22/04/11 18:43:11.86 nH0WBKci0.net
マニラ大虐殺(マニラだいぎゃくさつ)は、マニラの戦い (1945年)において発生した虐殺事件。民間人の推定死亡者は約10万人。
戦後、マニラ軍事裁判において山下奉文が、極東国際軍事裁判において武藤章が責任を問われ有罪となった。
赤子を抱えた母親たちは命乞いをしたが、海軍兵士らは銃剣で赤子を突き刺し、地面に叩きつけた。そして女性たちの髪を掴み、強姦し始めた。
20人を超す海軍兵士たちが13歳に満たない外見の少女を輪姦した上、少女の乳房を切り取り、そのうちの一人が自分の胸に
切り取った乳房を押し当てて女の真似をし、他の兵士たちはそれを囃し立てた。
海軍兵士たちは他複数名の女性も強姦した挙句、髪にガソリンを撒いて焼いた。
また、同じ現場ではロペスの使用人の一人 Bernardino Calub も当時2歳の息子を竹槍で突き殺され、下手人に仕返ししようとして
袋叩きにされた挙句連行されたロペス邸跡のガレージの柱に縛り付けられ、性器を切断されて口内に突っ込まれた。