【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [み� at NEWSPLUS
【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [み� - 暇つぶし2ch400:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:09:17.72 Kr2e0lXQ0.net
>>378
そういやイチローも在日だという噂が流れましたね
ホント度し難いw
そのうち二刀流のあの選手も在日という噂が流れるでしょう

401:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:09:31.10 Tyen72He0.net
>>324
武振熊って天足彦国押人命の子孫なんだよね。
で天足彦国押人命ってだれやというと、尾張の祖の瀛津世襲の妹世襲足媛孝昭天皇の子であり、
るまり、孝安天皇の「兄」なわけだ。
孝昭が尾張一族に婿入して、長男があとを継ぎ、次男が後の天皇家に繋がるわけだ。
で、尾張一族とはなんぞやというと、丹後の海部、尾張の尾張氏の一族であり、
アマテラスの子、天火明命を始祖とする一族だ。
ニニギノミコトの兄とも伝わる。
この時代はまだ天皇家は絶対的な大王にはなっていない。
分家した孝安の子孫がその後権力を握るように成るが、
この尾張一族とは長らく婚姻関係を結んでいる。
まるで、この一族から嫁をもらうことが必然のように。
別の氏族の母をもつと政権争いが起きる。
垂仁の狭穂姫が指示した日葉酢媛招聘。
尾張(丹波と尾張)と近江(息長)が合体した時、やっと平穏が訪れる。

402:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:14:50.71 Kr2e0lXQ0.net
>>380
尾張氏や海部氏が初代神武朝なんですよ。
スサノヲ→アメノホアカリニギハヤヒの息子、五十猛(天カゴヤマ)が、腹違いの妹と結婚して村雲が生まれた。
その系譜は向家の分家から三代に渡って嫁さんを貰った。
磯城登美家が、向井家の分家。
実は向家は富家(トミケ、トビケ)ともいわれる。

だから海部家は、家系図と、かんちゅう図を分けて保管していた

403:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:18:10.26 eJXvYOJA0.net
何でチョンゴキは日本に絡みたがるのかな。
大日本帝国に半島が併合されるまでは全く別の国なんだから
先祖だって無関係でいいじゃない?

404:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:20:17.82 Kr2e0lXQ0.net
アメノホアカリニギハヤヒは二度目の来日の際に九州に落ち着く
その際にイチキシマヒメを娶り、物部氏に
その娘穂屋姫とカゴヤマが結婚した。
ヤマトと九州は親戚の家だった。
当然、腹違いの兄妹だから、お互いにそのことを認識してたはずだよ、両家はね
彼らが持ってきたとされる構造船の遺物の出土は九州だけじゃなく、近畿でも出土する。
これが海人文化になった。安曇と海部は親戚だよ。
故に、日本のお舟祭りには、道祖神系と海人系の二つの流れが存在�


405:キる。



406:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:21:43.57 Kr2e0lXQ0.net
筑紫の国は、昔は築秦国といってね、大陸系をうかがわせる国名だった

407:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:22:35.44 tthCjWxc0.net
>>375
そうですね。
大陸でアニミズムが道教に発展し、さらに儒教や仏教や、おそらく景教なども飲み込みながら発展を続け、
日本でも、仏教伝来の時点で、後に神道と呼ぶことになる世界観や習慣には、そうとう道教が溶け込んでいた。
中国でも日本でも、仏教は完成されたテキストとして伝来するんですよね。
そのインパクトで「仏教以外の何か」「仏教伝来以前からあった何か」が顕わになったような過程があるんじゃないですかね。

408:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:27:07.40 UfSzwwBO0.net
>>385
渡来物はすでに縄文時代に形成されていた日本独自のアニミズム神体系に乗っかっただけだからだよ

409:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:27:58.73 0maeDI/B0.net
>>373
あと感じるのは日本は宗教戦争をした形跡が蘇我VS物部くらいしか見られないこともマニ教の影響を感じさせる部分なんだよね。
マニ教って「お互いの信仰の違いで争うことはやりません(そこはお互い勝手にしましょう)」というスタンスの珍しい宗教だったそうなので、
小さい平野が山で区切られて連なっている日本列島の風土に非常にマッチしたと考えられるのよね。
本体地域ごとの文化の差が激しくて北と南では言葉すら通じないような国がどうして文化的にまとまっていったのか?
この道教的文化を広めて行ったのがマニ教徒だったからなのでは?と考察している。
マニ教の教えに従い行く先々で信仰の違い、文化の違いで揉めることをしなかった。

410:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:28:20.15 tthCjWxc0.net
>>386
日本独自のアニミズム神体系とは、具体的には何です?

411:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:31:22.32 k6t1TMYC0.net
>>1
朝鮮半島の属国だったからな

412:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:32:46.03 Kr2e0lXQ0.net
>>383
自己レス
つまり、記紀の編纂からすると
物部氏の存在、海部氏や尾張氏の存在は絶対的秘密だったわけです。
故に、村雲は剣を神格化した神様的な誤魔化し方をしてて、村雲=神武という物証になるような書物は一切存在していないはずです。
東征を計画し朝貢をしたイニエ王も、イニエ王の息子イクメと、腹違いの妹トヨ姫+トヨ彦の事も同様。トヨ鍬入姫、入彦に変えられています。
全て、日本の複数のとんでもなく古い旧家の伝承の中にしか鍵がないのです。
証拠がないゆえに、こういう話は永遠にファンタジーとなるのです。
しかし、日本の歴史の層の厚みは、朝鮮など日本の足元にも及ばない事だけは確かに言えるでしょう。

413:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:33:09.39 tthCjWxc0.net
>>387
マニ教は道教をも飲み込んでいるというか、似た面が多々ありますね。
しかし、マニ教の成立以前にはマニ教とが日本に来ないわけで、日本において銅鏡が紀元前の地層から出ることが説明できない。

414:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:36:31.67 UfSzwwBO0.net
>>388
イザナミ神話に見られる大地母神信仰や
巨岩や山体を神とする自然信仰とか
諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと

415:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:37:36.20 pZUriTQl0.net
国譲り神話は元々出雲の中の話
東部と西部の覇権
それをヤマトが借用
なので国造は西部の出雲大社に
行きたがらなかった
という説がしっくりする

416:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:37:43.90 mlovwCy40.net
昔も都内中心だったとか言い出すのか??

417:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:38:21.36 UKRc+UlV0.net
>>389
そうニダか
神文在寅天皇は勝ちそうニダか

418:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:42:14.73 Kr2e0lXQ0.net
>>389
前方後円墳がある段階で悲しいプロパガンダにしか聞こえませんが?ww
それも、前方後円墳を世界遺産に申請してたんですって?www
すごいですね~朝鮮人はwwww

419:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:45:11.53 PV14dksF0.net
朝日が書くと国譲りも「出雲侵略」になるんだな。

420:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:45:49.81 k6t1TMYC0.net
>>395
>>396
朝鮮半島には倭人が住んでたんだからね、追われて日本列島へ来たのが弥生人だから
倭人→ワイ族とよばれてるのはそれだ

421:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:46:27.16 Kr2e0lXQ0.net
>>393
出雲と大和を同時にブチ倒すのが東征の計画だったんですが、
当然、本来の国造候補は、物部十千根(現在の秋上氏)のはずだったんです
何と、千家は家族ごと大和まで押しかけていって、イクメ王に抗議
向家の野見宿祢は自分の家の親戚だと嘘をついて、出雲をまとめるには我々でないと無理だと押し切って、国造職になったそうですw
徐福の子分が徐福の家系に反抗して国造職に就いたというのが実際の処
だから、千家と秋上氏は現在でもあんまり仲が良くない。
それどころか、過去に千家は秋上家の人間を殺害までしています。

422:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:49:03.31 Kr2e0lXQ0.net
>>398
どうやったら六世紀以降の前方後円墳しかない地域がそれより古い古墳がある地域を属国に出来るのかww
大陸の属国が長いと、自分より下の地位の物をでっち上げでもしない限り、惨め過ぎて精神の平衡が保てなくなるのか?

423:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:50:00.42 k6t1TMYC0.net
>>400
だから、倭人が朝鮮半島に住んでたのは事実で、南部は倭人の支配下だったの

424:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:51:35.23 tthCjWxc0.net
>>392
>大地母神信仰
道教の后土(地母神)
>巨岩や山体を神とする自然信仰
奇岩や巨木や山岳そのものを神体とするのも道教の基本
>諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
巨木の柱をとおして人が天に昇る、あるいは神が地上に降りるとの世界観も、
山海経に現れ、遺跡にも、現代に引き継がれる柱を立てる祭りにも表れます
>縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと
ヘビ信仰は道教の核心です
一つひとつ検討していくと、道教と神道には共通点が多すぎる。
人類が共通に持つモチーフの表れかもしれず、道教が文字伝来以前の日本に渡ったのかは、区別がつきませんが、
日本独自ではないですね。

425:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:54:44.92 Kr2e0lXQ0.net
>>402
出雲伝承によれば、最初の東征の際に銅鐸のヤマトに銅鏡が持ち込まれ宗教戦争が起きて、物部が銅鐸を壊して回ったのだそうです
しかたなく手打ちとして三輪山祭祀に銅鏡が採用されるようになったそうです。
国産の銅鏡が作られ始める前は全て輸入でしたので、九州側は大陸に近いから銅鏡祭祀だったようですね。
伝承でも既存宗教と道教の統合が証言されています

426:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 03:59:50.73 Kr2e0lXQ0.net
>>398
濊族は、名前の通りばっちい人という意味になるのだろう
朝鮮半島「北部」の分布で倭人とは全く関係がない
残念でしたね、現代版濊人さんwww

427:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:00:20.49 7CbzzNzS0.net
>>45
言い返さないと気が済まないシナw

428:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:04:18.35 k6t1TMYC0.net
>>404
知ったか(笑)

429:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:11:12.70 Kr2e0lXQ0.net
>>402
出雲族は、龍蛇とも言われていて、ナーガ信仰は、もともと住んでたインド地方の宗教だったはずですよ。
大陸の道教って基本は星見ではありませんでした?

430:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:11:38.90 Kr2e0lXQ0.net
>>406

URLリンク(ja.wikipedia.org)
思いっきり地図にも倭と濊が別の配置にww
濊だった絵便器だったり大変ですな、朝鮮半島はw

431:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:13:41.79 tthCjWxc0.net
日本書紀でも、崇神天皇の時代に疫病の原因が、大国主の御霊の怒りとされ、
崇神は、大国主の子孫を探し出して大国主を祀らせている。
それだけではなく、宮中に大国主とともに祀られていた天照大神を外に出す判断までしている。
朝廷による出雲神へのうしろめたさと解釈するのは何か変だ。
単純に出雲神が朝廷や皇室の祖より格上だとの認識ではないかな。
実権は朝廷の人々にあるが、権威はあくまで出雲神にあるという。

432:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:13:45.93 QcUkZYUo0.net
朝鮮人自身が作った広開土王の碑に記述が残っているのにな。
倭が海を渡ってやってきて、百済と新羅を破って臣民としたと。
なんで百済が日本を征服したみたいな考えが出てくるのか不思議。

433:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:13:54.27 vPHpeeTT0.net
>>2
>朝日の記事ってまんま朝鮮みたい
そりゃあ 朝鮮日報 略してるからだろ しかも先に朝

434:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:16:03.37 nxKEjkSV0.net
>>410
百済を臣民にしたとは書いてないはず
新羅の方だな

435:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:16:16.00 tthCjWxc0.net
>>407
ヘビや龍を信仰しない民族の方が少ないくらいで。
道教もヘビですよ。世界を描くときの必須モチーフです。
キリスト教の重要モチーフでもありますね。

436:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:19:14.50 vPHpeeTT0.net
>>1
> ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。
奥歯に挟まるのか すげーな 自らか
そりゃあ違和感だのもどかしさもあろうな
おれはてっきり 物が挟まるのかと思ってたわ

437:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:23:22.05 epVLmGkI0.net
話がズレるけど、当時の人物って「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」
とか「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」とか仰々しい名前ばかりだけど
少なくとも執筆当時は現実世界でもそんな仰々しい名前が結構つけられて
居たのか、それとも、太郎とか一郎とか花子とか今でも通じるような
名前ばかりだったのか知りたい

438:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:23:44.93 Kr2e0lXQ0.net
>>413
大変参考になりました。有り難うございます。

439:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:27:47.41 Th8jk5870.net
今の朝鮮人とか7、8世紀頃中国から南下してきた少数山岳民族じゃん
山から山に移動し続け半島に土着して原住民と混血
さらに満州族や漢族、モンゴル人の支配を受けたハイブリッド
日本の歴史に介入する隙など無い

440:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:32:40.85 Kr2e0lXQ0.net
>>415
全然違う名前だったみたいですよ
村雲=神武=磐余彦
沼川耳=綏靖(ここから多氏が発生し太安万侶に)
玉手看=安寧
木花咲耶姫は、現在も九州で地名が残るアタツ姫。でもこれすら本名ではないと思われます。津がつくと地方名になる事が多いんじゃないかと

441:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:35:22.10 tthCjWxc0.net
>>415
俺も知りたいところです。
漢字を知らずしては思いつけない名前と、
音としてありな人名だと感じる名前とが混在しているんですよね。
イザナミ、イザナギ
スサノオ
ニニギ
山幸彦=ホオリ
神武天皇=彦ホホデミ命=ホホデミ
崇神天皇=ミマキ入彦命=ミマキ
継体天皇=ヲホド
ここらへんは、音で伝わる人名だと感じるのですが、
木花咲耶や天照大神は、おっしゃる通り仰々しく呼びにくい。
しかも漢字の意味が先にないと思いつけない名であるのが不思議です。

442:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:38:42.70 F0rBLmZW0.net
朝日新聞『つまり韓国は兄で中華人民共和国は父だと言うことです。平伏せ愚民ども』

443:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:39:13.68 7yOYZAYv0.net
東北が狙われたのは
出雲先住民がいたから
アラハバキはムーの神様でもあったらしい

444:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:39:26.39 Anu/nhy70.net
日本も歴史を捏造してきたもんな

445:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:41:32.21 7yOYZAYv0.net
これだけ朝鮮が嫌われる理由は
ヤタガラスが裏切者だから

446:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:44:32.98 7yOYZAYv0.net
長州と天皇家はずっと日本人を殺し続けてきたからね
し戦争や原爆 311やコロナにもたぶん関わってるよね

447:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:46:11.28 Kr2e0lXQ0.net
>>419
イザナギ、イザナミに関しては、神魂神社が最初に祭ったとされています。
物部王朝が3代の短命で終わったため、出雲の物部氏は後ろ盾を失い、気まずくなってきていました。
更に子分の千家が物部家を圧迫するようになってきており、東出雲王宮のあった建物を向家に返還することを申し出たそうです
向家はその申し出を断り、物部家と和解し、手を取り合って生きる道を選んだそうです。
その際に、物部家のフツを、ちょっと離れた場所に移し、本来の幸の神を戻しました。
クナトの大神と幸姫をイザナギ、イザナミに変えたそうです。
フツの神様は、現在では剣神社と名前が付いていて、和解を示すかのように、千木の半分が物部の横削ぎ。半分が出雲の縦削ぎになっています。
この神社は現存しています。私も参拝してきました。
神さびた、というにふさわしい小さな神社です。
向家側は、美穂神社の本殿の片方を横削ぎ、もう片方を縦削ぎにして和解の印としたそうです。
向家は奥出雲の熊野大社の社家になりました。
そこから近くの天宮山に歴代の当主を埋め、崇めてきたとされます。
出雲においてはスサノオは全く関係のない神様だったので、素戔嗚が居る神社は千家の息がかかった神社になるので直ぐにわかります
今では熊野大社まで千家に乗っ取られており、秋上氏の上位にあたる神事を牛耳られています。
千家は絶対に熊野大社の宮司職を手放すことはないでしょう。
宮司職の引継ぎに必要な神社ですからね。
そのうち、神魂神社も手中に入れたいと考えているはずです。

448:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:47:43.63 tthCjWxc0.net
>>1
前提が間違っているから、古事記や日本書紀の具体的記述がおかしく感じる。
>中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、
読めば、古事記も日本書紀も、編纂者には皇室の正統性を知らしめる気がないことがわかる。
すると、出雲の記述もおかしくは感じない。
出雲は力で大和に征服されたが、権威は大和より格上とされたことがつづられているだけとわかる。

449:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:50:12.30 Kr2e0lXQ0.net
>>423
実は八咫烏は加茂氏です。
朝鮮人ではありません。
何しろ昔は相続とか親族同士の家督争いが凄かったので、ヤマトに大王が不在になる時期が多かったのです。
実質、初代神武朝の副王だった加茂氏が、もうダメじゃと、熊野に入り込んできた物部氏を引き入れてヤマトに安定をもたらしたと言われています。
その際に、三輪山祭祀に物部の道教を融合させたそうです。

450:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:50:22.07 Mvd6Vi030.net
アマテラスは馬韓出身だって爺


451:ちゃんが言ってた



452:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:55:06.58 yjzjiLhQ0.net
出雲ってのは地名じゃなくて雲がいずる場所ってこと。
目に見えない霊界(天)から目に見える物質界(地)になる境に雲が湧く。

453:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:55:39.58 Kr2e0lXQ0.net
八咫烏(加茂タテツノミ)の次の代の分家が太田氏で、三輪山祭祀の家系でした。
ちょうど、神武朝8代の時の人物です。
その時の卑弥呼が魏書に書かれました。太田氏のお姉さんが卑弥呼(ちょっと御歳の方だったらしい)
結婚してないと書かれている方の卑弥呼さんです
メモ書きから書き起こされた魏書の昔の部分は、まとめられた時期が違ってるので、距離の書き方が異なるのはそのためと言われていますね。

454:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:57:52.16 Kr2e0lXQ0.net
>>426
太安万侶からすれば出雲は先祖ですからね。
出雲王の17代の名前をすべてを登場させるくらいですから

455:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 04:58:48.01 Kr2e0lXQ0.net
>>428
きっとそのおじいちゃんは頭皮がアマテラスだったのでしょう。

456:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:02:41.36 7yOYZAYv0.net
スサノオは朝鮮半島から来ましたからね
ユダヤの先祖のルーツでもあるみたいなので
スサノオの朝鮮半島の宗教だから
本来そっちにいるべき人達なのにわざわざ出雲までやってきて道教を押し付けてきたわけですよね

457:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:04:13.98 Kr2e0lXQ0.net
>>419
継体天皇
蘇我氏に婿養子入りする前の向家の彼は、確かフト彦という名前だったと
御間城入彦五十瓊殖尊ミマキイリヒコイニエは物部のイニエ王
ホホデミは、イチキシマヒメと饒速日のお子さん

458:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:04:56.17 tthCjWxc0.net
>>429
なるほど。
おもしろいですね。
出雲は地名ではなく、概念的な場であると。
記紀をそのまま素直に読んで、前王朝の名かと思いました。
記紀編纂期には定着していた儒教の教えでは、滅ぼした前王朝は現王朝がしっかりと祀らなければならない。
だから出雲を下に置かないのだろうと。

459:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:05:07.59 yjzjiLhQ0.net
>>433
高天原追放されて地上に降りて来たんだけど。

460:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:07:22.68 Kr2e0lXQ0.net
>>433
素戔嗚は、朝鮮半島には立ち寄りましたが、朝鮮半島から来たわけではありません
こんなとこ嫌だと出雲に来て、清々しく歌を歌ったはずですよ

461:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:09:07.89 k6t1TMYC0.net
>>408
ウィキペディア出してきてる時点で馬鹿ですね

462:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:11:47.79 yjzjiLhQ0.net
>>435
八雲の八が地上を現していると分かれば、
色んなことが分かるんだけどね。

463:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:12:56.18 tthCjWxc0.net
>>439
一連の断定的解釈の出展はどこですか?

464:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:15:23.93 yjzjiLhQ0.net
>>440
古神道です。

465:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:16:09.02 tthCjWxc0.net
>>441
古神道という書があるのですか?

466:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:16:30.04 ziXzsb6g0.net
はいはい「日本は有史以来悪の国」ね、了解ニダ

467:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:17:23.39 BGOYfG4u0.net
>>437
立ち寄ったも何も、「最初に降り立った地点」が朝鮮という時点で
これは生まれた場所が朝鮮である事を暗示しているものとみていい。
つまり朝鮮由来の金属技術者集団という事だ。

468:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:18:36.70 dMAKP/kI0.net
筑紫王朝が天皇家の本家本元と聞いた

469:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:20:29.00 yjzjiLhQ0.net
>>442
江戸時代に起きた復古神道の略です。

470:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:21:12.98 9usPoNau0.net
イナバのの白うさぎ 実はアジアの広い範囲に昔話として出てくる
マレーシア・インドネシアでは鹿とワニ インド・タイでは 猿とワニ
サメが出てくるのは不自然だな。まあ、中国地方ではサメの肉をワニ肉と言ったりするが

471:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:21:24.22 tthCjWxc0.net
>>446
ありがとうございます。
納得しました。
書かれたのは江戸時代の解釈でしたか。

472:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:23:14.89 vcWp8fEf0.net
>>429
地理に目を向けると島根県は海沿いまで山が迫ってその内側に盆地がある
だから日本海の風が山を昇って雲になるせいで盆地はいつも曇り空なんだよ
まさに雲が出ずる所なんだね

473:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:24:50.56 Mvd6Vi030.net
アメノウズメって弁韓出身だって父ちゃんが言ってた

474:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:30:12.83 yjzjiLhQ0.net
>>449
その神話を基に地名にしたのかもしれないね。

475:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:30:53.04 Kr2e0lXQ0.net
>>438
WIKIだけが情報源だと思ってる間抜けですねw
そもそも日本は日ユ同祖論を他国から言われるとか数段違ってる国じゃんw
そういやイスラエルが朝鮮と先祖が同じだなんて聞いたことも無いわw

476:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:32:00.98 Kr2e0lXQ0.net
>>444
もういちど記紀を読み直したら?www
>>438
>>438
朝鮮人は意見と事実の区別がつかないって最近証明されましたよね
まんまその通りだわw
データで証明されるなんてどんだけ異常なのかw
頑張って人間になってくださいね?w歴史のない国の方。
「韓国人は事実と意見を区別できない」低すぎる"読解レベル"が慰安婦・竹島問題をこじれさせる
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
URLリンク(president.jp)(PISAによる国際比較)

477:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:33:08.19 Th8jk5870.net
製鉄技術があったタタール人が大陸→半島→日本でタタラ場をつくった説
これは出雲かヤマトかどっち側でしょうね
人種的な区別じゃなくチーム?みたいなもんだと解釈してますが

478:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:34:41.00 vcWp8fEf0.net
>>450
天照大神が岩戸に隠れたとき舞台に上がって裸で踊って見せた女神様だな
ニニギノミコトが「彼女は物おじしない性格」と太鼓判を押してるね

479:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:37:21.40 Kr2e0lXQ0.net
千家が忌部氏に無理やり記紀に入れたスサノオが朝鮮半島出身者だったなんてwww
大変だよな、出雲大社もww
素戔嗚は徐福と同じく二度、日本に渡ってきている
朝鮮半島にも徐福伝説があるが、あくまで中継地としての伝承に過ぎない
風向きによっては立ち寄るくらいの事はするだろw

480:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:39:34.39 yjzjiLhQ0.net
>>454
神=火水ってこと。
陽と陰=気と身=霊と物質ってこと。
神話ってのはそういう話。

481:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:40:31.53 +4jJksb10.net
なにが言いたいかというと、半島からの侵略で日本が成り立っているということ。それを
日本書紀などで綺麗事にした。認識を客観的にもてということ。

482:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:41:01.17 Kr2e0lXQ0.net
>>455
魏書に書かれちゃったからね、ウズメさんは
トヨがウズメだよ。
故郷の宇佐から来た名前。
彼女が椿大社で暗殺されたから猿田彦の奥さんにされた
遺体は仮埋葬された後奈良に送られ、埋葬されたと大神神社に伝わってる
そこからは三角縁神獣鏡が出てなくて、特徴的な鏡の出土になってたはずよ

483:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:41:47.80 yjzjiLhQ0.net
イザナギ=誘気
イザナミ=誘身

484:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:43:24.85 Kr2e0lXQ0.net
>>458
お可哀そうに。歴史的遺物からも考古学上からもそんな説は存在しないw
大陸から渡ってきた千家が朝鮮の神を奉じるわけが無いだろwww
たかが大陸の属国だぜ?論理的にあり得んわw

485:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:45:07.43 Kr2e0lXQ0.net
>>454
鉄を作る場所をタタラバって言ってみたり
神武の嫁さんの姫さんの名前、タタライスズヒメ(タタラもイスズも製鉄用語)
という事なので、出雲じゃないですかね

486:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:49:04.71 L7Nbd3er0.net
>>446
とすると地名の出雲は物質的反映を目指した象徴の地でしょうかね?
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに

487:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:50:16.89 Kr2e0lXQ0.net
>>449
製鉄に必要な木がどんどん生えてくるから
出芽の国ってのが語源呂いう説がある
朝鮮半島と違ってはげ山にはならない地域
ちなみに、五十猛の系譜と関連のある紀伊山地から、木曽に山の管理の技術が移転されたと伝承がある
木曽は昔、木蘇と言って、ここも木がバンバン再生する場所だった

488:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:54:08.37 Kr2e0lXQ0.net
>>463
八重垣とは出雲の重要な法律で、一夫多妻をしないなどの誓いが書かれている
素戔嗚が歌ったという事になっているが元々出雲が作った法律
そこでだ、朝鮮認定された素戔嗚だが、後からやってきたヒボコが八重垣の法律を守ることを拒否してる時点でもうスサノオは朝鮮半島の出ではないだろw

489:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:55:18.79 L7Nbd3er0.net
>>437
素戔嗚は大陸系の氏族(元は縄文から大陸に渡来)で、ウガリッド神話のバアル神を信仰していた氏族が日本に渡来したということでしょうか?
バアルは雲に乗る者、という意味もあったようで

490:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:58:26.26 L7Nbd3er0.net
>>465
法律の意味だったんですね
八重垣作る その八重垣を というのは法律をガンガン作りましょうという意味ですか?
そう考えると、天孫族というか高天原系の思想とはやはり一線を画すような

491:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 05:58:33.97 Kr2e0lXQ0.net
>>466
徐福が記紀にかけるわけが無いので、忌部氏と話し合って決めた徐福の投影がスサノオです。
元々出雲にはスサノオを祀る神社はありませんでした。記紀が成立した8世紀以降ですよ。広まったのは。

492:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:00:02.55 qJU0FVld0.net
そもそも、ジャポニカ米の起源とほぼ同時期の8,000年前から岡山で栽培の遺跡が発掘されて居る。
半島経由では無くて、沖縄ルートで行き来して、半島先端は穢れた植民地だった。  
  
  
半島は、野蛮な物が蔓延る海以上き危険な場所。
  
  

493:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:00:37.37 LD6N9tnF0.net
>>1
自分の利権を守りたい保守が奉る本で
日本の乞食が奉(たてまつ)る古事記なんじゃね

494:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:02:05.85 Kr2e0lXQ0.net
>>467
富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」によると、この和歌は出雲族が作ったものであり、妻籠=婦女暴行を禁止する法律を制定し、これが出雲八重書きの中でも特に良い法律であると喜んだ歌であるということです。つまり一夫多婦を禁じた一夫一婦の掟だと。ただし有力豪族は他国と同盟を結ぶために一夫多婦は許されたそうです。
あと、昔の日本は母系社会。女性の長を刀自とか、トベとか言いました。
名草のトベもそういう意味です
そこに大陸系の男系集団がやってきたので色々大変だったようです

495:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:03:31.04 L7Nbd3er0.net
>>468
とすると徐福のルーツに迫りたいですね
新始皇帝とも同族とも言われ、新始皇帝が即位した後に、徐福の地元の山東省?あたりに長期滞在して石碑も多数残したという事は、徐福と新始皇帝が道祖だった可能性もあるでしょうか?
新始皇帝はいわゆるアジア系では無かったという可能性もあるので、徐福自身もまた、そうだった可能性も

496:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:09:53.16 L7Nbd3er0.net
>>471
なるほどです
そうするとトベを倒した神武天皇は大陸系との習合ということでしょうか?
母系の縄文文化をサッパリと脱ぎ捨てて、男系による社会統治の国造りに統一した暁に、歴史もそのように改めたのが日本書紀と古事記というような?
もともと万世一系というのは血の問題じゃないという話もありますよね、世界で一番古い日本語の原理を受け継いで、皇の精神を受け継ぐ人であれば、誰でも大和の民でありスメラミコトの資格があるんだ、というような

497:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:11:10.56 Kr2e0lXQ0.net
>>472
徐福は徐市ともいって山東省あたりの人だったという事ですね。
徐福時代の日本の墳墓の被葬者はそっち方面を向いて埋められているそうです。
彼らは石の笛、トウケンを持ち込んだようですね。
秦に滅ぼされるまでは斉という国だったかと。
産業としては製鉄、織物なので、平坦な土地が無く、稲作には向いてなかったようです。
現在では徐福時代よりうんと遡って水稲遺跡が出ていますから昔言われてた徐福時代=水稲説は既に無くなっています

498:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:11:23.73 Fufqbjx80.net
>>162
出雲の記録は豊富なのに、邪馬台国の記録がスルーってのが不自然だよね
何らかの言及有って良さそうなんだが・・・というか、アマテラスが卑弥呼なのかな

499:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:11:24.87 XV5QYpq50.net
>>2
てにをはがなってないから多分そうなんだろう

500:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:11:53.55 0Gouoz1N0.net
出雲神族と出雲臣族を混同してる人多いよね

501:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:14:05.11 L7Nbd3er0.net
八色の姓(やくさのかばね)は、天武天皇が684年(天武13)に新たに制定した「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のこと。
この一番位の高い真人について、始皇帝も真人と呼ばれていたそうですよね
さらに、大和はヤマトで八真人(ヤマト)の人々という語源になるとも

502:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:15:30.97 Kr2e0lXQ0.net
>>473
神武朝は、先にも述べました通りスサノオの系統と、出雲の分家の婚姻関係による一族です。
故に、記紀でも重要視されるわけです。
同じく腹違いの親戚の物部氏は、出雲の分家、宗像氏からお嫁さんを貰ったので、物部氏にも実際には出雲の血が入っています。
第六代オミツヌの子供が分家して、宗像家になったそうです。アタカタスが、宗像家の大神になっています。
昔は女系も男系もなく、血が濃ければ権威になったのです。
男子男系は明治時代に重要視されるようになった価値観ですよ

503:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:18:09.63 Kr2e0lXQ0.net
出雲神族と出雲臣の混同。在る在るですね。
実は、向家が、千家が出雲臣を名乗ることをうっかり許してしまったのだそうです
そしたら千家は勝手に向家の人間を家系図に入れ込んで背乗りを始めたから混同されるのは仕方がないことだと言えます

504:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:20:41.71 ppGA8/Zy0.net
大和朝廷って百済系でしょ

505:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:22:17.25 Kr2e0lXQ0.net
素戔嗚が朝鮮人ではない事のひとつに、青銅器があります
青銅器の合金の技術は当時は日本にはなく、逆に、朝鮮半島はうんと早かったのです。
銅は日本の出雲でも産出しました。現在でも遺構が残っています。
ごまかしがきかないのは錫と、鉛。錫は大陸からしか入手できず、鉛は朝鮮半島産だったので簡単に誤魔化せません。
朝鮮半島に類似した鉛は対馬からしか産出できないほど、組成に特徴があります。
国産の青銅は、徐福時代で、明らかに朝鮮半島とは違った時期に日本に伝播しています。
吉野ヶ里遺跡からは輸入した錫のインゴットが出土しています

506:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:22:43.77 L7Nbd3er0.net
>>479
としますと、スメラミコトのスメラは、素戔嗚のルーツがシュメールが語源であればしっくりきますがどうなのでしょうか?
男子男系はかなり最近だったんですね
そういえば継体天皇は息長氏の血から来ているんでしたっけ?
息長氏とはどういう氏族なんでしょうね

507:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:24:37.08 L5gf9nQV0.net
ずいぶん教養のある方が居ますね
講義聞きたいわ

508:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:25:06.66 Kr2e0lXQ0.net
>>481
百済系とか新羅系とか言われるのは、天皇の血筋ではなくて帰化人の役人同士のイザコザでそういう風に分類されているだけです
仮に嫁さんを朝鮮や大陸の帰化人にもらったら朝鮮系のお宅って言われるかというとそうじゃないですよね。

509:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:25:32.21 3ERXBnlK0.net
>>475
豊後・肥前の土蜘蛛と共に神功皇后に征伐されて歴史から葬られたらしい
九州の女性酋長
五馬媛(五馬・豊後国風土記)
八十女(杵島・肥前国風土記)
宇津羅姫
八女津姫(福岡県・景行紀)
田油津媛(山門郡・神功紀 ←卑弥呼の100年後の女王
比佐津媛(日田郡・豊後国風土記)
大山田女
狭山田女
海松橿媛(松浦・肥前国風土記)
速来津姫(大分県・景行紀)
浮穴沫媛(彼杵・肥前国風土記)
諸縣君の泉媛(宮崎県・景行紀)
神夏磯媛(田川市 山口県・景行紀)
宇奈岐日女
與止日女(佐賀県)
阿蘇都媛(阿蘇・景行紀)

510:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:29:00.68 lXdh0hHe0.net
出雲も天照の子孫だったよね?
神武の血筋とは違うけど

511:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:29:28.38 LGlwVF6l0.net
【古代】古墳時代の出雲人は縄文人寄り
DNA解析で判明 弥生人との混血 進んでいない可能性
◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆
 古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている―。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。
 出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3~7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。
 調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。
 そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。
 さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。
朝日新聞デジタル
URLリンク(www.asahi.com)

512:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:29:53.29 U6hWtOR90.net
古代史ネタは好きだけど毎回長文コピペの糞の役にも立たないレスが多くてうんざり

513:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:30:44.06 N/Wlgohh0.net
349名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:26:35.85 ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ

389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61 ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね

408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない

769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇 と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する

514:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:32:23.05 L7Nbd3er0.net
ざっくり纏めると...
縄文時代に大陸に渡った人たちが、西暦200年までに日本に里帰りして、色々あって日本国として再始動した象徴が記紀神話でしょうか?
大陸に渡った人たちは、ウバイド、シュメール、ヒッタイト、殷、商などの大陸の文明とも溶けあっており、彼らを繋ぐものなマニ教であったと?
マニ教のマニは神道の太占(布斗麻爾)のマニであり、縄文から伝わる日本語の原理をもとにした教義であり、キリスト教ではマナ、仏教では摩尼として伝わったと
そのマニ教は日本語の原理であるため、最終的に日本に里帰りして大陸と袂をわけた歴史的段階で、マニ教は目的達成したので消えたと
良い線いっていますか?

515:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:32:23.58 8Y0cdwNy0.net
>>1
朝鮮半島の南端部まで活動圏していた縄文人は南端部に
しか行ってません
縄文遺物は僅かに南端部でしか出ない
丸木舟が出ない
木だから腐りやすい
だが1000艘行ってれば日本のように数艘から10艘は残ってるはず
出土するが出ない
つまり縄文人は朝鮮半島を回避するようにほとんど行っていないということ
黒曜石も出ないし海産物も日本列島とくらべて豊かではない
土地としてあまり魅力がなかったから
だからスサノオのような全身毛だらけの縄文人が朝鮮半島に寄ったが
こんな土地嫌だと言って出雲に帰ったという神話が残った

516:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:33:10.68 d4OvbmHJ0.net
事実は慶尚南道の南半分、 全羅南道あたりは倭人地域
慶尚北道あたりも一部のみ倭人進出あり
全羅南道は任那、慶尚南道は金海伽耶(金官加羅)
といった時代によっては自由な入植者で飽き足らずか
現地の半島原民に依頼されてかはわからないが糸魚川
の翡翠を最頂点にする階層社会がある縄文系倭人支配層
のいる国であった
この地を防衛するために倭国は再三出兵し更には弱い
百済の保護者のような振る舞いをするように巻き込
まれた
西日本新聞はにはこうした歴史を振って湧いたかの
ように書くな
元々考古学の重鎮の井上氏が南端を倭国として地図
化していたが知らないはずはなかろうしこの20年間
では韓国の自治体も倭系遺物として紹介している

517:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:33:31.36 lXdh0hHe0.net
>>485
父系が大事だもんね

518:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:33:38.46 L7Nbd3er0.net
>>489
今、マニ教があつい!

519:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:33:58.53 on8b/LKG0.net
【日本人の歴史】
・3万年くらい前から日本列島へのスンダランド等からの複数ルートの流入で
Y染色体D1a2系、 D1b系の日本固有種の原日本人が発生
・6000年程前縄文海進の頃に半島南端部に移住する原日本人が少数発生
縄文土器が複数出土
・3千年ほど前から大陸に特徴的な桃源郷思想や扶桑国志向の影響もあり多数の長江系稲作文明の
担い手であるY染色体O1bの弥生人とそれと若干混成された黄河系のY染色体O2が日本列島に入りY染色体D1bの
原日本人とである縄文人と混血し倭人が発生
朝鮮半島は丸木舟の出土がなく日本列島に顕著な海洋民族は南端部以外にはいなかったと考えられている
・14世紀頃から北海道で原日本人である縄文系と倭人とバイカル湖アムール川系の一部が混ざって
アイヌが発生 
その時代までには列島内で原日本人の血を引く縄文人や倭人とアイヌや琉球や熊襲や隼人など海洋系稲作民族
としての日本民族の原型が倭人として完成

【韓国人の歴史】
1万年程前まで人が住んでいたが以後ほぼ無人になったが
大陸用北部の扶余系が次第に朝鮮半島全体に広がる
以後北方ツングース系のエベンキのY染色体C2が流入
黄河からY染色体O2が流入
長江からY染色体O1bも流入したが水稲に適した地域がなく日本列島へ移動
よって北方ツングース系のエベンキと扶余系とそれを支配したモンゴル人の混血が韓国人になる
⁂6000年程前から南端部の洛東江下流域や半世紀前の歴史学者などが多島海と呼んだ
一部の釜山沖の島に原日本人である縄文人や弥生倭人が渡海し入植する(釜山周辺で縄文土器や弥生土器が出土)
この集団が伽耶地域の中心勢力の一部をなすが白村江戦までにはに日本に帰還

520:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:34:39.87 clAcgzXg0.net
これって何千年もの時間差を想像できないやつが
騒いでるだけだよね

521:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:35:46.23 Kr2e0lXQ0.net
>>483
昔日本で大注目された記紀シュメール論ですよね。
禁書の「復元された古事記」のあと、ブームになり
昭和の終わりには吉田大洋さんが、謎の出雲帝国でその持論を展開してて面白い書籍になっていましたね。
その際に初めて先代の向家の当主が書籍に登場しています。
息長氏は、神功皇后の実家で、ヒボコの遠い子孫です。
九州系の月の女神を奉じる一族で宇佐族とも血縁だったと思われます。
継体天皇は、神功皇后の後の平群王朝(武内宿祢系の子孫)が評判が悪くて倭国が乱れ、困った豪族たちが血筋の濃さを遡って本家の石河氏の分家、北陸蘇我家に大王やってくださいとお願いしに行ったことで天皇の仕事を引き受けました。
しかし、大乱が収まるまで13年も大和入りできなかったはずです。
その際の説得にあたったのが、前々政権の物部氏。物部氏の名前が記紀に出ているはずですよ。
北陸蘇我家は当時の刀自が女性だったので、婿養子に出雲の向家から養子が入っていました。
日本の皇族は出雲にさかのぼると申しましたのはこれによるものです。
しかし大王就任の際に、平群王朝の奥さんを貰わねばならず、後に深刻な問題を引き起こしました。
歴史上、出雲の王族が表に出てきたのは

522:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:36:01.96 9x3cllM10.net
ナムジが剣の切っ先の上に座ったタケミカヅチを見て
こいつやべえって思ったんだよな

523:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:37:38.44 YrPr5AHI0.net
780名無しさん@1周年2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが
929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0
縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね

270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
URLリンク(www.bs-tbs.co.jp)
解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。
オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?
本州~北海道~ロシア~アラスカ~オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。
オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」


524:が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。 https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/



525:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:39:22.83 clAcgzXg0.net
何千年かけて変化した物事をある日突然変化したって設定にするから
わけわからんくなる

526:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:40:07.57 gAJNXx920.net
雲が出ると天照の威光が霞んじゃうからね
出雲大社は大国主命の怨念を幽閉する施設

527:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:40:24.90 Kr2e0lXQ0.net
>>494
女系が認められたら本当に朝鮮人が天皇陛下と強弁できることになってしまいますからね。w
背乗り文化の国の特徴が、夫婦別姓
あれは本当に恐ろしいことだと思いますね。あんなものを日本に導入したら後々どのような事になるか。
家同士の抗争が子供の苗字を決める事にまで関係してくるのです。
男尊女卑の国でなければ何の統制もできなくなりますよね

528:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:41:54.27 ZkEGLkTG0.net
大物主が三輪から出雲に追いやられただけやん

529:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:43:12.58 9x3cllM10.net
ナムジがタケミカヅチに出雲を譲る条件として
デカイ社を建ててくれって言ったら
タケミカヅチは矢鱈階段の長い超高層神社建てた
伝説だとおもったら、出雲大社の発掘したら
ホントに巨大な柱跡が出たんで
もしかしてマジ?ってなったんだよな

530:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:43:19.56 L7Nbd3er0.net
>>498
知識量がすごいですね
神功皇后とは象徴であって実在ではなく、その実態は宇佐の系列の卑弥呼である、という話もありますが、どう思われますか?

531:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:43:45.51 boIrXGeK0.net
現代の関係分野の発展によって文献史学の専門書に大己貴命を祖神と
する龍蛇神を奉ずる海人族と記される出雲氏(いずもうじ、姓は臣)であるが、
国譲りに応じた大国主神を祀るため、
天日隅宮(あめのひすみのみや=出雲大社)の祭祀を担った天之菩卑能命(あめのほひのみこと)を始祖、
その子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を第2代とする。
初めて出雲国造に任じられたのは『先代旧事本紀』(国造本紀)によれば第12代宇賀都久怒からであるが、
千家家の伝承をまとめた『出雲国造伝統略』によれば第17代出雲宮向からであるという。
後裔に土師氏が出ており、
武蔵国造、阿波国造、伊甚国造、新治国造、上海上国造、下海上国造、千葉国造、山氏と同族
意宇郡司職を支族に譲った後の出雲氏本家は、意宇郡から出雲郡杵築郷(現在の出雲大社周辺)に拠点を移し、
国造本拠に鎮座した元々の国造奉斎社である意宇の熊野大社と併せて行っていた出雲大社における祭祀に専念
するようになったと考えられている。
その後、現在に至るまで、出雲大社の祭祀長を示す称号として出雲氏の子孫が出雲国造を世襲している。
また、国造の代替わりの儀式である「火継式」に際しては、熊野大社と神魂神社にて儀式が行われ、現在でも
熊野大社との関係を維持している。

532:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:46:11.32 Kr2e0lXQ0.net
>>490
母方がヒボコの血を引いていたというだけで朝鮮人認定www
気持ち悪すぎる
君が代の歌は、三冠征伐の安曇氏を顕彰する為に作られた文書の一部。
これが波が当たる岩が無くなるまで後世に伝えよとした。
君が代大嫌いな朝鮮人が、稚拙な朝鮮人認定をするのを見ると薄笑いが浮かんできますww

533:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:47:45.68 L7Nbd3er0.net
>>491
3世紀に誕生し、善悪二元論を教義として世界的な宗教に発展しながらも滅びたマニ教の宇宙観を描いたとみられる絵画が国内に存在することが26日までに、京都大の吉田豊教授(文献言語学)らの調査で分かった。「10層の天と8層の大地からなる」というマニ教の宇宙観の全体像が、ほぼ完全な形で確認されたのは世界で初めて。
マニ教は布教に教典のほか絵図も使っていたとされるが、絵図は散逸。宇宙観は教えの根幹につながるもので、今回の発見を公表した国際マニ教学会で「画期的」と高い評価を受けた。吉田教授は「不明な点が多いマニ教の解明につながる」と話している。

マニ教の成立が3世紀とありますが、もっと古いのでは?

534:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:49:36.21 MjrkODgV0.net
マニ36の形態分類なんぞ今更出来るか。
あんなもん、各工場が好き放題に改造に次ぐ改修。
タネグルマからして車体載せ替えどころかすり替えまである。

535:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:49:52.82 L7Nbd3er0.net
中国で見つかったマニ教の教え
初際 - まだ天地がなく、明暗の違いがあるのみである。明の性質は智慧、暗の性質は愚昧だが、まだ矛盾・対立は生じていない
中際 - 暗(闇)が明(光)を侵し始め、明が訪れては暗に入り込んで両者は混合していく。人は、ここにおける大いなる苦しみのために、目に映ずる形体の世界から逃れようと希望する。そして人は、この世(「火宅」)を逃れるには、真偽・光闇を判別し、自ら救われるための機縁を捕まえなくてはいけない
後際 - 教育・回心とを終える。これにより、真偽・光闇はそれぞれ由来の地「根の国」に帰る。光は大いなる光に、闇は闇の塊に回帰する

これは、やはり、日本神話の神代の話に通じますよね?

536:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 06:56:04.97 Kr2e0lXQ0.net
>>507
そう、正に千家の背乗りの証拠が現在の出雲臣のこの説明なのです。
12代?ウカツヌクが邪馬台国時代の千家の当主ですが、彼が物部十千根と物部朝倉を引き入れ出雲を滅ぼすきっかけとなりました。
事代主系の子孫、向家からは野見宿祢が出ています。何故物部の役職である宿祢を貰ったかというと
物部イクメがヤマトの統治をトチってしまい、連合のタジマノモリとトヨ姫と豊彦の軍を制御できなくなり、国造になった千家に出兵を依頼したからです。
しかし、千家は出雲では人望がありませんでした。何と、千家は滅ぼした向家に兵を集めることを依頼www
まるで困ったときに日本を頼る半島人の様です
しかし、三輪山を奪われた出雲側は報復がしたく、これを受け入れ、トビの名を野見に変え、大和側の残存兵であった太田氏と協力してこれを撃退します。
それによりイクメ王から宿祢を貰いました。
三輪山の神である太陽の女神(後の天照)は、奪われてしまったのでこれを契機に三輪山の祭祀は一緒に祭られていた事代主が大物主と名前を変えられ男神単独の祭祀場になったそうです。

537:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:02:22.11 Kr2e0lXQ0.net
>>506
神功皇后=卑弥呼こそが記紀の狙いでありまして
属国の歴史どころか、朝鮮半島に権益をもち徴税までしてたってのはとても良い話になるわけです。
丁度、物部王朝は3代で潰えたため(あまりにかわいそうなので架空のヤマトタケルを追加して4代にした)
次の神功皇后の時代と卑弥呼の時代の圧縮にはさほど困りませんでした。
そして、神功皇后紀にわざわざ魏書の卑弥呼の記述を書いて誤解しやすいようにしたという事です。
もうぶっちゃけますが、物部と連合してた宇佐の豊玉姫が途中で死んじゃった卑弥呼です。
宗女に豊姫がいまいした。彼女がトヨ(天ウズメ)です。
記紀の作者は、大陸を誤魔化すために、魏書の内容には目を通していたとしか考えられません。

538:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:03:20.94 yoEclHtA0.net
>>472
徐福は球磨国だな
攻め滅ぼされた側だから神話が残ってない

539:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:03:34.09 vKYM+J1h0.net
中国�


540:ゥら渡ってきた天津神が 日本にいた土人の国津神を倒し日本を統一する話やん



541:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:05:15.69 yoEclHtA0.net
>>515
全然間違い

542:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:05:20.86 29eBC2t90.net
日本海側の縄文系弥生人の絵画
(出雲~鳥取 青谷上寺地遺跡地域含む)
稲吉角田遺跡 弥生中期
古代の出雲大社の原型 雲南苗族の頭飾り

唐古鍵 遺跡 (清水風衛星遺跡)  
奈良盆地の弥生人の姿 
(褐鉄紘の中に糸魚川の大勾玉という祭器・宝器を貴ぶ弥生文化)
URLリンク(okinawa.ave2.jp)
URLリンク(www.e-trip.info)

543:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:07:38.95 X9Gmh4F40.net
2017/1/24 23:22
縄文時代晩期
【 三千~二千数百年前 】
の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる
土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある
平安山原B遺跡で出土したと24日、
同町教育委員会が明らかにした。沖縄での発見は
初めてで、西日本でも出土は限られている。
製作地や沖縄に運ばれた
背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。
北谷町では、縄文時代にアクセサリーとして重宝された、新潟県の糸魚川産の縄文時代晩期の
翡翠も別の遺跡から出土。町教委は「当時の広域交流がうかがえる重要な発見」としている。
亀ケ岡式土器は、沖縄から約2千キロ離れた亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)で
出土したことに由来し、工芸品のような精緻な模様や作りが特徴。同じ頃の東北では精巧な
漆器や遮光器土偶なども作られ、「亀ケ岡文化」として各地に影響を及ぼした。

※ポイント
・伊豆諸島神津島の黒曜石が「海上輸送により」日本各地(相模、伊豆、遠州、能登)
の古い遺跡にもたらされてることから、2万7千年前にはすでに神津島と本州との間
(最短でも往路150程度・・・ギネス級)を船で行き来してた。
・木製なので腐食しやすく残りにくいが、それでも
7千5百年前の外航用の丸木舟が
千葉県市川市雷下遺跡から出土している。
千葉県からはこのような丸木舟が150隻出土。
・琵琶湖でも数隻出土。
.
・現時点で朝鮮半島からは丸木舟がまったく出土しない。

544:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:07:57.43 WNd+c02u0.net
倭国最強の大和が出雲と属国新羅を征服した

545:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:10:28.35 yoEclHtA0.net
出雲は対外的には邪馬台国の女王の領域と言うことになってるから
対外的なものである日本書記には書く必要がない

国内的には邪馬台国は出雲を懐柔する必要があるから
国内的なものである古事記には紙数を割いて書く必要がある
単にそれだけのことだけどね

因みに二十一カ国の内の為吾がウカ(宇迦)で出雲のこと
出雲大社の辺りを今でも宇迦と言う

 

546:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:13:51.80 PN3KJtT00.net
>>502
出雲大社ってさ、明治までは杵築大社って名称だったんだよ?
文字で空想するなら杵築でやらないとね

547:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:17:26.64 9x3cllM10.net
タケミカヅチは諏�


548:Kでも似たようなことしてるし



549:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:17:46.57 Kr2e0lXQ0.net
大国主が怨霊なのは千家にとってだけの話です。
一般人は全く関係がありません。
物部氏と向家は和解しましたしね。

550:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:18:13.46 jm/HEmH20.net
てか、出雲は稲作やってたんでしょ?
じゃ、その稲作はどこから伝播したかといえば半島からじゃね?w

551:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:18:37.44 9x3cllM10.net
>>522
タケミナカタだったわ

552:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:19:31.21 yoEclHtA0.net
つかちょっと言いようがおかしかったな
当然日本書記も古事記も近畿日本が作った書物だがね
そもそも、出雲は近畿日本的には紙数を割く意味が無いから
対外的なものである日本書記には現れて来ない
国内的には邪馬台国は出雲を懐柔する必要があるから
国内的なものである古事記には邪馬台国的には紙数を割く
必要があった
それを近畿日本がそもまま取り入れた
単にそれだけのことだけどね

因みに二十一カ国の内の為吾がウカ(宇迦)で出雲のこと
出雲大社の辺りを今でも宇迦と言う

 

553:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:19:41.74 eI2jkXU70.net
「天皇教は、暴力統治の方針を変更していない。」

554:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:20:00.24 tthCjWxc0.net
>>515
そうですね。
記紀のストーリーの大枠は、
(1)イザナギ・イザナミ夫婦(兄妹)からアマテラス・スサノオ(姉弟)が生まれる。
(2)アマテラスの子孫が天津神であり、スサノオの子孫が国津神である。
(3)国津神が先に日本列島で繁栄する。
(4)天津神の子孫が国津神に婿入りし、国を譲らせ、祭り上げ、何世代もかけて国津神から主導権を奪うことにより、大和王権が完成する。
国津神も天津神も中国から来たかどうかは書かれていませんが。
日本列島で人類が発生したわけでもなく、稲作が始まったわけでもないので、どこからか来た人々なのでしょう。

555:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:21:38.86 9x3cllM10.net
>>527
地面に剣を突き立てて
その切っ先に座って見せただけじゃん
それで国譲ったナムジ

556:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:22:03.30 uPJaCVdf0.net
国譲りというファンタジーを利用した歴史隠蔽工作のために
どうしても必要なその前段階の濃密さだったってことだと思う
あそこの部分だけ天照大神の脅迫のせいで仕方なく・・・みたいだったらそこだけ浮いちゃうだろ
言い方を変えると、国譲りの神話をでっち上げるために書かれた書物が古事記

557:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:23:43.99 jm/HEmH20.net
> 古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。
つまり、
明治政府が、
「天皇は神さま」マインドコントロールをしたいから、名前を出雲に変えたんじゃね?

558:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:23:53.81 yTF+bZvK0.net
>>1
イクメオオキミの時代の検校の二回目十千根は
饒速日からみて実質は5代ほど後になって
その時代には息子の宇摩志麻遅がすでに死んで、
イカガ夫婦が石上の祭祀を取り仕切ってる時代で、
ものすごくおもしろいよね
祭祀の統一まで意識された時代だけどヤマト根子フトニまでが
弥生時代の終わりに吉備から出雲付近まで出向いてるからね
すでに百済鬼を成敗したキビツ彦伝承の下地が実年代の180年代
くらいにはあったのだろう

559:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:24:32.71 PN3KJtT00.net
>>528
大枠で言えば日本人は全て渡来人だよ
日本列島が大陸から分離したのと、ホモサピエンスが発生した時期
古いのは日本列島の大陸分離だからね
まぁそれを言い出したら、全世界の現生人類は全てアフリカからの渡来人だけどさ

560:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:27:27.33 iuLlNO6B0.net
🌟新羅本紀🌟
弥生後期~古墳時代
 
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死まで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態

14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。

これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※ 当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。

561:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:27:51.86 rK3VEB4d0.net
>>517
弥作文化を代表する銅鐸などは呉越の地域から
春秋時代の銅鐸に似た形の青銅の銅鼓が出土
している。
高さは三〇センチ前後で、出雲の加茂岩倉追跡から
1990年代後半に大量出土した初期の銅鐸とほとんど
変わらない大きさ。
呉越地方銅鼓の系統が浙江省の寧波あたりから直接的
に列島にもたらされた可能性が非常に高い。
そして出雲地方に定着している。
だが出雲地方には、呉越地方よりさらに南の地域である
広東省広州市一帯の地域とも関係があった証拠が見つかり、
それは1990年代からすでに研究されている。
古代の南越であるが、越の南方、南海に面した国で
南越王墓は広州市の像崗山にあるが、そこからは
船紋銅桶型器と呼ばれる線刻画をほどこした銅桶が
出土している。
その線刻画にはゴンドラ型の船団に頭に鳥の羽根の
ような被り物戦士描かれ、日本の武士のようにに首級を
ぶら下げげて立つ像などが描かれている。
南越は卓越した航海技術があったことはすでに多くの学者
の研究にによって知られるが、この絵と似たような線刻画が
鳥取県でも出土している。
大型の土器片に描かれているものだが、同じゴンドラ型船
に乗った人の頭には雲南に酷似した羽根のようなかぶり物
をつけている。
南海に面して航海に長けていた雲南系の民族は列島に水稲を
伝え航海や交易も行っていた縄文系の列島倭人の日本海沿岸
まで来て倭人として定着していった。
このあたりの関連は文化人類学と考古学の横断分野ですでに
良く知られるようになって20年近く経っている。

562:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:30:06.49 PN3KJtT00.net
>>531
現人神信仰は、もっと大昔から成立してる
明治期にわざわざやることでもないやろ
日本国内にはいくつも杵築神社、杵築大社があるから、紛らわしいから変えたんじゃね?

563:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:30:47.63 tthCjWxc0.net
>>533
ですよね。
(1)もともと姉弟だったのが、二つの系統にわかれる。
(2)弟の系統が先に日本列島で繁栄する。
(3)後発の姉の系統が弟の系統を飲み込む形で統一される。
記紀の編者が大枠で言いたいことは、日本列島への渡来は何波にもわたって起き、主導権をめぐって争ったが、元をただせばみな同祖だったのだ。

564:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:31:05.04 Kr2e0lXQ0.net
>>526
藤原不比等も太安万侶も、多氏系の九州に地盤を持つ一族ですよ
邪馬台国時代は、大陸らの侵攻を防ぐため、大宰府の様な出先機関があり、それが九州の伊都でした。
邪馬台国とは、大陸から見たヤマトの事で、日本から見た邪馬台国は実は九州です。
ヤマトと九州の家系が親戚だと先に申しました。
大和側が朝貢出来ない時期を狙って大陸が朝鮮を属国化した絶妙なタイミングで九州勢がヤマトを偽装して朝貢したのです。
帯方群を通じた朝貢が可能になった際に、九州勢が仕掛けました。
故に魏書の上での邪馬台国は近畿の事ですが、朝貢軍団は九州勢でした。
彼らは九州の西都原で軍勢を集め、朝貢でもらった黄色の8本の属国旗を宇佐八幡に収め、東征を開始しました。
故に我々日本側から見た邪馬台国は、都万の西都原です。
これが奈良で九州式土器が突然発掘される原因となりました。

565:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:32:05.42 3KVZjn+W0.net
>>517
【古代】弥生人、海の魚で雑炊か  田原本・清水風遺跡土器分析で判明 奈良
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
 シャーマンを描いた弥生時代(約2千年前)の絵画土器の出土で知られる清水風(しみずかぜ)遺跡(田原本町・天理市)で、
米や海産魚などで雑炊をつくっていたことが、 大量に出土した土器の科学分析で分かり22日、田原本町教育委員会が発表した。
シャーマンは祭りを取り仕切る人物で、町教委は祭りの後、参加者が一緒に食事をした直会(なおらい)の痕跡とみている。
24日から唐古・鍵考古学ミュージアム(同町)で始まる企画展「よみがえる弥生の祭場」で関係資料を公開する。
清水風遺跡は全国最大級の環濠集落跡「唐古・鍵遺跡」の北約600メートルに位置。
両手を広げる鳥装の女性シャーマンの絵画土器などが出土している。
煮炊きを行った土器も数百点あり、町教委が東大総合研究博物館などの協力で付着した炭化物を科学分析したところ、
米と海産魚類やキビなどを一緒に煮込んでいる可能性があることが分かった。
「魚雑炊」ともみられ弥生時代の遺跡でこうした例が確認されるのは初めてという。
米と動物質の食材などを煮込んだと考えられる土器も確認された。これらの土器は川跡から出土しており、使用後、一括投棄されたとみられる。
藤田三郎・田原本町埋蔵文化財センター長は「清水風遺跡は祭りを行う場で、大量の土器は昼夜を通して行われた歌舞飲食(直会)の遺物だろう」としている。
企画展は12月6日まで
炭化物が付着した土器のほかに絵画土器も展示される。
見学ではマスク着用。

566:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:33:28.71 JqBOAR180.net
酒については中国の南方の広東と湖南あたりの人は
歴史的に弱い。
日本人は韓国や北方中国とは違い、酒に弱い下戸が
多いのは医学では常識で弱い人間は大腸癌やすい臓癌に
若干かかりやすいという相関がある。
酒が弱い下戸は水稲のメッカ地帯の南方由来の遺伝子で、日本では
概して「弥生人=酒弱い分布」 となっていて、
東アジアでは日本人は特に稲作ベルト地帯で発生した酒に弱い下戸が多く、
それと反対に朝鮮人とモンゴル人は酒に強い人間が多い。

567:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:34:03.54 PN3KJtT00.net
>>537
高天原が何処なのか明確に分からず、半島、大陸、南洋、国内諸説あるけど、どれも立証しようがないんで
なんとも言えんけどなぁ

568:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:35:32.12 JwUVKK+80.net
>>53
徐福の話はやめろ!!
かならずいるんだよな、天皇の始まりは徐福とかさ。そんな人は日本にはきてないんで。始皇帝を騙して逃げた詐欺師だよ。朝鮮民族の始まりの人だよ。

569:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:36:16.85 Kr2e0lXQ0.net
>>542
出たよウザいのがw

570:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:37:29.50 tthCjWxc0.net
>>541
記紀をそのまま素直に読めば、水稲耕作に適し、馬を飼い、青銅や鉄を使用し、絹織物を生産していた土地ですね。
おっしゃるとおり、高天原の候補地が広すぎて、何とも言えない。

571:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:37:31.48 jm/HEmH20.net
>>536
江戸時代の人間はほぼほぼ天皇なんか知らなかったよ。
天皇が有名になったのは明治以後だよ。
教育勅語等のマインドコントロールから。

572:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:37:35.66 fXvQ5eD90.net
>>69
ノッペリ釣り目で頬骨でエラ張りなどの朝鮮半島人は文
化習俗やDAN解析で判明しています。
弥生人ではありません。
古墳時代に戦利俘囚で半島から連れてこられた扶余系穢人です。
朝鮮半島の民族は日本列島の弥生人とほとんど関係がありません。
朝鮮半島から穢族半島人が大量にやって来たのは古墳時代に入ってからです。
集団で漂着した逃亡の朝鮮半島の難民はたくさん漂着ましたが日本の在地豪族の
朝鮮半島での戦利品として半島民や様々な文物が日本に持ち帰られました。
大和朝廷管理の難民キャンプ部落で編戸制の下で隔離生活していたので
日本人とは交雑する関係もなく、 朝鮮半島諸蕃の蛮族として蔑まれ
それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありませんでした。
習俗や文化が正反対なのです。
朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです。
弥生人(パッチリ一重か奥二重) =  列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人 糸目一重)

弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域~華南~越人中軸 水稲地帯が中心

573:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:39:58.61 Kr2e0lXQ0.net
出雲の向家や、福井の神床家、九州の宇佐家は邪馬台国の本質を知る一族です。
豊玉姫は東征の最中に病死し、厳島神社で仮埋葬。その後遺骨はきちんと宇佐八幡に戻され納骨されています。
しかし、記紀と違った内容の話はさすがに現代でもはばかられるのか、正式に発表していません。
竜宮の乙姫様が、邪馬台国の卑弥呼という事であります。(旧家の伝承上は)
彼女は此花サクヤヒメ(アタツ姫)の後にイニエ王の後妻に入った人です。
故に、前妻の子供のイクメと、豊姫、豊彦が義兄弟と書きました。

574:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:40:11.72 PN3KJtT00.net
>>545
江戸庶民の一生に一度の夢が伊勢参りだよ
知らんわけがないでしょ

575:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:41:00.73 B9vgPi8C0.net
>>517
そういう日本列島の弥生人から最遠い文化風習の人たちは高句麗や
馬韓や辰韓などの鮮卑混じりの蛮族匪賊の代表格のDNAの人たち
大陸東北部と同族で豚や犬の皮で被服して
冬は豚の脂を分厚く全身に塗って防寒する風習で
稲作でも陸稲の痕跡はありますが弥生文化の中心の水稲文化が無いのに
ここでも嘘ばかり平気で弥生人と嘘ついて印象操作したい鬼畜のような
半島民族です
朝鮮半島への強襲侵略の最初は扶余や濊貊で
それらに蹂躙浄化されかけた元の半島民はいたがな
日本人とは類似性がない全くの異民族で、
もちろん水田耕作の弥生的な文化や技術もない
もし扶余や濊貊やその後の満蒙交じりの高句麗などが
大量に渡ってきていたなら日本人は冬には防寒で豚の
脂を体中に塗って、日本国丸ごと肉食も禁止にならなか
ったどころか、2000年の伝統的肉食国家となっていただろう
祭祀の献上物も稲穀類や魚介類じゃなくて肉類
ばっかりだったでしょう

576:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:41:08.52 jm/HEmH20.net
>>546
> 弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域~華南~越人中軸 水稲地帯が中心
そんな遠方の人がどうやって日本列島にきたのよ?www

577:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:43:20.61 jm/HEmH20.net
>>548
江戸庶民の夢は、お伊勢さんであってお天皇さんじゃないよw

578:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:44:54.61 9qW1ImGU0.net
集会変態ヤマトは
孤立に弱い
ヤマトは2度 沈む。

579:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:45:18.35 jm/HEmH20.net
それはどんな民族だか知らないけど、ほとんどの弥生人は何波にもわたって半島から来たんだと思うよ。

580:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:47:52.98 XYXOjdbK0.net
日本では氏族を「皇別」・「神別」・「諸蕃」と分けて考えられていた
朝鮮半島の諸蕃、つまり高句麗、百済、新羅などがルーツの者は
「皇別」・「神別」などと違い階級が低いとされていたのだがな
蕃=蛮
つまり半島の蛮族という意味で、それゆえ百済や新羅は隣「国」扱いされていなかった
だから歴史学では当時の日本の隣国は中国なのだがそう学習しなかったのか?
朝廷には朝廷から招聘をかけた歌舞など特殊才能に秀でた者や学者や人質として差し出された
百済や新羅の王子などは出入りできたが

581:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:48:07.40 jm/HEmH20.net
だから、派閥は違うけど大和系も出雲系も半島経由の稲作集団でしょ。

582:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:49:18.42 Q0im0M8z0.net
>>551
お伊勢さんの御本尊…

583:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:49:24.34 o+b12X260.net
>>517
1年半前にコロナで封鎖されていた浙江の寧波から北九州への高速回路は有名。
昭和初期から学者の間で知られるようになった。
女性が実際に30時間ほどで佐賀に着いてた記憶がある。
岸を離れれば長江河口の流れに乗って東シナ海中ほどに達し
あとは対馬海流のジェットコースターに乗り五島列島から九州北部に達する。
今から一世紀ほど前の記録だが日本人女性が単独の帆船で20数時間のタイムが出た。
イネはこのルートで1日半で日本に到着する。
朝鮮半島南部を出発すると如何に世界水準の日本の海人もそこそこの苦労が伴い
対馬海流の激流よって隠岐や能登半島に流され、北九州に来れなくなる。
そのために舟の操舵に技術が低い朝鮮通信使は対馬に辿り着けるのが精いっぱいが多かった。
引き返したものまでいる。
朝鮮の高官の遺言で情けない朝鮮通信使を嘆いている資料まで残っている。
海流や風や星を知る尽くしている対馬海人でも季節風を利用して冬場は半島から日本がメイン
夏場は日本から半島への往来が主流で速い。
要するに浙江から北九州には海流の高速ハイウエイで弥生文化の核である水耕稲作が持ち込まれた可能性が非常に高い。

584:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:49:42.09 PN3KJtT00.net
>>544
高天原で稲作してたとか、馬がいたとか書いてない気がするけど?
青銅なのか鉄なのかの武器はあったみたいだけど、もしかしたら石かもわからんし
機織りしてたとはあるけど、高天原自体の描写は極端に少ない
フワッフワで場所の推測のできそうなヒントがない

585:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:50:19.81 LTWz3kXN0.net
>>539
★ 《イネの伝搬 》 (日本と長江流域の稲作文化の共通点)
1 . 5000年前の湖南省の洞窟遺跡で陸稲発祥が確認された
2. 5000年前の淅江省の河姆渡遺跡から 水稲栽培のコメが150トン出土
3. 更にその米を静岡大学でDNA分析をした結果、佐賀県の菜畑遺跡の炭化米のDNAと一致した
コメの渡来については、 すでに 縄文遺跡からのプラントオパールの検出によって縄文中期まで その可能性が指摘されていた

4. この菜畑遺跡の確認によって、長江中流 ・下流域との人と 文化の移動 ・交流の結果として熱帯ジャポニカの渡来が明確になった

586:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:50:29.77 Q0im0M8z0.net
>>550
故郷で政変が起きて逃げてきたり
開拓精神あふれる一族がやってきたり

587:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:51:22.09 eCzU9ILR0.net
「高天原はどこか」
縄文人は自然の恵みに感謝して、あらゆる自然物を祀る祭祀を行なっていた。
これが神道の原形であるが、神道は稲作の始まりと共に日本に稲作を伝えた江南
(中国の長江下流域)の祭祀を取り込んで大きく発展した。
「記紀神話」に描かれた高天原とは、その神話を創作した人々の先祖が生きた
弥生時代の日本であったとも、日本の稲作の故郷と呼ぶ古代の江南であったとも
考えられる。
「航海民が祭った大物主神」
少彦名命が海の果てに去っていった後で、「新たな神が海からやって来て大国主
命を助けた」といわれる。
『古事記』に次のような話が記されている。
「大国主命が海岸であれこれ先行きのことを悩んでいるときに、美しい光で海面
や空を照らしながら近づいてくる神が現われた。その神は大川主神に『私の魂を
祀って戴けるならば、あなたに力をお貸ししましょう』と語った。
そこで大国主命は、その神の意向によって大和の東方の三輪山の上にその神を
お祀りした」
この神話は、大物主神を祭神とする桜井市の大神神社の起こりを説いたもの
である。
大物主神は大国主命と同一の神で、出雲の大国主命を守る「幸魂」つまり幸運
や思いもよらぬ奇蹟をもたらす神とされていた。

大物主神は、南方に広く見られる竜蛇信仰の流れをひく神である。古代の
ベトナムや江南には「竜神」と呼ばれる蛇の姿をした水の神を祀る習俗
が広くみられる。
そのためにそのような竜神が、人間の若者の姿になって人間の女性と結婚
する「異類婚」の神話や伝説も各地に残されている。

588:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:51:24.79 tthCjWxc0.net
>>553
大型船のない時代ですから、島伝いや陸のそばを離れない航行が可能なルートできたのでしょう。
山東半島から遼東へ、そこから黄海の西海岸伝いに対馬でしょうね。
水稲が伝播したルートとも一致します。

589:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:51:47.19 9qW1ImGU0.net
>>547
豊 と付くのは だいたい山陰方面からの人だよ

590:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:52:30.40 AZm+eApI0.net
異世界者はお腹いっぱいだわ

591:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:53:29.16 nxKEjkSV0.net
江戸時代の天皇は田舎の大名より貧乏でしょぼかったらしいね

592:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:54:17.41 jm/HEmH20.net
>>560
> 故郷で政変が起きて逃げてきたり
> 開拓精神あふれる一族がやってきたり
そうそう。
この場合でも海の向こうにけっこうな土地があるぞ、という確証がなければ来ないでしょ。
長江流域から日本列島を目指すバカはいないよねwww
 

593:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:54:52.63 eCzU9ILR0.net
「記紀神話の中の南方系神話」
天皇を中心とする朝廷の人々が最も愛着をもっていた物語が「記紀神話」である。
だから「記紀」神話を読み込むことを通じて、皇室の源流となる地域がどこで
あったかを知る事ができる。
さまざまな話を集めた「記紀神話」中のかなりの部分が、南方的な信仰や文化の流
れをひいている。
前に紹介した北方的な要素は一部の神話だけに見られるもので、騎馬民族の文化
の影響は表面的なところに限られている。
そこでこのあと、日本神話の中の南方的要素を持ち込んだのはどのような
人びとだったかを考えていこう。

「日本に移住した江南の航海民 」
皇室の日向に対する思い入れ『古事記』と『日本書記』の中に、日本人が北方
から来たという発想はみられない。
「記紀神話」などには、南方を日本文化の故郷とする意識が見え隠れして
いる。江南の航海民は、日本の南方から来て南方系の文化を伝えた。
そして「記紀神話」がまとめられた時代の大和朝廷の勢力の最南端が、
日向であった。
それゆえ皇室の祖先にあたる二ニギ尊が降臨した地は、日向の高千穂の峰で
なければならず、磐余彦は日向から大和に来て初代の天皇になったとされた
のである。
皇室の先祖は江南から来た


594:移住者の首長であろうか、あるいは江南系の文化 を学んだ日本に古くからいた、縄文系の首長であろうか。 武光誠  2019



595:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:55:48.88 LD6N9tnF0.net
>>1
古事記は奈良時代(710〜794年あたり)に編纂された夢物語じゃね?
世界標準の聖書は2000〜3000年くらい前からの書物
聖書を読んで北センチネル島の土人から脱出しないと
古事記読んでも何もないよ

596:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:58:57.32 Kr2e0lXQ0.net
>>563
イクメに奈良を追い出され、殺さずに落ち延びたトヨの兄、豊彦ですが、各地に一族の名前を残します。
トヨタなどがそうです。
最終的に諏訪祭祀を追い出されたとも伝承される千鹿頭神の子孫と協力関係を築き、上州に収まります。
神功皇后の子供が幼くして夭折した際に、密かに呼び寄せたのが、イニエと豊玉姫の子孫である豊彦系の、竹葉瀬君
この伝承は比較的知られていると思いますよ。

597:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:59:35.44 jm/HEmH20.net
> 天皇を中心とする朝廷の人々が最も愛着をもっていた物語が「記紀神話」である。
記紀は6世紀、稲作伝播は1世紀ぐらい。
500年もたてば、自分たちの出自なんか不明でしょ。

598:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 07:59:55.12 nYBxvsDA0.net
>>517
因島の水軍祭り? 住吉の神さまの櫂伝馬の船祭りとか?
坂越の船祭り、相生のペーロン競漕、奄美のフネィンカー競漕?
沖縄のハーリー競舟?
縄文時代から日本人は海洋民族で丸木舟か転覆しにくい装置を付けて
長距離海運して華僑などとも情報交換していたなど、人類学者や30年
ほど前から森浩一教授などが言われてたそうですが弥生時代に出雲大社
とか弥生倭人の海洋活動が描かれてるなんてすごいですね (°ω°)!

599:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 08:00:18.53 LD6N9tnF0.net
>>567
そういうのそろそろ卒業しないと
皇室の由来をいくら追ってみても
俺たちには何も残らないよ 虚しいだけ
お前さんの心に正直に 人

600:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 08:01:04.79 tthCjWxc0.net
>>558
スサノオがアマテラスを怒らせた理由は、
畔を壊して田にたたえた水を干し、田に水を引くための溝や管を破壊したこと、
生きたまま革をはいだ馬を絹の機織り場へ投げ込んだこと。
アマテラスは銅鏡に映し出された自分の姿を別の太陽神と誤認した。
スサノオがアマテラスに献上した草薙の剣は鉄器。
スサノオとアマテラスのエピソードからわかることは多いです。

601:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 08:04:14.62 HYZ2rlRD0.net
>>568
聖書よりも古い教えが古事記だよ

602:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 08:04:28.33 Kr2e0lXQ0.net
>>572
最初から本当に何もない朝鮮半島よりはロマンがありますよ
そもそも皇室は英語でいう世界唯一残ったエンペラーです。

603:ニューノーマルの名無しさん
21/09/16 08:11:24.62 tthCjWxc0.net
>>575
朝鮮半島の歴史を学べば、何もなくはないことがわかります。
エンペラーとは諸王を統べる者ですが、英国王室ですらエンペラーを名乗らないのに、
日本の天皇の英訳をエンペラーのままにするのは、おかしな話でしかありません。
天皇は諸王を統べてはいませんから。
琉球王や満州国王を統べた時代はありますけれども、過去の話です。


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