21/09/16 14:21:45.83 Kr2e0lXQ0.net
>>804
オウフ、すごいですね。伝承でもそうなっています。
孝霊天皇が出雲に攻め込んで、その隙をつかれて物部が和歌山から攻め込み、結局孝霊天皇はヤマトに帰れなくなります。これが吉備国
出雲との小競り合いの際に、孝霊ことフトニ王が青銅器の材料を出雲に要求
それまで出雲とヤマトの交易ですが、砂鉄と青銅器を交換していたらしく、フトニは出雲に青銅のインゴットや余っている銅剣があることを知っていたからと伝わります。
東西出雲王家は集まり、一部しか青銅器を渡さないことにしたそうです。
元々、向家の分の青銅器には×の印がありました。因みに向家系のタテミナカタの御柱ですが、昔は柱に×印がいくつも刻まれていて、同じ意味とされています。
現在でも川上村辺りの諏訪神社には御柱に×を刻む習慣が残っています。
神門臣家の青銅器をフトニに渡し、向家の分は埋葬して隠したというのがあの遺跡らしいですね。
吉備国は手に入れた青銅で新型の銅剣を作り、各地の豪族に配りました。
現在ではその銅剣は平型銅剣にあたるとされ、ヤマトと九州を瀬戸内海で分断するように出土地域が分布しています
第三勢力の出現により、東征軍は出雲側と瀬戸内海側に分かれて戦う事になり、吉備国との戦いの最中に豊玉姫が安芸の国あたりで没したとあります。