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二・二六事件の第一目的は、東北の飢饉と世界恐慌による身売りや家族心中が横行したこと、それと満州への戦線拡大、外地(朝鮮・台湾)等への過剰な国費投入
を推し進めた統制派の辻、東條、永田を更迭(又は暗殺)して戦争を回避することだった。
皇道派青年将校の目的は陸軍、海軍、憲兵にも共感するものが多くいたし近衛兵も 参加しているが、当初から軍事クーデターとして成立してない。
当事者である青年将校が政治機構を掌握する意志を放棄していたからだ。
武力で奪取した明治維新に倣い国家最高権威の奪取を軍事目標としてれば 軍事クーデターとして成立したが、本人達には全くクーデターの自覚がなかった。
(皇道派の意図は内政第一で戦争の回避)
「蹶起の第一の理由は、第一師団の満洲移駐、第二は当時陸軍の中央幕僚た ちが考えていた北支那への侵略だ。これは当然戦争になる。もとより生還は
期し難い。とりわけ彼らは勇敢かつ有能な第一線の指揮官なのだ。大部分は 戦死してしまうだろう。だから満洲移駐の前に元凶を斃す。そして北支那へ
は絶対手をつけさせない。今は外国と事を構える時期ではない。国政を改革 し、国民生活の安定を図る。これが彼らの蹶起の動機であった」と菅波三郎 は断定している。
「皇道派の中国での戦争反対姿勢」
1935年12月ごろ、ある青年将校は山口大尉に「我々第一師団は来年の三月
には北満へ派遣されるんです。防波堤の我々が東京を空にしたら、侵略派の
連中が何を仕出かすか知れたものじゃありません。内閣がこう弱体では統制
派の思う壷にまた戦争です。我々は今戦争しちゃ駄目だというんです」と述べている。