21/05/16 22:19:48.16 kGVJkyjs0.net
>>836
木材工場主のI.R.ベルマントもこう証言する。
「トリャピーツィンは 町に入市するとすぐロシア人と日本人の医師、住民の代表からなる合同委員会を任命した。
委員会は、数発の弾痕以外、オルロフの遺体には、何らの傷あとも、
拷問のあとも認められない、と断定した。
このことは、委員会のメンバーだった、ユダヤ人住民代表のデルザベットとボブロフ医師に聞いた。
トリャピーツィンは以前から、
オルロフは拷問によって殺された、と触れ回っていたが
委員会によってその結論が出たにもかかわらず、同じ事を言い続けた」
>共産赤軍支配下の尼港
ニコラエフスクに入城したパルチザン部隊は、資産家の自宅や公共施設、アパートなどを接収し、分宿した。
入城セレモニーの後、
トリャピーツィンは、赤軍司令部によって、自身がニコラエフスク管区赤軍の司令官に任命されたことを宣言し
本部はノーベリ商会の館に置くことと、赤軍の人事を発表した。
参謀長はナウモフ。レホフとニーナ・レベデワ・パウロウナ・キャシコが本部宣伝部門指導者。
チェーカー3人、軍事革命裁判所メンバー5人、などである。