21/09/16 02:03:06.39 Kr2e0lXQ0.net
>>118
筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命こうらたまたれのみこととは誰なのか。
古代史界では謎の存在とされる。
九州王朝説の古賀達也氏によると、4~6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭王であるとしている。
さらに玉垂命の最後の末裔とされる稲員いなかず家の家系図があり、初代玉垂命とは物部保連やすつらであると記されている。
また高良大社の文書、高良記(中世末期成立)には、玉垂命が物部であることは秘すべし、それが洩れたら全山滅亡だと、穏やかではないことが書かれている。
物部氏は神功皇后期以降に政権から圧迫され地方に逃れている。
乗鞍や安曇も物部の乗っ取られたと伝承される地域もある。
外物部氏は北は秋田物部氏まであるが、共通するのは神功皇后やヒボコへの服属
家系図を誤魔化してでも、我々は朝鮮系の子孫ですとまで偽装して生き延びてきた。
出雲を滅ぼした物部氏だが、政権陥落後は出雲と和解。
さきに進出していた出雲系の安倍氏系統を頼って、各地に散らばった
武甲山の社家は物部氏だよ
飛騨王朝伝承のある水無神社は、最初ヤマトに入った物部氏で、尾張氏などに近い
故に、現在の皇室と無関係の尾張氏系の熱田神宮にある草薙の剣が、戦時中に飛騨の水無神社に疎開されている
島崎藤村のお父さんが宮司を務めていたこともある面白神社