21/05/10 15:25:20.33 fQnyeUpB0.net
>>62
卑弥呼の逸話がアマテラスに繋がるとみてるからじゃね。
88:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:25:21.87 FucWQtWo0.net
4世紀には畿内に古墳がある
89:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:25:31.02 +BzYMFsi0.net
甕棺墓群
銅矛・銅戈、銅鏡、銅剣、勾玉の同時埋納
いずれも朝鮮半島は関係ない。
稲作は、中国の揚子江河口域⇒北部九州⇒朝鮮半島南部 へと伝播したことがほぼ確実。
しかも日本人が教えて あげた のに、朝鮮半島の先住民は稲作を習得できず、鳥の餌みたいな雑穀を食う生活に退化したというのも定説。
やがて日本(倭)の軍が南から、高句麗の軍が北からやって来て、朝鮮半島で両軍が戦うが、
先住民は属国以下のザコ扱いでウロウロするだけだったと、好太王碑に書いてある。
90:あれれ?
21/05/10 15:28:31.69 MWhATa1W0.net
🇭🇺👩「🇯🇵日本語が一番簡単」
91:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:29:46.65 MWhATa1W0.net
>>85
北元の印鑑の話?w
92:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:30:16.37
93: ID:7nxhvFzN0.net
94:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:30:30.61 m87VO23s0.net
先に発見されてしまったか… 素人歴史研究家では限界が有ってなぁ(-_-;)y-~
95:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:31:33.97 MWhATa1W0.net
>>75
君たちは契丹だぞw
裏切りやがってまぬけめ!
96:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:32:31.74 fQnyeUpB0.net
>>70
前漢時代の遺跡ならば
その可能性は十分あるよねえ。
もしそうだとしたら、
なぜ漢が遠く離れた小国に
金印を授けたワケも理解できる。
97:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:34:16.37 rQ/2hVwe0.net
>>86
天照大神は役職名だから、その代によって男だったり女だったりするのになぁ・・・
須佐之男と兄弟だった天照大神が、須佐之男の7代後の子孫の大国主命の時代に
天照大神の使者から国譲りを迫られてるのを考えれば分かるだろうと思うのに
98:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:36:38.11 5uT4RSUx0.net
>>47
記事にそんなの書いている?
まあ、桃は神話にも出てくる通り
古くから魔除けとして用いられていた木だから
桃が出てくることはそれなりの意味があるが
99:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:37:11.36 rQ/2hVwe0.net
>>91
破鏡を蛍光灯と変えて考えるとその節が無理矢理なのが分かるよね
世界中で蛍光灯の欠片が見付かってるからと言って
蛍光灯を発明したドイツが世界中を領土にしてたとは成らない
100:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:37:14.36 MWhATa1W0.net
豊かになるまで
契丹語とかは黙っておけ、と。
101:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:38:38.04 AaN27QMS0.net
ゴッドハンドが出てくるまで信じないぞ
102:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:38:59.32 x/VffcJn0.net
こういうのってどうして西日本に集中しているんだ?
103:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:39:19.95 HnvpMxSO0.net
(´・ω・`)だから占いや呪いで九州から奈良に遷都していったんだって
104:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:40:20.53 HnvpMxSO0.net
(´・ω・`)もう少し西に行けば唐津に鏡山つーのがあるよね
105:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:41:16.77 5uT4RSUx0.net
>>86
もともと太陽神信仰は、伊勢など一部の地域だけのローカル信仰だよ
物部氏の祖とされる饒速日など、その名前から太陽神であることが確実視されているが
北九州の神には太陽神信仰などあったか?
106:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:41:25.63 whGhqheo0.net
偉大なる小室天皇陛下のためにすべての日本人は死ぬ義務がある
小室天皇陛下がお喜びになる広大な領土を獲得するため戦争をする必要がある
107:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:42:04.18 MWhATa1W0.net
>>42
これ?
URLリンク(www.fnn.jp)
108:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:43:09.30 U/fUKbpe0.net
テレビ、冷蔵庫、洗濯機か?
109:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:43:19.76 xZ9VBWqU0.net
>>91
鉄鏃が大量に出土した横断地域が
2016年の熊本地震の震央のマップにそっくりで面白いね
URLリンク(www.gsj.jp)
110:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:44:20.56 zM6w0VMa0.net
>>100
57年に後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年に生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の「筑紫城」は
後漢にとっては「倭奴國」漢委奴国王だろうけど
220年 に「後漢」から皇帝の座を奪い取り
238年 に 司馬懿が「公孫淵」を討ち果たし
公孫氏から楽浪郡と帯方郡を取り戻した
「魏」にとっては
狗奴國だ
111:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:44:54.29 5uT4RSUx0.net
稲作が朝鮮半島から伝わったのは古い説であり
実際は中国の沿岸部から直接、渡ってきたと考えられる
朝鮮半島も北朝鮮は寒くて稲が育たない。
稲作の伝播は、陸伝いに朝鮮半島に行く途中で一旦は途切れていて
日本の方が稲作が始まった時期は早かった事が、現在では遺跡などからと考えられている。
朝鮮半島に近い北九州が特別、先進地域だったとは限らないわけだ
112:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:45:51.42 xZ9VBWqU0.net
>>107
大分熊本構造線に沿ってる
113:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:46:31.25 sex6t83P0.net
王位、王権、統治の根拠を三種の神器に設定してる時点で
天皇やその他の王族がしばし血統が途切れている証拠なんだよねw
そもそも日本は王権神授のアイデアが出なかった
天皇、統治者が神って原始統治のまま文明勃興、中世まで突入しちゃった
普通だと文明発展の段階でこの設定が不味いことに気が付き王権神授に転換させる
だって神そのものだったら空中浮遊とか見せないと説得できないじゃん
で、日本は仕方なく、いまさら設定変更もできず
中途半端に王権の根拠を三種の神器に設定後付したわけだが
血統が明瞭に継続してるなら不要だし、一種で良い
血統が途切れた時に別の人に次の王位王権を継承させるには
三種の神器の設定を使うしか仕方がない
てか刀は海に落とすわ玉は燃えるわ、そもそもぱちもんコピーだしw
むちゃくちゃで笑えるw
114:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:47:52.51 7nxhvFzN0.net
>>97
>破鏡を蛍光灯と変えて考えると
その考え方が無理やりなのは分かるよな?w
当時の金属器は現代の蛍光灯のように誰でも持てるような代物ではない
君の考えは極めて愚かだ
115:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:48:37.35 rQ/2hVwe0.net
>>112
当時の蛍光灯は何処にでもあるものじゃ無かったぞ?w
116:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:50:08.17 zM6w0VMa0.net
>>109
いーや
朝鮮半島に近い北九州は
57年には、後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年には、生口160人を献じ、安帝に謁見した
特別、先進地域
たった10人しか生口を献じられず
街道もろくに整備されていない邪馬台国とは違う
117:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:50:40.29 rQ/2hVwe0.net
>>112
おっと途中で送信してしまった
当時の蛍光灯は何処にでもあるものじゃ無かったぞ?w
100年かけて世界中に広まった
破鏡は何年かかって広まったんだ?
118:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:52:01.39 4HXeBHug0.net
>>111
記紀がそういう作りになっているからな
いまの学会は記紀原理主義で宗教そのものになってしまっている
なぜ今の歴史学会考古学会が九州王朝説を忌み嫌っているか
それは同説に従うと正当な天皇が文�
119:垂ゥらということになってしまうから それでも世界に冠たる1300年王朝なんだからぜんぜん構わないと思うんだけどね
120:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:52:28.06 fQnyeUpB0.net
>>103
ヒミコって名前の音じゃね?
日の巫女?
え?太陽信仰してたの?みたいな?
121:ホーホケキョ♪
21/05/10 15:53:21.94 MWhATa1W0.net
URLリンク(gasazip.com)
カッコウ
日本語では、「kakkou」
ハンガリー語では「kakukk」
フランス語では「coucou」
スペイン語では「cuclillo」
イタリア語では「cuculo」
ルーマニア語では「cucu」
ロシア語では「кукушка」
ブルガリア語では「кукувица」
122:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:54:11.53 7nxhvFzN0.net
>>72には大分大野川流域の他にもう一箇所熊本平野からも古墳時代になると
破鏡が消滅することが書いてあるが、それと狗奴国の土器といわれる免田式土器の消滅も同時期でリンクしている
751 :日本@名無史さん :2020/07/26(日) 01:44:14.55
免田式土器という弥生土器のグループがある
卑弥呼の時代に作られた土器であり、古墳時代に入ると消滅する
その分布を見ると、免田式土器は狗奴国の土器であると考えられる
URLリンク(sitereports.nabunken.go.jp)
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同lじ頃と考えてもよいでしょう。
URLリンク(special.sankei.com)
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇地域
菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれはそこで生産されたのではなく交易などによって散発的に拡散したものだろう
123:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:54:34.14 xhQQsFv/0.net
在日がまだいない平和な時代であった。
124:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:55:23.70 5LqdgZdZ0.net
都が東に内陸に移動した結果、朝鮮半島に対する影響力を失っていってたと思うよね普通。
最後は白村江でジ・エンド
125:ホーホケキョ♪
21/05/10 15:55:24.97 BwsiN44o0.net
なんか似てるんだけど……違うなぁw
Σ🇯🇵👱え?!
