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一次産品モノカルチャーの当時のフィリピン経済やインドネシア経済をアメリカや欧州との貿易
から切り離したはいいけど、彼らが独立して自活できるだけの経済圏を日本は用意できなかった。
ゴムや砂糖やココヤシを欧米に売って、かわりに衣類や食料を得るという生活をやめさせて、
日本は稲の新たな品種をフィリピンに持ち込んでコメを生産させようとしたり、インドネシアの
各地区にそれぞれ食料を自給させようとしたが、土地の実情にあわず、また病害虫にやられたり
してとん挫した。そして砂糖やゴムは、日本はすでに十分手に入れており余っていた。
ならばむしろ日本から食料や衣類などを支援してやる必要があったが、戦争をやってて内地も
年来の配給体制のもと物資が十分にはなかったので、南方の窮状は放置となり、食料・モノ不足
とインフレが起きた。