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昭和天皇とバチカン和平斡旋工作 OSS主導の「ドノヴァン工作」
戦争末期の状況を考えれば、和平斡旋には間違いなくバチカンがベストな選択だった。
むしろバチカンしかなかったのではないだろうか。
昭和天皇と同じようにバチカンを見ていた米国人がいた。
中央情報局(CIA)の前身組織である戦略事務局(OSS)長官であったウィリアム・J・ドノヴァンである。
頃合を見計らって、東京に和平案を持ち込む糸口をつかめ。日本の降伏について協議するのだ。
結局、そのような工作が可能な場所は、バチカンなどごく限られた場所しかない。
このドノヴァンの指令によって和平斡旋工作が始まる。
ドノヴァン工作の実行者だったマーティン・S・ギグリーが直接接触したのは、ローマ法王庁国務省外務局
(元駐米ローマ法王庁使節館参事官)のモンセニョール・エジディオ・ヴァニヨッチ司教だけであった。
ギグリーの接触を受けたヴァニヨッチ司教を中心に、バチカン駐在日本使節教務顧問のベネディクト富沢(富沢孝彦)神父
原田健公使(プロテスタント、妻はカトリック)、金山政英参事官(カトリック)の四名が集まり
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話し合いが行われた。