今なんて言った?って事良くあるんだけどw
126:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 15:56:11.21 7nxhvFzN0.net
>>115
お前は蛍光灯が発明された時代と弥生時代の物流が同レベルだと思うのか
やはり極めて愚かな人物だな
127:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:00:06.47 x/n5SZlh0.net
>>105
興奮が伝わってきてワロタ
128:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:00:21.01 7nxhvFzN0.net
>>119の免田式土器の分布集中範囲の境界と>>91の鉄鏃集中ラインも一致している
これほど情報があって邪馬台国の位置を推定できない考古学会は九州であるという結論から逃げているだけ
これまで畿内説を唱えていた学者が間違いを認められずに足掻いているだけ
752 :日本@名無史さん :2020/07/26(日) 01:45:38.02
>>751の奈文研にある資料のpdfにあった免田式土器の分布や説明に解説をつけたもの
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
やはりどう見ても菊池川より北は邪馬台国側のようだ
753 :日本@名無史さん :2020/07/26(日) 01:58:13.05
>>751-752を総合すると、魏の使者が上陸した九州北岸から熊本の菊池川以北が共立国を含めた女王の勢力圏であり
菊池川以南の熊本平野、人吉盆地、阿蘇地域が狗奴国の主な国邑だろう
狗古智卑狗=菊池彦からの推論で菊池は狗奴国というイメージが強いが、菊池と呼ばれる地域は南北に広く、
菊池川よりもっと南の白川流域にも熊本県菊池郡が存在しており、狗古智卑狗の本拠地はそちらと考えられる
菊池市の菊池川以北に肥後の山門(肥後國菊池郡山門郷)があるのも無関係ではあるまい
これらから考えられる邪馬台国の位置は>>190に近いものとなるだろう
129:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:01:25.60 xZ9VBWqU0.net
>>119
破鏡の消滅理由として、鏡が量産できるようになったため
という考え方は無いのかな?
130:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:02:24.87 OQEYwfxd0.net
皇族しか装備できないの?
131:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:02:57.42 7nxhvFzN0.net
>>72,91,125等の諸々の考古学資料に基づいて出された日本史板での結論
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう
132:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:03:03.97 BwsiN44o0.net
URLリンク(japan.fandom.com)
やっぱ、日本人ってトルコ系(突厥?鮮卑?)の血入ってるんでしょ?
源を名乗らせてるし。
ウイグル弾圧して、ほんとくだらん事やってるよなー
133:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:03:41.85 A/7OH10i0.net
今の天皇も前の王政をほろぼしたんやろな
134:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:05:20.88 MS44kqSf0.net
3世紀の鉄器分布を見れば九州北部がズバ抜けた先進地なのは明らか
その鉄器交易は公孫度から公孫淵の公孫氏3代(189から238まで楽浪帯方)と倭人との交易によるもの
つまり倭人とは概ね韓国南端から九州までと大陸側からは見えていたし
実際にも九州がズバ抜けた先進地であった
公孫氏を大いに破り皇帝レースに名乗りを挙げた司馬懿は倭国に張政使節を長期派遣
その見聞を記す倭人伝も九州の地名ばかりである
はっきり言えば倭人伝とは九州北部の繁栄を描いた記録である
では張政はなぜ不可解な旅程を書いたのか
公孫氏と司馬氏しか実態を知らない蓬莱の朝貢国は大きいほうが司馬氏に都合が良かったからである
禅譲し司馬帝室が誕生すると張政は台与と別れすぐに帰国する
司馬氏が帝位レースに勝ったことで邪馬台国の役目はほぼ終わったのである
135:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:07:10.05 xZ9VBWqU0.net
>>125
つまり狗奴国は後に中央から熊襲と呼ばれる人になったということかな?
136:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:07:52.99 AMV3d8020.net
>>94
大和政権成立後即座に着手したことのひとつが
日本の皇族と他国の王朝との混交を示す資料の焚書
皇室は呉越楚あたりの流れも汲んでいるはずだが
そのへんの手掛かりとなる資料をつとめて回収した
それは当時の支配者たちが「自分たち自身も日本人として」
定着する覚悟のあらわれだったのだろうが
後世の学会や教育界から見れば不幸なことでもあった
最近では民間の研究者たちの間で姫氏松野連氏系図とかが
見直されてきているので記紀にとらわれない研究が進むかもしれない
「正統な」歴史学会考古学会の方々はセルフ置いてきぼりだろうが
137:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:11:39.72 hqZ5aDsq0.net
盗まれたニダ
138:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:11:50.50 8yz999hV0.net
>>132
狗奴国って「犬野郎の国」だね
熊襲って本当は「熊楚」だったんじゃね?
139:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:12:00.38 NKtEs+B90.net
豪族とかいうヤクザ
140:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:13:13.46 xZ9VBWqU0.net
>>128
伊都国からの水行がちょっと苦しそうだけど?
141:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:16:59.31 5EFnkGoR0.net
いまのこのご時世の三種の神器とか笑うわ
ドラクエかよw
142:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:18:03.75 BwsiN44o0.net
🇯🇵俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌
で、隋だけが知っているこの王は何者w
任那日本府の王?
143:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:19:54.52 fQnyeUpB0.net
>>135
すると、
初めに呉が来て
次に楚が来て
最後に越が来て
余ってた北陸地方をあてがわれたってコトになるのかな?
144:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:20:42.80 C0G/pvPi0.net
天皇の髪の毛引っこ抜いてきて遺伝子解析すりゃいろいろ答え合わせは終わっちゃうんだろうな
145:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:21:11.12 gFCoEktl0.net
>>103
太陽信仰自体はもっと古いよ。
環状列石による二至二分の測定なんて、縄文時代中期から日本中にあるよ?
146:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:22:08.53 w2HuGm/y0.net
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46
大給松平家菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
147:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:22:59.35 sIde9dsr0.net
>>95
隋の皇帝に遣いを送った聖徳太子の名を隋書ではアマタラシヒコって書いてるんだよね。
つまりアマテラスの男版?
148:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:26:34.25 42IDVumZ0.net
新しいものがでると旧石器捏造事件を思い出すのよね。今も体質的には変わってないみたいだけど
149:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:27:39.76 ReEmeHH00.net
>>144
アマタラシヒコは和邇氏のルーツのアマタリシオシヒコの系譜の人だと思う
150:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:28:34.19 0GsF8cVb0.net
炎の剣 力の盾 霞の鎧が!?
151:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:29:06.00 nbTreXRN0.net
また倭人が朝鮮半島を支配下に置いてたことがバレてしまうのか
152:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:30:53.14 g0QYrbck0.net
早良区と言えば福岡タワーとペイペイドーム
153:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:30:56.34 UeKLXsiC0.net
>>132
狗奴国は熊国なんだろうが
狗奴国は邪馬台国と同程度の文明だったと思われるので王も木造の宮殿に住んでいたと思われるが
クマソタケルは洞穴の中に住んでいた
どうも同じ人達とは思えないので
卑弥弓呼の後に
154:襲の国のほうが優勢になったのかなぁと 邪馬台国にもトラブルがあったが狗奴国にもトラブルがあったと思われ >>135 国後島のクナシリはアイヌ語で黒島か草島の意味だからどっちかだと思われ 狗奴国はおそらく黒国の意味
155:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:31:04.94 EMawHp/30.net
欠史8代の天皇様の頃だろ。
三種の神器があって当然じゃないか。
156:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:31:08.57 ReEmeHH00.net
>>142
日時計みたいな道具的なやつを太陽信仰って言うのかね?
