21/09/12 04:48:36.61 m/mufbeT0.net
稲作の伝播ルートは学会では「長江 → 山東半島 → 遼東半島 → 朝鮮半島 → 北九州」でほぼ決着ついてる。
・日本には陸稲の痕跡はあっても農具が無かった
・その為に水田が現れたときに用いた農具はすべて外来のもの
・稲作伝来時、中国の江南はすでに鉄器時代、鉄製の農具が一般化していた
・しかし、中国の農具・炊具は日本に一つも伝わっていない
・弥生人が使っていたのは木製の農具や磨製石包丁であり、これらは朝鮮半島のものと同期している
・さらに日韓とも稲・雑穀(rice and millet)の混合栽培であり、これが生まれたのは山東半島付近
プラントオパールは、粘土の粒子よりも小さくて地層を潜っていってしまうため、稲作開始の証拠に使えない。
稲作と馬は、縄文時代から持ち込まれていたと強弁する者もいるが、考古学では農具や馬具がいつごろ導入されたかが重要視される。
お決まりの「北部の気候で稲作はムリー!」だが、田植えは初夏にするものなので、冬場にどれだけ冷え込もうが関係がない。
満州最北の黒龍江省は稲作が盛んで、中国でも有数の米産地となっている。五常大米で検索すればわかる。
炭化米、土器、圧痕などで検索すれば論文が見つかる。日本の研究者も現地で調査している。そして江南説を唱える者はもういない。
このことから「朝鮮半島を通って日本に伝わった」という考えが定説になっている。
■ 稲作の開始年代・地域と稲作の伝播ルート
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■ 縄文時代に稲作はあったのか「確実な稲作は弥生時代早期からというのが最近の研究者の大方の見解です」
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