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1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事
「1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を揚げて和平を求めていたが、トールマンはこれを拒否した。トールマンは、
ルーズベルトの無条件降伏という愚かな条件に従う義務は無かったのだが。ヨーロッパにおける米国の軍事指導者達は、
無条件降伏にこだわる事に反対していたのだ。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全
である。日本の天皇は世俗国家の元首であるばかりでなく、国民の精神的権威でもある。天皇の地位は信仰と伝統に基づく
ものなのだ。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。
最終的に和平提案を受け入れたのは、「日本でなくアメリカが受け入れたということ」とフーバーは言う。
ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。