太陽祭祀をやり出したのは三輪山祭祀をやってた人らじゃねえか
157:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:32:49.15 xZ9VBWqU0.net
発掘された神器が何か自前の手作りっぽい
特に鏡が稚拙
源流かもしれないし、誰かの物真似かもしれないし
158:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:34:14.00 PAn8oXwW0.net
天孫降臨でニニギが九州の高千穂に
三種の神器持って来たからそれだったら
神話が神話じゃなくなるな。
159:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:36:23.85 2a43PL8Y0.net
>>140
古代中国の越→北陸の越となるかどうかわからんがどうかなー
ただ漢民族に追われた古代中国の人々が春秋以後に次々流れ着いたのは確かだろうな
海に逃げれば海流に乗って自然に日本列島に流れ着く
それ以前にユダヤ系やらインド系やら来てたかもしれんし
>>145
この遺跡の
調査が開始されたのは50年ほど前
発掘が開始されたのが40年ほど前
国指定の史跡に指定されたのが30年ほど前
新しくもなんともない
マスコミが今までだまーってたから知られてないだけ
160:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:36:42.51 7nxhvFzN0.net
>>126
銅材料が全量輸入だった時代なのでそれは無理があるだろうね
大量に銅を使う完鏡は王侯貴族の持ち物でしかあり得ない
破鏡は>>91のとおり邪馬台国の兵士の地元の他に出征先からも出土するので武人階級の持ち物
URLリンク(copper-brass.gr.jp)
> 日本の銅
> 日本で初めて銅 が使われたのは紀元前300年頃(弥生時代)といわれています。
> 日本における銅の歴史は、中国大陸から渡来したもので、当時は北九州を中心に銅剣・銅鉾・ 銅鏡など青銅器文明が栄え、その後、東日本に向けて広まっていきました。
> 国内で銅鉱石を初めて産出したのは西暦698年(文武2年)で、因幡国(鳥取県) から銅鉱を朝廷に献じたと伝えられています。
161:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:37:24.20 5EFnkGoR0.net
>>153
古代の創作物なんていまの中学生が自作するものよりクオリティ低いだろ
162:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:39:06.44 lC016u1F0.net
邪馬台国とかここで特定できないのかよ 情けねーなお前ら
163:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:39:21.05 HWETVL6a0.net
>>105
何度見ても興奮度合いが面白えwww
164:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:39:59.68 L+RYjs0X0.net
あるいは倭国王を名乗り金印を手にした師升の本拠がこのあたりだったのかもしれませんね。
そしておそらく後発の伊都国によって滅ぼされたのでしょう。
165:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:40:26.50 3kcsgHZ/0.net
伊都国から山を隔てたとこの地域だな
車で15分くらいの距離
166:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:41:21.39 ReEmeHH00.net
>>154
三輪山の太陽祭祀やり出した人らのルーツが南九州なのかもしれないな
たぶんその人らの神器は勾玉で、鏡は道教祭祀の道具で、剣は北九州勢力の神器っぽい
三種の神器は色んな部族の神器を合わせたものだろう
167:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:41:4
168:1.42 ID:n9ZdwBCk0.net
169:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:42:41.00 xZ9VBWqU0.net
>>156
奈良桜井から81枚出てるけど、時代的にはずっと後だし、量産により価値がなくなった説は無いということですね
170:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:42:43.71 FAAQdOZ90.net
>>36
うああ、決定的じゃん(´・д・`)
171:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:43:40.45 7nxhvFzN0.net
>>132
おそらくね
破鏡や免田式土器の消滅から見て、3世紀の終わり頃には熊本平野南部や阿蘇地域は邪馬台国によって征服された可能性が高いけど
周囲を山に囲まれて進入路が球磨川を遡るくらいしかない人吉盆地は狗奴国の残党が残り熊襲と呼ばれるようになったんじゃないかな
邪馬台側としても山の中に引きこもってる相手を攻めても被害が大きい割に得るものが少ないから放っといて東征始めたと考えられる
172:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:44:22.46 ihPBdf3k0.net
知ってる!
バイブと電マとローターだろ
173:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:44:23.18 xZ9VBWqU0.net
>>157
銅鐸とか見て、すごいから
174:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:44:39.21 3kcsgHZ/0.net
>>149
ドームは中央区…
175:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:45:18.03 7nxhvFzN0.net
>>164
原料が貴重なので多分無いでしょう
176:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:46:25.93 E9K9VwIH0.net
捏造した遺跡を発見する詐欺師っていたね。
177:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:46:56.63 44ecfXvO0.net
>>10
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
ユダヤ10氏の末裔だから。
178:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:47:16.26 FAAQdOZ90.net
>>64
実際は神武は古くて西暦100年くらいまあ、大体250年くらいらしいな(´・д・`)
179:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:47:28.68 BwsiN44o0.net
大陸にも倭があったんじゃないのか?
別働隊?
180:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:47:38.73 iY774zsB0.net
テンガ、電マ、ローター
181:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:47:46.86 aPmDFAYo0.net
広開土王碑で想像すると391年までに邪馬台国と熊襲は闘いが終結してるよね
国内で戦争してたら半島に戦争しかけるなんて土台無理なはず
182:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:48:51.76 7nxhvFzN0.net
>>137
水行10日ならこのくらいの距離感でしょう
ちなみに水行十日陸行一月はそれぞれ別ルートで行った場合の日程
2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
URLリンク(www.kanripo.org)
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
URLリンク(wenku.baidu.com)
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり
183:陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
184:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:49:46.54 lC016u1F0.net
たくさんあったクニのうちの1つが邪馬台国で、他のクニにマウント取りたいがために大陸バリアもらいに行っただけじゃねーの
185:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:49:47.60 C7IFr1nD0.net
>>1
天皇の証である三種の神器といわれる棺におさめられたものはたくさんの棺から福岡から発見される
あとはわかるな?
186:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:53:08.14 19E/505a0.net
やっぱり福岡だな
187:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:55:28.72 ReEmeHH00.net
神武東征は北九州の勢力が奈良に攻め込んだ話を弄くり回して出来た話だろうな
時間軸的には卑弥呼の死後、248年よりも後だろう
188:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:56:06.29 nUPI6KqI0.net
>>26
二重瞼(ふたかわめ)で目がパッチリ大きくて
皮膚にシミができやすくウインク出来るのが縄文人の特徴
189:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 16:58:23.10 MS44kqSf0.net
神武は実在しないほうがしっくり来る
崇神こそ最初の近畿の大和政権の創設者で、貴種血統が薄いので
九州直系の貴種と云う伝承を作ったのだろう
ではなぜ崇神政権でいきなり大和が巨大化したかだが
これは言うまでもなく朝鮮の先進文化を朝鮮移民から継承したからである
当時291年の八王の乱で司馬氏は大混乱に陥り事実上朝鮮支配を失う
これにより朝鮮は動乱の時代になり多くの難民移民が蓬莱の島国に移住したのである
その中で特に労働力が必要だった後進地域の奈良盆地は多くの朝鮮移民を受け入れた
大和政権とは朝鮮人のおかげで大発展した新興地域なのである
190:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:01:01.58 FAAQdOZ90.net
>>121
最初は徳川家康みたいな感じで東遷したのかなあ(´・д・`)
191:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:02:51.96 Hqpw+97A0.net
>>176
邪馬台国=姫氏(呉)
熊襲=熊氏(楚)
袁氏(陳)
の三つ巴でくんずほつれつの末、九州王朝成立
姫氏系統の磐井天皇が熊氏袁氏のクーデターで敗れ継体天皇が即位
この継体天皇は長田大塚古墳に葬られる
なぜか長田大塚古墳の正体を知る宮内庁は関係各所に根回しをし
大分自動車道山田ICの建設予定地をずらさせ同古墳を守った
宮内庁は散逸したとされている記紀以前の書物を秘蔵している疑いがある
192:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:03:05.42 m5VuTMkc0.net
半島情勢と邪馬台国 その1
B.C.108年 前漢によって楽浪郡設置
30年 土着漢人の王調が反乱するも後漢が取り戻す
57年 奴国が金印を授かる
184年 黄巾の乱によって三国時代に突入
189年 公孫度が朝鮮半島へ進出
204年 公孫康が帯方郡を設置ほどなく魏へ恭順する
237年 公孫淵が呉の孫権と同盟を画策し独立宣言
238年 魏の太尉・司馬懿に滅ぼされる
193:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:03:21.27 m5VuTMkc0.net
半島情勢と邪馬台国 その2
238年 出来立てほやほやの魏配下の帯方郡へ卑弥呼が朝貢
245年 辰韓八国が誤解によって帯方郡に反乱するも滅亡
247年 邪馬台国と狗奴国との戦闘が激化
卑弥呼死亡その後内乱が続く
十三歳の壱与を立てて王と為し、国中が遂に安定した
194:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:03:33.53 m5VuTMkc0.net
半島情勢と邪馬台国 その3
265年 西晋が発足
280年 中国統一
300年 八王の乱でまた荒れ始める
313年 高句麗が南下して楽浪郡を占領
5世紀前半 帯方郡が百済に征服される
5世紀後半 帯方郡が高句麗に征服される
5世紀 倭の五王との交流が宋の記録に残るが、日本書紀などとの記録と微妙に異なる
7世紀 遣隋使、遣唐使の記録と大和朝廷の記録がほぼ一致
195:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:03:46.58 m5VuTMkc0.net
半島情勢と邪馬台国 その4
大国が荒れると、倭国も荒れる。
奴国による100国連合時代は、半島から鉄を取り、九州から山陰の一部まで普及させている
ところが三国時代に突入すると、倭国も大乱になり、30国の連合国家として復権しようと努力してるころの記録が魏志倭人伝
倭国統一と大和朝廷発足に動き始めたのはどの時代のどこの勢力なのか?
