫のはけ口として使われたのである。
戦後早い段階で、大豆、飼料用トウモロコシについては、実質的に関税撤廃がなされた。また、小麦については、輸入割当制といって、輸入数量の上限を設ける制度が、形式上残ってはいたが、実際には大量の輸入を受け入れていた。そうした品目では、輸入の急増により、国内生産が加速度的に減少することになる。
小麦、大豆、飼料用トウモロコシの輸入依存度が、それぞれ86パーセント、94パーセント、100パーセントにも達しているのは、こうした経緯によって、貿易自由化が行われたことが理由である。
伝統的な日本社会では、食料は100パーセント自給できていた。そもそも「鎖国」が成り立っていたのは、食料を自給できていたからである。作家の石川英輔氏の説によると、江戸時代の日本は、生活に使う物資やエネルギーのほぼすべてを植物資源でまかなっていたという。
鎖国政策によって、資源の輸出入がなかったため、日本ではさまざまな工夫により、再生可能な植物資源を活用する独自の循環型社会を築き上げた。植物は太陽エネルギーとCO2、土、水があれば成長する。その意味で、江戸時代の日本社会は太陽エネルギーに支えられていたとも言える。
この江戸時代の物質循環の仕組みは、当時日本を訪れたヨーロッパ人を驚嘆させたという。リービッヒ(1803‐1873)は植物の生育に関する窒素・リン酸・カリウムの三要素説、リービッヒの最小律などを提唱し、化学肥料を生み出したことで、「農芸化学の父」とも呼ばれている。
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YAHOO(MINKABU) 3/17(金) 9:10
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