21/06/06 01:02:45.03 9p9E6A5K0.net
>>788
この結果、パラオの人口は2万人から5万人に増え、同国に未曾有の経済的発展をもたらした。
こうした統治政策で、パラオは原初的な自給自足経済から市場経済へと変わり
財産所有権も氏族から個人の手に移り、近代社会の基盤ができたのだ。
400年におよぶ植民地化の歴史の中、たった30年間に過ぎない日本統治時代が一番良かったと、
今も現地の人たちが回顧するパラオ共和国は、世界一の親日国家だと言っても過言ではない。
もっともパラオのみならず、台湾、朝鮮半島、満州、南洋諸島と、
日本が戦前に統治したすべての地域において、このように「内地」の日本と同じ社会基盤を築くことに、
何と日本の国家予算の三分の一が贈与されている。
欧米列強による植民地政策、つまり「現地からの資源搾取」とは、その様相が全く逆だったわけだ。
日本軍玉砕後、島に戻ったパラオの住民たちが見たのは、
焦土と化した島に放置されたおびただしい数の日本兵の遺体だった。
一緒に汗水流して働いた日本人。一緒に歌を歌った日本人。
パラオの人たちは泣きながら、日本兵の遺体を埋葬し墓地を作った。
この墓地は島民の手によって現在も整然と維持され、英霊の遺徳は讃えられている。