倭の五王から推測できることは、倭国の権力がまだ一定ではなく統一的でもない
半島の利権にこだわりが高く、最終的に新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の統治についての公認を得たということ
196:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:06:56.52 xZ9VBWqU0.net
>>177
陸行一ヶ月ってかなり遠いと思うけどなぁ
197:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:07:13.42 aTyF92e20.net
これ凄いのに伸びない
198:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:09:24.88 7nxhvFzN0.net
あと>>72について、養蚕の伝搬ともリンクしている
絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという
その秘伝の技術が古墳時代前期には破鏡と同様に本州に広がる
これも東遷によって九州勢力が持っていったと考えるのが自然だろう
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
> (iv)九州から本州への養蚕伝播―
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。
199:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:10:11.06 xZ9VBWqU0.net
出土した多鈕細文鏡は朝鮮半島様式の銅鏡なのね
200:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:11:09.93 BwsiN44o0.net
肖像画が、ちゅごくの人なんだから
ちゅごくの人じゃないの?
原本はウイグル文字で書かれてても
201:sage
21/05/10 17:12:00.60 nUPI6KqI0.net
>>162
「霊幻道士」観れば分かるが道教の道士は剣を使う
202:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:13:22.01 MT5WC+zy0.net
>>191
というかそれ以前に知名度が無い
国指定の史跡に指定されたのは30年も前なんだがね
記紀原理主義の学会に都合の悪いものはマスコミもとり上げにくい
今回西日本新聞が大々的に記事にしたのは記紀原理主義からの脱却の第一歩といえる
203:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:18:56.44 7nxhvFzN0.net
>>190
魏志倭人伝では末廬国の上陸後の記事に、草木が深く生い茂って前を進む人の姿が見えない、とある
「至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 �
204:趨リ茂盛行不見前人」(魏志倭人伝) 魏の使者が上陸する港でこれだから、当時は集落を囲む環濠の外にはそういう道なき道しか無かったのだろう 当然河川には橋も無かっただろうし陸路での移動はとても遅くなったと考えなくてはならない ちなみに古代中国においては一日の標準的な行軍距離を一舎と言い、一舎=三十里とされる http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/KanjirinHB6i.html > 【舍】 > ④軍隊の一日の行軍距離の単位、一舎は三十里(約15km)、「一舎ごとに一宿する」ことから 約15kmと大雑把に書かれているが後漢の一里は414メートルなので計算すると12.5km程度でしかない 現代人の我々から見ると随分遅く感じるかも知れないがこれが当時の中国の常識だった 平地が多く街道の整備された中国本土の標準でこれなのだから、「草木が生い茂り前を行く人間が見えない」倭国の道なき道ではその半分以下も充分有り得る
205:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:19:08.56 ReEmeHH00.net
>>195
剣も道教と関係あったのか
何にせよ、ヤマトの祭祀でもともと使ってたのは勾玉だけだろう
あとは祖霊信仰の祖霊の依り代としての銅鐸もあったけど、記紀は銅鐸を無かったことにしたんだよな
206:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:22:02.37 xZ9VBWqU0.net
>>192
技術文化的には大陸に近い九州>>>西日本>>近畿
へと伝播していくんだけれど
あくまで状況証拠であって、邪馬台国や東遷の証拠が揃ったかと
言われると、可能性高いとしか、、、
207:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:22:22.97 zy4Btwbn0.net
>>192
九州王朝説の古田武彦が九州北部から三種の神器が出土すると予言し
その10年後にこの遺跡から実際に出土した
出土物自体はきわめて貴重なので国指定の史跡にまでなったが
「正統な」学会の皆さんにとってはにっくき古田の予言を裏付ける苦々しい遺跡でもある
なのでマスコミもあえて注目してこなかった
208:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:23:16.42 OtP9ZWKM0.net
ゴッドハンドとかいるからなあ
209:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:23:34.08 2aEaZYv30.net
>>77
中国地方は出雲なんか
210:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:25:20.15 0o+35hNZ0.net
>>105
え!ガラス出土してね? 🐫ペルシア?!
211:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:25:22.98 GHSm2nlJ0.net
>>183
崇神=みまき/いりびこ/いにえのすめらみこと
そういや北九州に水巻町ってありますな
いりびこって養子か何かかな?
いにえって何だ?
212:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:25:30.34 8Wh7f0kA0.net
洗濯機、冷蔵庫、エアコンあるいはテレビが出土!?
213:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:25:56.64 m5VuTMkc0.net
魏志倭人伝は、中国に残された日本の詳細な記録として注目度が高く
その歴史的価値の高さから、多くの日本人は日本全体に及んでいると錯覚するが
時代背景から考えて、そんなことはなく、半島情勢の一旦に倭人が絡んでいるから
大国からみて、朝鮮半島をどのように制御、管理するのかという観点で記録したに過ぎない。
214:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:27:38.89 nUPI6KqI0.net
>>197
三国魏第2代皇帝曹叡 (そうえい) =明帝が襄平の公孫淵を征伐する
215:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:28:28.63 DhsXjYPj0.net
>>105
これすごいよな、至急調査すべし
ひょっとしたら三内丸山級の遺跡かも
福島の復興の一助になるかもしれん
216:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:29:48.83 EXWRlAtm0.net
>>22
我が魂は不滅じゃ!
217:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:31:25.35 jKSXMxCX0.net
卑弥子が一言↓
218:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:31:32.01 9DdfQT2U0.net
当時、朝鮮半島の南部は大和民族の支配地域です。今の朝鮮人とは別物。
今の朝鮮人は、満州から南下した女真族。大和民族を倒した。白村江の戦いで負けた。
女真族は豚と暮らしていました。焼き肉文化の原点、馬と同居した文化と同じ。
李朝は女真族の末裔です。大和系の大半はヌヒとして生き残ってきた。
で、大半は滅び、現在の朝鮮人は女真族の末裔が占めている。
大和民族と別物です。DNAが証明してます。
219:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:31:43.07 ZAYcp7kE0.net
>>203
熊本かよw
220:思いっきり矛盾
21/05/10 17:33:22.01 ZAYcp7kE0.net
『新唐書』卷220列傳第145 東夷 日本に「用明 亦曰目多利思比孤直隋開皇末 始與中國通」とあり多利思北孤を多利思比孤とし用明天皇としている。
『日本書紀』では橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)
『古事記』では橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)
別人。
221:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:35:01.75 E7KJRhGF0.net
邪馬台国より400年も前なのに
関係あるとか、さすがに飛躍しすぎ
今から400年前ならまだ豊臣家の大坂城健在
内閣府のマークが豊臣家の家紋と同じだからって
関係あるとか2000年後の考古学者が判断したら
飛躍も甚だしいと突っ込むわ
222:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:35:53.06 JTIGTtof0.net
あー、まだ4日ルールの内なのか。じゃあまったり邪馬台国から大和王権への
話を続けようかな。
223:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:40:14.47 m5VuTMkc0.net
逆に倭人からすると、文化の中心は中国にあり、半島は利権の巣窟であることから
最初の交流と発展がそこから始まるが、統一と滅亡を繰り返す歴史とともに
倭国を統一して巨大な勢力からの脅威に対抗する必要性に迫られていて
武力のみで制圧する歴史から、信仰による統一を取り入れたのが天皇だということだろう
もちろん、その道のりは困難で、何度も抵抗や内乱などの争いは続くが
根本的な制度を守り切って今日の日本が存在するということ。
224:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:41:24.23 xZ9VBWqU0.net
糸島氏から八女までが大凡70km
道すじが違っていたとしても100kmほど
1日5km(うーむ、、、)として20日
225:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:44:40.73 dduLOpXl0.net
>>3
卑弥呼もTVで演説してたのかな
226:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:45:48.23 balBgPgE0.net
まさに九州王国の存在証明か。
227:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:46:12.64 WOFDSapF0.net
昔から人はいたんだから、何か国っぽいのあったかもな歴史に残ってなくても。
そしてそれは世界中でも同じ
歴史のない時代の歴史って、何かそそるな。
228:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:46:37.99 nUPI6KqI0.net
>>197
三国魏第2代皇帝曹叡 (そうえい) =明帝が襄平県 (現在の 遼陽市内)の
公孫淵征伐後の論功行賞会議で洛陽からの距離を「4千里」と発言している。
三國志 -> 魏書第三巻 明帝紀
初,帝議遣宣王討淵,發卒四萬人。
229:議臣皆以為四萬兵多,役費難供。 帝曰:「四千里征伐,雖云用奇,亦當任力,不當稍計役費。」 遂以四萬人行。
230:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:49:14.69 xZ9VBWqU0.net
>>214
少なくとも同じ価値観を持った人たちにより
続いていたってのがわかるけど
231:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:49:36.38 ReEmeHH00.net
>>216
豪族によって信仰してたものは違うだろうし、最高神のアマテラスは早々に伊勢に追いやられてるし、
信仰で纏めるのは厳しいんじゃないか?
232:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:54:22.19 balBgPgE0.net
邪馬台国近畿説完全消滅だね。
233:通りすがりの一言主
21/05/10 17:56:27.73 7P80tBML0.net
畿内説オワタ/(^o^)\
234:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:58:01.96 m5VuTMkc0.net
>>223
大和朝廷の発足において重要な役割を果たしたのが、古墳と天皇の存在であることは疑いようがない
もちろん、あなたのご指摘の通り、信仰による統一の試みは世界中で行われ、
現代においても新興宗教や政治参加によって支配力を高めようとする勢力は絶えない
国イスラム国みたなものも生まれたが、国レベルでうまくいっているところはほとんど存在しない。
そんな中、日本だけは天皇が今でも存続しているという不思議な現実がある。
なんでだろうね?
235:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 17:58:52.09 nUPI6KqI0.net
>>198
少林寺拳法が禅宗の坊主の武術で
太極拳を始めとする太極武術は道教道士の武術だ。
勿論太極剣術もあった。
ちなみに「武道」という言葉は和製漢語で
支那語には無く「武術」と呼ぶ。
236:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:00:50.31 rQ/2hVwe0.net
>>123
ドイツで作られた蛍光灯が世界中に広がるのと
徒歩で1ヶ月、2ヶ月圏内に破鏡が広がるのと
どっちが遠距離だと思ってるんだ?
237:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:03:22.39 FucWQtWo0.net
邪馬台国がどこかはわからんが九州勢が畿内にやってきて朝廷をひらいた
238:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:04:02.26 rQ/2hVwe0.net
>>227
少林寺拳法は日本で出来た武術どからな・・・
239:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:04:27.95 JTIGTtof0.net
>>183
神武(崇神)
欠史八代(非実在)
崇神
垂仁
まではこれでいいかな。問題はこの後の景公から応神を経て
継体までがすごく怪しい。
240:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:05:01.59 sjqfBWlj0.net
勾玉って縄文人が作ったんじゃないのか
241:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:05:42.75 mmwuyK8t0.net
言ってることは事実なんだが・・・
出雲とかの日本海の銅鐸系青銅器とは別で、
九州北部で卑弥呼の250年辺りまで継続した
大陸と交易の有った文明なわけだけど
邪馬台国の王は、大和朝廷の大倭王
ってのは無くなった、って事で良いのか?
東遷したなら、青銅器や武器において、日本海ルートの出雲
~纏向あたりへの文化的継続ってのは有るのかね?
242:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:05:52.61 rQ/2hVwe0.net
>>132
点在してる別の国だろう
243:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:05:53.83 gFCoEktl0.net
>>152
二至に2つの山に丁度日が昇る位置に、環状列石で斎場を作ってたりもするよ。
濃厚が未成熟な状態で、二至二分や山岳、太陽を併せ持つ縄文時代には、太陽信仰は始まっていたとするのが、今の定説です。
244:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:06:08.60 JTIGTtof0.net
>>226
天皇については藤原不比等とその息子四兄弟のおかげかな
245:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:06:33.87 9Wau04fA0.net
韓国「俺らが与えた」
246:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:07:00.00 LBVt3ic90.net
>>185
>宮内庁は散逸したとされている記紀以前の書物を秘蔵している疑いがある
欠史八代の皇后には尾張国造の辺りから何人もなっているが、
そこの辺りが、1980年に突然な国宝指定の海部氏系図等の複数の文献資料で裏が取れて、恐らく宮内庁など皇室のブレーン集団によって公認されているのでしょう。
247:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:07:35.59 gFCoEktl0.net
なんか変な文になった
>>152
二至に2つの山に丁度日が昇る位置に、環状列石で斎場を作ってたりもするよ。
農耕が未成熟な状態で、二至二分や山岳、太陽を併せた斎場を持つため、縄文時代には太陽信仰が始まっていたとするのが、今の定説です。
248:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:09:17.41 OyNNvMKO0.net
これ、大発見なのか?
249:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:10:37.26 NGa2zvX00.net
>>84
ヤットデタマン?
250:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:13:29.58 ReEmeHH00.net
>>226
三輪山祭祀の頃のヤマトは上手くいってた感じだが、異質感のある崇神天皇から記紀成立の頃までは凄いキナ臭いけどな
まあ何だかんだで初期の三輪山祭祀の系統に天皇家が戻ったのかもしれないが。記紀がアマテラスを最高神にしてるんだし
251:通りすがりの一言主
21/05/10 18:16:50.61 7P80tBML0.net
>>241
飴、コーヒー、ライター
252:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:17:45.46 TkV3RoUE0.net
おおおぉぉぉ、やっぱり日本人は、
失われた十二部族の末裔なのか…!
253:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:18:05.95 xZ9VBWqU0.net
>>229
九州勢が(海路で)日本中に広がり拠点を設けていたのは間違いない
けれど邪馬台国がどこにあったのか
いつ東遷されたのか
についてが謎なんだな
254:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:19:06.66 9OjVM6jN0.net
続きが読めん。
255:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:20:31.24 9OjVM6jN0.net
>>245
邪馬台国は東遷なんてしてないでしょ。滅ぼされた可能性の方が大と思うかな。
256:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:21:18.43 SkeYG01b0.net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
URLリンク(www.yoshinogari.jp)
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高いが、
水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ
257:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:22:06.78 TkV3RoUE0.net
俺、今から手塚治虫の火の鳥読むわ!
258:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:22:09.07 ej3IvGA70.net
>>1
こういうのが出ると
邪馬台国=畿内説を唱えている人が
火病を起こすよなw
259:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:22:17.50 nvVszrbe0.net
>>245
秋田に国内屈指の貿易港があった事実って案外知られてないよね
260:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:23:00.26 nvVszrbe0.net
>>128
邪馬台国が滅ぼされて、技術接収されたんでしょ?
261:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:23:23.98 TkV3RoUE0.net
>>243
「ボクならそこは紅茶☕にしますね」右京
262:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:24:12.63 xZ9VBWqU0.net
>>248
・女王国の位置を知らせたくないが為に嘘を教えた可能性
・伝聞だし会話が片言でうまく伝わってない可能性
・倭国を大きく見せようと盛った可能性 ← あると思いま
263:す
264:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:24:44.98 nvVszrbe0.net
>>248
まずその資料の信憑性が不明
次に当時の移動速度が不明で現代の移動速度と同じだと考えるのは稚拙
265:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:25:52.47 xZ9VBWqU0.net
>>247
もちろん邪馬台国自体は東遷なんてしてない
とオレも思う
だからこそ九州説、畿内説が入り乱れている
266:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:28:29.03 7nxhvFzN0.net
>>248
そのコピペは>>177でとっくに論破されているよお猿さん
267:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:28:30.89 gFCoEktl0.net
>>226
天皇は権威者であって、権力者ではなかったからだと言う考察
天皇は神道における最高司祭と言う役回りで、神から地上の差配を委託された存在。
神から地上の差配を委託された存在である天皇によって、時々の強者は権力の裏付けを得る。
摂関政治や征夷大将軍による武家政治も、任命者は天皇という立ち位置には変わりない。
外戚関係で権勢を誇った藤原氏にしても、天皇によって任命されると言うロジック自体は壊さなかった。
この関係が長く続いたのが、結果的に良かったのかもね。
ヨーロッパでも国単位での隆盛はあっても、ローマ教皇は変わらず存在し続ける。
それと似たような存在が天皇制の元々のあり方。
268:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:29:14.05 NGa2zvX00.net
>>238
絵画が新しいモノに入れ替わっている
文書も書き換えた新しいモノもあるんだろ
バレないように後処理を加えれば専門家分析以外分からないしな
269:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:31:08.83 7nxhvFzN0.net
>>252
当時の鉄器分布からしてそれは無理がある
鉄製武器で武装した九州に渡海して勝利し得る勢力は当時の日本には無い
制海権を持っていたのさえ九州勢力だしね
719 :名無しさん@1周年 :2020/03/27(金) 02:31:02.90 ID:wEfaFCG90
弥生時代には瀬戸内海の制海権は北部九州の安曇たち海人族が握っていた
この状況で畿内が中国と独自に外交するのも九州に攻め入るのも不可能
URLリンク(www.gondo.com)
ちなみにヤマト王権の中枢である大和地方の支配者、倭国造は安曇の同族
ここから考えても北部九州が東遷してヤマト王権になったことはあり得ても逆は無い
倭国造
URLリンク(ja.wikipedia.org)
> 倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は、後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。
>
> 氏族
> 倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
