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>>280
日本統治時代
1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、連合国の主要構成国として参戦した日本軍が
ドイツ軍を放逐し、赤道以北の南洋諸島全体が日本の委任統治領となり、南洋庁サイパン支庁が設置された。
日本の委任統治開始後は、これまでサイパンを支配していたドイツが放棄していた都市開発や
公衆衛生、産業振興、地元民への教育政策が急速に推進された。
サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄え、
サイパンで産出された砂糖の積み出し港としての役割にとどまらず
同じく日本の委任統治領であるパラオやマーシャル諸島、カロリン諸島などとの間での貿易の中継地点としても発展した。
その間、準国策会社の南洋興発株式会社がサイパン島、ロタ島、テニアン島に製糖所を建設し、
アジア最大の製糖産地として発展させた。
設立者の松江春次は、「砂糖王(シュガーキング)」と呼ばれ、
彼の功績が称えられて、彩帆神社境内に「彩帆公園(現砂糖王公園)」が造園され、現職社長としては異例の寿像が建立された。