21/09/21 21:37:56.39 HP5H4ErL0.net
>>1
事件当時、日本側の公式発表では爆破行為は中国側によるものとされ、東京裁判でも否定されていません。
どうして中国側は反論していないのだろうか。
その後1956年か1955年になってから、花谷正 氏の証言として月刊誌『知性』河出書房に発表されて全てがひっくり返った。
この時、関係者の多くがすでに死去しており、実際の執筆者である秦郁彦 氏(当時20歳代)の名前は伏せられた。
閔妃暗殺事件もそうだが、当時否定されたものを当事者達が亡くなった後に歴史が塗り替えられるのは疑問だ