> 天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
> 一般に綿積豊玉彦の孫とされ、神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる、海人族の一族。
270:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:31:29.61 m5VuTMkc0.net
帯方郡を治めたばかりで、三国闘争中の魏からすると
倭人がはるばる挨拶に来たことは喜ばしいことで
倭人は楽浪郡の反乱なんかにも加担していないし
三韓や高句麗に対するけん制としてはもってこいの同盟国であったわけだが
漢の崩壊とともに
271:、その倭人の勢力もばらばらになっており 魏があなたを倭人の代表と認め、鏡を100枚渡すから、それでまた国を立てなおし 盤石な体制を敷いてくれという考えだったんだろうと思う。
272:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:31:48.44 Qi54XWb60.net
>邪馬台国よりも以前にクニであったことを示している。
何がクニだよ
273:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:33:32.99 NLVQQhiM0.net
>>44
朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
[ノ・ヒョンソクの時事文化財] 長鼓峰古墳をめぐり考古学界で騒ぎに 日本の古墳に似た構造や祭祀の跡をめぐり議論
「追加発掘後に一般公開」とし、再び埋める 墓の被葬者は百済の統制を受けた倭人? 日本の右翼が任那日本府説の根拠にすることを懸念
274:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:34:00.10 j8hVKQiO0.net
後漢時代の倭奴国=魏志の邪馬台国だから
275:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:34:10.14 2nL36Sqo0.net
>>232
もちろんそうだよ。勾玉は国産
276:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:38:03.38 9OjVM6jN0.net
>>248
はっきり言って魏の使者に一か月も荒野を歩かせること自体おかしい。
地理的な条件でそんな必要性があるとしたら、土佐か東海くらいしかない。
そこ以外で理由をつけようとしたら、結局九州北部も問題ないことになるな。
277:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:38:45.94 NGa2zvX00.net
いつからローマ教皇が死にぞこないになったのだろか
死にぞこない以外なら部下の犯罪を探すことが出来る
50年以内に滅びるだろうから
ファティマの預言(歴史)通りに
278:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:39:18.17 L+RYjs0X0.net
>>166
阿蘇はおそらく倭人条の蘇奴国なのでしょうが(対蘇国は高千穂を中心とする臼杵郡、華奴蘇奴国は菊池郡)
記紀ではここの王を土蜘蛛のように呼ばず神と呼んでいるところからも歴史ある強国のひとつだったのでしょうね。
狗奴国の中心は川内川河口、大口盆地、人吉盆地のいずれかではないかと考えていますが
邪馬台国はおそらく天草(投馬国)を通って侵攻してきた狗奴国に、天の安河の戦い(筑後の夜須郡:後世筑後川の合戦の有ったあたり)
での決戦で敗れたのではないでしょうか。東遷したのは宇佐に逃げていた邪馬台国の末裔の血を婚姻で手に入れた、半島(の多羅)から来た倭人たちではないでしょうか。
279:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:40:05.78 7nxhvFzN0.net
>>228
近代以降の輸送能力と生産能力からすると蛍光灯の普及のほうが遥かに早くて当然だが
>>156のとおり日本国内では原材料の生産さえ無かった貴重品と工業的に大量生産された蛍光灯が比較になると思ってる時点で
君は極めて愚かな人物と言わざるを得ない
280:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:40:34.47 1ZB+ytVE0.net
韓国先祖だろこれ
281:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:41:02.86 xZ9VBWqU0.net
>>266
たぶん自分では行ってない
聞き取り調査のみ
282:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:41:33.61 pdvMvoq40.net
出掛ける時の三種の神器「スマホ、財布、鍵」
283:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:44:35.21 xZ9VBWqU0.net
青銅器文化の担い手:安曇系
古くから大陸と行き来し、日本全国津々浦々に奴(那珂、那賀など)の拠点を築く
縄文弥生と連綿と続く古の倭人を形成、倭国、邪馬台国
鉄器文化の担い手:宗像系
古くから大陸と行き来きするが安曇系に遅れをとり日本海側を抑えるに留まる
が半島利権を手に入れ日本海側から中央に進出
と妄想しながら少しずつ資料集めてる、割と楽しいw
284:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:46:47.34 OW09Lu3O0.net
こ・・・こしろ?
285:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:47:58.74 7nxhvFzN0.net
>>268
>>91,125のとおり、出土品から考えると阿蘇は少なくとも魏志倭人伝の頃はまだ狗奴国の領域だと思われます
当時の女王共立連合の支配地域は熊本平野北部の菊池川以北でしょう
それが熊本平野南部と阿蘇を併合して九州北部から脅威がなくなったので本州に目を向けたのが東征の始まりと見ています
狗奴国側が勝利したのならば、狗奴国で使用されていた免田式土器が後継の形式も残さず消滅したことが説明できません
邪馬台国が勝利し、狗奴国が滅びたので免田式土器も消えたと考えるのが自然です
それでも後々まで熊襲退治が必要となったのは、難攻不落の陸の孤島である人吉盆地などに狗奴国の残党が残っていたからでしょう
286:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:49:35.39 x72tzA+Y0.net
291年から306年まで続く八王の乱が朝鮮交易を根本的に変えたと思われる
この乱にによって楽浪帯方は衰退し程なく機能を停止してしまう
これにより司馬氏の庇護下にあった九州の女王国は、背後の狗奴国にひどく苦しんだ上に
朝鮮交易の庇護者まで失い衰退又は滅亡したのだと思われる
楽浪帯方が機能停止した代わりに朝鮮交易は百済、新羅、任那の3つのルートに分かれた
このうち特に百済ルートに深く関与したのが4世紀の新興勢力である奈良の大和朝廷と思われるね
287:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:52:11.82 5blmcmqe0.net
鏡、剣、玉がそろってたら「三種の神器」って理屈通るのか?
288:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:53:28.50 h16rxdjL0.net
三種の神器と言えば、テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
289:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:55:08.60 9OjVM6jN0.net
>>276
大和朝廷発足はたぶん6世紀後半と思うかな。
290:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:58:14.55 xZ9VBWqU0.net
>>276
面白いです
すごく映像が思い浮かびます
291:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:59:15.76 b4a9yhxO0.net
帥升さん?
292:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:59:22.49 JoSNE0tS0.net
>>229
邪馬台国も大和もヤマトで一緒なんだよ、
漢字を使ってなかった頃に、大陸の帝の方がヤマトに「邪馬台」と漢字を当てて
時代が変わって日本側もだんだん漢字を使い始めると、あんまりよくない字を当てられてると
気づいて漢字を代えたんだろう、遷都のタイミングで
293:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 18:59:41.61 JTIGTtof0.net
>>10
自分の国の歴史くらいもうちょっと勉強したほうが良いよ
294:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:00:15.73 xZ9VBWqU0.net
>>279
箸墓作るくらいだし、朝廷といえなくても
中央集権的なにかしらはあったんでしょうな
295:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:00:22.10 fUTjVFLE0.net
俺たちはとんでもない勘違いをしていたようだ。
つまり今の天皇家は侵略王朝で偽者だったんだよ!m9( ; ・`д・´)
ΩΩΩエェー!なんだってー!
296:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:00:50.28 7nxhvFzN0.net
>>271
それはおそらく正しい
海路なら十日、陸路なら一ヶ月と聞かされれば海路で行くだろう
まして魏の使者は銅鏡百枚などの重量物を運搬しているので陸路ではおそらく荷車を使うことになる
陸路で川を渡るときに使う丸木舟では幅がないので荷車は乗らないので旅は困難
伊都国の海人族�
297:ヘ準構造船を持っていた これは丸木舟よりはるかに多くの荷を一度に運ぶことができる 大荷物があるならこれで海路を行くだろう 弥生の準構造船の部材発見/九州初、福岡県前原市 http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20040824000074 > 福岡県前原市の潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡で、弥生時代終末期(2世紀末から3世紀初め)の準構造船の大型部材が見つかり、 > 同市教育委員会が23日発表した。準構造船の出土は九州で初めて。市教委は > 「魏志倭人伝に記された伊都国(いとこく)の朝鮮半島や国内各地との交流のあり方を探る上で貴重な資料」としている。
298:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:02:12.46 PkpZvYWf0.net
本物は鏡が割れてます
299:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:02:28.37 JTIGTtof0.net
>>258
ていうか、聖武天皇の頃から仏教重視になってきて、それ
以降神仏習合へと続くわけで、最高司祭もクソもないと
思うんだけど。
300:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:02:50.49 9OjVM6jN0.net
>>279 の続き
6世紀に九州北部併合
↓
九州北部勢力と仲良しだった百済から中国式の統治方法を輸入
↓
大和朝廷発足かな。
301:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:03:43.63 qM64Lw9u0.net
>>1
カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機がそんな時代から!
302:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:04:24.34 9OjVM6jN0.net
>>284
3世紀に確立した日本方式の統治方法で、中国式ではなかったと思うかな。
303:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:07:20.39 mmwuyK8t0.net
三種の神器って言うのは、テレビ冷蔵庫洗濯機みたいな
どこにでも有る、勾玉と剣と鏡が、有れば良いってもんじゃなくて
皇室固有の継承品で他のものと違う、勾玉と剣と鏡だと神器ってことなんだよ?
