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虎ノ門事件
虎ノ門事件(とらのもんじけん)は、1923年(大正12年)12月27日、日本の東京市麹町区[1]虎ノ門外において、皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた暗殺未遂事件である
難波大助の父で衆議院議員の難波作之進(庚申倶楽部所属)は事件の報を受けるや直ちに辞表を提出し、
閉門の様式に従って自宅の門を青竹で結び家の一室に蟄居し、食事も充分に摂らなかった。
作之進は1925年(大正14年)5月に死亡した[8]。大助の長兄(正太郎)は勤めていた鉱業会社を退職し、
家族以下蟄居生活を続けた[8]。
難波作之進の死により、選挙地盤は松岡洋右が引き継ぐこととなり、さらに戦後は岸信介や佐藤栄作という大物保守系政治家に引き継がれ、昭和史を動かす遠因となった。