21/05/10 17:09:24.88 7nxhvFzN0.net
あと>>72について、養蚕の伝搬ともリンクしている
絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという
その秘伝の技術が古墳時代前期には破鏡と同様に本州に広がる
これも東遷によって九州勢力が持っていったと考えるのが自然だろう
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
> (iv)九州から本州への養蚕伝播―
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。