勾玉と剣と鏡位、古墳が王墓クラスなら
どっから出たって、地域の有力者の墓でしか無いだろ?
前方後円墳なら、朝廷ゆかりの誰かかも? ってのは判る。
304:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:08:58.37 kc2i4urN0.net
>>87
4世紀とされる畿内の古墳は5~6世紀のものだよ
纏向遺跡からは5世紀以降に日本へ伝来したベニバナの花粉や馬具が出土している。
ベニバナは西方から3世紀頃に中国西部へ伝来したのでベニバナの花粉が出土した時点でアウト。
305:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:10:02.72 xZ9VBWqU0.net
>>286
船の長さは6─7メートルか
こりゃデカいね
306:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:10:11.73 kc2i4urN0.net
>>292
前方後円墳は皇室とは無関係
皇室の墓は円墳や八角形。
307:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:11:05.28 439/+oP50.net
文字がなかったにしても口伝もなかったのかね
あれば文字が導入された段階で文字に起こしそうなもんだが
時の権力者に関係なかったり都合悪かったりしたのかな
そうなると邪馬台国は大和朝廷の前身ではない可能性が高い
まあ中国側の記録の信憑性がどの程度かわからんし
所謂、神話の方が実情に近かった可能性もあるあるのかね
308:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:11:19.75 AXnJ/8Jk0.net
ほんまかいな
嘘臭い話だな
309:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:11:29.17 kc2i4urN0.net
>>279
大和朝廷発足は701年だよ。
310:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:11:50.95 xZ9VBWqU0.net
>>293
それじゃ考古学の通説が間違ってるてこと?
311:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:12:00.68 JTIGTtof0.net
>>291
その肝心の箸墓のヤマトトトヒモモソヒメがオオモノヌシっていう
神様の嫁で、神様の姿を見たいって言って現れた蛇を見てびっくり
して驚いたら神様が恥ずかしくなって山に戻ったのを、嫁が反省し
てたら箸で万個ぶっ刺して死んじゃったっていう人だよ?
312:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:13:22.99 JTIGTtof0.net
>>298
大和王権は?
313:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:14:23.49 9OjVM6jN0.net
>>295
前方後円墳は大和政権内の一勢力の特産品みたいなもんやろな。
主に大和政権勢力下のあちこちで外注受けてただけやろし、
大和政権勢力範囲外からの外注受けることもあったやろし。
314:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:15:24.62 xZ9VBWqU0.net
>>300
名前からアイテムまで全部エロ漫画みたいなんですがw
面白くするために盛ってる感がある
315:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:15:30.56 9OjVM6jN0.net
>>301
大和政権のことなら、大和朝廷発足前の統治システムと思うかな。
316:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:17:51.29 9OjVM6jN0.net
>>300
たぶん大和と出雲による統治機構を示唆する物語的なものなんじゃないかなと推測するかな。
317:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:19:06.63 7nxhvFzN0.net
>>293
畿内説の編年が繰り上がった理由に年輪年代法があるけど、実はあれ100年ずれているという指摘があるんだよね
しかも基礎データは非公開のブラックボックスなんだとか
URLリンク(washiyamataikoku.my.coocan.jp)
> 日本では、奈良文化財研究所(奈文研)の光谷拓実が 1980 年から研究を開始し、ヒノキ、スギ、コウヤマキ、ヒバの標準パターンが作成されている
> (図 2。奈良文化財研究所『埋蔵文化財ニュース』99 号 2000 年。および
> 光谷拓実「年輪年代法と文化財」―『日本の美術』421 号 2001 年に鷲﨑加筆)。ただし、基礎データは非公開でブラックボックス化している。
> なお、スギの標準パターンはヒノキに連動し作成されており、ヒノキが 100 年狂えばスギも 100 年狂う。この年輪年代法により、弥生中後期および古墳開始期が
> 通説より 100 年遡上し、邪馬台国が古墳時代と重なった。そして今や、この年代遡上論は畿内説を支える最大の根拠となっている。
> しかし、この 100 年遡上論は完全な誤り。基本となる標準パターンの作成時、飛鳥時代で年輪パターンの接続に失敗し、奈良時代~現代は正しいが、
> 640 年以前(弥生中後期~古墳~飛鳥時代)の測定値は全て 100 年古くズレている(表1、表 2 参照。ほとんどがヒノキで、一部はスギ)。
318:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:19:22.12 9OjVM6jN0.net
>>298
そりゃいくら何でも遅すぎるでしょ。
そんな愚図な連中ではなかったはずだと思うけどな。
319:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:20:51.77 kc2i4urN0.net
帯方郡南端~7000里~狗邪韓国~1000里~対馬国北端~800里~対馬国南端~1000里~一大国北端~600里~一大国南端~1000里~末盧国北端~500里~末盧国東端・伊都国西端~100里~伊都国生誕東端・奴国西端
つまり、帯方郡南端~12000里~伊都国生誕東端・奴国西端
女王国は伊都国生誕東端・奴国西端を中心とした場所。
320:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:22:22.90 xZ9VBWqU0.net
>>306
畿内説オワコンですね
こんなんでよく通説になってるのね
321:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:22:26.20 kc2i4urN0.net
>>307
大和王権自体はその前からあったが九州からの政権交代は701年
322:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:25:25.79 9OjVM6jN0.net
>>310
九州北部勢力は6世紀に併合されたと推測するかな。
大和が百済からいろいろ学び始めたきっかけだと思うから。
323:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:31:56.40 OXxtmsCs0.net
>>306
基礎データがブラックボックス化してるのに、ズレてるって結論が出せるってスゴイね!(棒
324:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:33:21.05 gm6tZS7D0.net
銅印しか与えられなかったくせに何が兄だ
琉球でさえ銀印
日本が中華圏から抜ける前は金印だったのだ
325:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:33:26.43 7nxhvFzN0.net
>>312
つまらない煽りを書く前にリンク先を
326:読めば分かるよ
327:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:35:44.85 9OjVM6jN0.net
>>313
たぶん金を献上したんで金の印鑑くれたんじゃないかな。
328:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:38:24.57 xZ9VBWqU0.net
>>315
琉球は銀河を献上したのかな?
329:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:42:19.25 UFTW3BSN0.net
岩肌に引っかき傷?
330:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:42:30.75 9OjVM6jN0.net
>>316
琉球と中国王朝の交流の事よく知らないんで。
基本、琉球→九州→朝鮮半島→中国でないとたどり着くのが難しかったはずだと思うから、
銀印もらったの、いつの時代の話なんかも良くわかってないし。
後日、確認しとくんで。
331:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:43:01.20 L+RYjs0X0.net
>>275
免田式土器は興味深いですね。
個人的には狗奴国はそれこそ「東遷」したのではないかと考えています。
伊予の河野氏の祖とされる河野越智彦こそ狗古智卑狗ではないかと。
邪馬台国が消え、狗奴国の南からの脅威の去った九州で力を付けていったのが邪馬国(八女郡)ではなかったかと。
「倭国大乱」によって邪馬台国に統合された伊都国連合は、おそらく肥の国でもっとも力を持っていた鬼奴国(玉杵名郡:玉名)とともに没落したのではと。
332:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:43:31.62 OXxtmsCs0.net
>>314
読んだけど冒頭からアホくさくて話にならん
多数ある説のなかから、自分に都合の良いものだけ抽出した作文だし
そもそも「100年ズレている」ことを補完する根拠が何一つ出てない
光谷拓実は年輪の測定に関しては日本でも第一人者なのに
それを否定する根拠は何一つ存在せず、単に「こうに違いない」「こうに決まってる」しかないわけだからな
逆に、これを読んでどこら辺に信憑性を感じたんだ?
333:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:45:54.60 mmwuyK8t0.net
箕氏による馬韓王朝が帯方郡による侵攻によって滅亡するのが
邪馬台国と魏の国交が終わった1年前の246年。
この三国志の一幕、韓制圧戦では245年に卑弥呼配下の将軍、難升米に
魏の正規軍として、これへの参戦の要請が来たが出征はしていない。
楽浪帯方は晋の衰退によって高句麗に制圧され、313年に撤退するが、この後、
日本の後押しもあって高句麗を押し返し350年代に百済、新羅を建国している。
これは、広開土王碑文ばかりではなく、七支刀の献上や
中国から属国百済教化の博士や人質王子の来日で明白な事実。
これが旧卑弥呼の邪馬台国=九州北部21国連合の仕事ではなく、
本土の出雲、吉備、奈良以東、関東、九州をも含む日本軍の仕事なのも当然。
これに連なる、倭の五王時代~捏造記紀の創作までが、
朝廷の成立に直結していることは、開示されなくても古墳が証明している。
334:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:47:02.86 xZ9VBWqU0.net
>>318
あ、ご丁寧にありがとうございます
自分で確認しとくっす
(たぶん九州の金)献上は面白い仮説だと思います
石ごとか精錬したのか、とか
そっちを色々考えて見たいと思います
で、沖縄は後回しでw
335:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:49:08.28 xZ9VBWqU0.net
>>320
いや結構 ”科学的じゃないのね” てのが伝わってくるんですけど
もっとこうオープンで絶対的体系的なモンだと思ってたわけで
336:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:49:08.63 PGvDTLPl0.net
つまり日王が王権を簒奪したと言うこと?
337:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:51:16.92 9OjVM6jN0.net
>>321
神功皇后時代の三韓征伐は九州北部・大和政権の連合軍で、
九州北部の軍が半分以
338:上を占めてたんじゃないかと推測するかな。
339:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:52:30.79 EROFhPM10.net
三種の神器って天皇家が持ってるんじゃないの(´・ω・`)?
340:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:54:02.54 xZ9VBWqU0.net
>>326
そのスタイルの元祖が見つかったかもって記事
341:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 19:57:47.61 xZ9VBWqU0.net
>>326
しかも弥生時代で激古の墓から
342:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:01:52.64 MhsmZxrA0.net
あーはいはいMADMAD
343:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:09:17.89 xZ9VBWqU0.net
糸島が伊都国というのはどうも納得できない
早良が伊都国の本体になった
というのもアリかも
344:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:09:19.40 GaUTJVZS0.net
おまえら(49歳 163cmハゲ気味お腹ポッコリの派遣年収150万の高卒の素人童貞)の三種の神器は①オリエント工業製ティセ ②TENGAプレミアム ③Xdideo.comだよね
345:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:09:54.01 VilHHXFa0.net
今千代田区千代田にあるのは偽物だな
346:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:12:30.81 ulj1TvDf0.net
>>300
ギリシャ神話と同じくらい面白いw
347:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:15:30.60 MQDA8Zs90.net
MacBook Airとdji pocket2とニトリの白とベージュ系の合板の家具かったわ
猫動画で億稼ぐぜ
348:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:17:19.72 kVIW4/pw0.net
大物主は八咫の鏡の名前だぞ
元は三輪にあり今は伊勢にある
能の三輪でも
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。
とあるやろ
349:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:18:41.10 kVIW4/pw0.net
ヤマタノオロチの草薙剣は熱田にあって今も手厚く鎮魂されている
350:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:25:56.39 x72tzA+Y0.net
ヤマトタケルと仲哀天皇を対比すると面白い
崇神の曾孫なのに父の景行天皇に疎まれソレでも神の加護により熊襲征伐の大戦果を上げしかも非業の死
一方その子の仲哀天皇は神が再三新羅を討ち宝を得よと命令するも聞かずにに不審死
ここには神意に沿うものは天皇になれず非業の死でも善で英雄、
逆らう者は天皇でも卑怯者で誅殺も可と云う武勇の価値観を示す
この神意に沿った神功と応神は、仲哀とは正反対に英雄となる
これは神話とは言え史実でも4世紀中盤に倭国は再三朝鮮に侵攻している
有名な広開土王碑は391年だがその20年前から倭国は百済を保護に置き、新羅や高句麗と交戦している
ではなぜ倭国がここまで百済に関与するのか
そもそも百済が歴史上明確に登場するのは4世紀中盤頃で、楽浪帯方の遺臣、扶余、倭人などの混成国家とされる
もともと絶好の貿易立地であり司馬氏内乱による権力の空白後に多数の勢力が貿易利権を求め
百済に集合したのが百済建国の実態であろう
このように倭人は百済建国から関与し大きな貿易利益を得たから
崇神子孫が相剋しても百済に出兵する必要があった
しかしこの倭人とは九州の女王国なのか奈良の新興崇神朝なのか定かでない
もっとも崇神晩年に任那使者が朝貢とある
新興の崇神を動乱の任那が頼ったとしても不思議ではないだろうね
351:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:26:03.14 kVIW4/pw0.net
福岡で興味深いのは1世紀後半三雲に突然方形周溝墓が現れることかな
近畿辺りは方形周溝墓&木棺だが三雲のは方形周溝墓&地元の流れをくむ甕棺
方形周溝墓の勢力と�
352:閧汲セのかなあ
353:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:29:23.25 I0saz+AG0.net
>>62
九州って畜生の名前をつけるよね
土蜘蛛なんかもたぶんそれ
354:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:33:14.17 I0saz+AG0.net
>>269
論点がズレてね?
破鏡が徒歩で移動可能な圏内に100年間で文化的に広がる可能性の話だろ?
蛍光灯が100年で世界中に広がったのに、当時の邪馬から100年で近隣の部族へと広がらなかったとする根拠は何?
それに答えられないなら
>>91のコピペはその時点で破綻する
つまり論破されてる
355:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:34:40.92 QVImgpyn0.net
>>1
どうせ自分で埋めて掘り出したんだろ
考古学者なんて詐欺師の言う事を信じるやつはどうかしてるわ
356:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:38:29.15 zM6w0VMa0.net
朝鮮半島に近い北九州は
57年には、後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年には、生口160人を献じ、安帝に謁見した
特別、先進地域
238年になっても、たった10人しか生口を献じられず
街道もろくに整備されていないわけがわからないところに上陸する邪馬台国とは違う
357:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:40:40.52 zM6w0VMa0.net
朝鮮半島に近い北九州は
57年には、後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年には、生口160人を献じ、安帝に謁見した
特別、先進地域
238年になっても、たった10人しか生口を献じられず
港町も、街道も、ろくに整備されていないわけがわからないところに上陸する邪馬台国とは、根本的に違う
358:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:41:57.12 ulj1TvDf0.net
>>216
統一が天皇を中心にした信仰によって実現したとは思えんね。
中国の史書、古墳、記紀のどれを見ても。
信仰ならば卑弥呼であるし。
崇神以前は、どう見ても天皇というか絶対的な権力者には見えんしなあ。
記紀ではすべてが正しいとまでは言わんが、先祖の墓を偽るようなことはしなかった。
初代神武から9代開化までは、「せいぜい弥生の王墓」
崇神よりも10代前の段階で「天皇」だったはずはない。
まあ、記紀はちょっと盛ったんだなw
でも崇神には父がいて、その父がいて・・・
5代くらい前の時点で、「女王を共立」したように見えるな。
行灯山古墳の近くに西殿塚古墳というのがある。
その周辺には古い古墳が多くある。
その向こうには石上神宮があり、和爾神社がある。
和邇氏とは、孝安天皇の兄を始祖とする氏族だ。
彼らの母は「尾張氏の先祖」の妹の世襲足媛
尾張氏とは、天火明命を始祖とする海部氏。
巻向から出てくる土器の参入物に東海系が多い。
近江系や北近畿系もあるらしい。
このころ「談合政権」が作られ、卑弥呼を共立した。
359:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:43:45.76 RlMS7c0I0.net
倭国大乱の前あたりの時代
神武一族がなんらかの理由で九州ヤマトを旅立った
九州では後継者争いが起き、大乱後に九州ヤマトの女王が共立された
一方九州を旅立った神武の一族は代々東へ東へ旅を続けて
出雲で婚姻を結び、吉備で婚姻を結び
奈良では一族の娘モモソが奈良の有力者である大物主と婚姻した
その地域で地盤を固めた一族は崇神のときハツクニシラスことになり
奈良に畿内ヤマトが誕生した
そして宮中に皇祖神としてモモソと大物主の夫婦神を祀ったところ
なぜか祟られたので宮中から追い出した
流れ流れて結局伊勢に流れついたモモソ(アマテラス)
360:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:45:45.73 loJUr1BD0.net
斧、琴、菊
361:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:47:06.85 ulj1TvDf0.net
>>293
6世紀ってあなた、仏教が伝わってますがなw
4世紀がでたらめで5~6世紀なら、あの沢山の日本中の古墳は
もの
362:すごい短期間で作ったことになる。 じゃあ、仁徳陵はいつの時代ですかな??
363:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:47:24.31 vy7PHIPy0.net
>>22
このゲームクリアした事無いわ
必ず落ちる
364:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 20:52:58.59 I0saz+AG0.net
>>347
魏って2世紀から3世紀にかけての国だぞ
365:ニューノーマルの名無しさん
21/05/10 21:00:25.65 ulj1TvDf0.net
>>326
三種の神器って、
1,草薙の剣 弥生時代にも剣は出ている
2,鏡 鏡は山のように出ている
3,勾玉 勾玉もたくさん出ている
つまり、三種の神器の原型は、弥生時代の王墓から出てくるわけで
鏡が神聖なものであった時代、剣が特別なものであった時代から
引き続きそれらを神器として崇める部族が日本を統一し、それを維持し続けたという証拠ですな。