【古代】日本最古「三種の神器」が出土、弥生時代の早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国があった! [樽悶★]at NEWSPLUS
【古代】日本最古「三種の神器」が出土、弥生時代の早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国があった! [樽悶★] - 暇つぶし2ch2:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:14:43.43 o7m26yLX0.net
2げと

3:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:16:07.89 /hzVAwIg0.net
ついに来たか早良の時代が
交通事故だけがウリじゃねえぞ

4:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:18:11.41 ydJ7cpD90.net
当時からシロウオ躍り食ってたのかね?

5:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:18:58.79 jaQxNCyL0.net
西京焼きが食いたい

6:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:19:09.71 Ko4taMib0.net
は、早良平野

7:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:19:42.70 +HhuIeWJ0.net
近所かよ

8:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:20:02.19 n79Uw9W/0.net
過去より未来に目を向けた方がいいと思うよ
諸外国に置いてかれる

9:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:20:12.80 dMhj8ka40.net
九州からいつ近畿に東遷したのか

10:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:21:30.05 ZAJE3+CP0.net
卑弥呼の時代より古いAD57年に日本の倭国が後漢の皇帝に勅使を送っているからな

日本列島が地続きだった、2万年前、縄文人が日本列島に移り住む・・・・最古の日本人。主に狩猟生活
4000-5000年前からバイカル湖周辺にいたブリヤート人が大陸を渡り、日本にやってくる
同時期、ベトナムなど南からも海洋民族が小舟で渡ってくる。
※ まだ朝鮮半島には国家はなく、中国大陸は夏王朝がやっと出来た時代。
日本はベトナムから渡ってきた民族とバイカル湖周辺にいた民族、元々の土着であった縄文人が交じり合う。
※ 日本人としての民族の形成
BC200年 中国は始皇帝の名のもとに統一。朝鮮半島は中国殷国系の子孫である箕子が国家を作る。
 中国、徐福を日本に送るが、日本に来た徐福はそのまま行方不明。
AD57年  倭国、後漢の皇帝に勅使を送る。
 後漢の皇帝、日本を認め、朝鮮半島の国家より上と認定。朝鮮楽浪府、日本に対して大いに嫉妬 (記録あり)
AD200年 日本には小さな国が多く存在し、まとまらなくなるので、そこで一人の巫女を代表とする。卑弥呼誕生
 卑弥呼の次も女性の巫女がまとめる。
AD400年 倭国、百済、新羅を征服し、高句麗に迫るも、追い返される。(記録あり)
AD450年 大和朝廷ができる。

11:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:21:37.86 dMhj8ka40.net
>>8
温故知新

12:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:21:41.52 4PAaWMn20.net
もっと注目されていいところ

13:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:22:23.38 ojrwlB/10.net
この三点セットがですね、
地域活性化の基でありますから

14:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:22:37.77 a3BEkiwy0.net
吉武高木遺跡群の墓の大きさで大きさや
宝物の内容が一番てわけじゃないんだよね
確かに三種の神器は出土したけど
吉武高木遺跡群の中でトップの人では無いだろう

15:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:22:53.38 zPqXbEC50.net
竹田の子守唄

16:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:23:39.28 UoINpV/X0.net
じゃま大国なんてほんとにあったか分からんとこよりもすごいじゃん

17:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:23:51.86 7mnMJIv20.net
日向峠の道は古代の道だからな。
高祖山は天孫降臨の地だろ。

18:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:26:55.72 hlFPyQvF0.net
スマホ、ウォシュレット、ドラム式洗濯機

19:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:28:02.50 bRGDy6IS0.net
池田次郎『日本人のきた道』より
大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。
古墳人骨がほとんど出ていない東海・中部地方・東北北部を除く日本列島を九地域に分けると、古墳人集団は三群に分けられる。
第一群は畿内集団だけで、これには畿内現代人が入る。
第二群は南九州・西九州・北陸の三集団で構成され、これには津雲縄文人、西北九州弥生人が属す。
第三群は第一群と第二群の中間に入るが、第一群により近いグループである。これには北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国、南近畿、関東・東北南部の五集団が北九州・山口弥生人とともに含まれる。
第一群と第三群を渡来系古墳人、第二群を在来系古墳人とよんでおく。

20:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:28:13.36 bRGDy6IS0.net
第一群の畿内古墳人は、高顔と鼻根部の平坦性が古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人のなかでも渡来形質がとくにきわだっている集団である。
また、短頭性がもっとも強いが、この頭形は現在までうけ継がれている畿内人の地域的特性である。
古墳時代・奈良時代の人口密度がもっとも高く、大和王権の拠点であった畿内は、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量にうけ入れた地域だった。
畿内古墳人が、韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人からもっとも離れているのもそのためである。
資料の約半数が筑前・筑後・豊前から出ている北東九州・西中国古墳人の中心は福岡の平野部にあり、そこから南へむかっては南九州古墳人の、西へむかっては西九州古墳人の縄文人的特徴への傾斜を示すが、
豊後の山間部だけは特別で、そこには古い体質を保持しつづけた古墳人が居住していたのである。
資料の約八割が関東地方から出ている関東・東北南部古墳人は、顔面平坦度や頭蓋小変異の出現頻度で縄文人と大きく異なる。
身長は畿内古墳人とともに古墳人のなかでも高身長の部類に入り、頭蓋・四肢骨のすべての特徴に


21:大陸的・農耕民的要素が認められる。 頭蓋計測値で第二群に入る北陸古墳人は、鼻根部の平坦度がやや弱く、低身長で、四肢骨の特徴にも縄文人的要素がみられる。 しかし、縄文人との距離は畿内現代人と同じくらい遠く、むしろ第三群の関東・東北南部古墳人に近いので、同じ在来系古墳人でも南九州・西九州の古墳人と同列に扱うことはできない。 頭蓋計測値(11項目)の形態距離に基づく古墳人集団の関係(男性)〔池田次郎〕 渡来…畿内 縄文…南九州・西九州・北陸 中間…北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国、南近畿、関東・東北南部



22:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:28:21.96 Qbza+L/x0.net
三種の神器という表現は合ってんのか西日本新聞

23:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:28:47.08 bRGDy6IS0.net
古墳時代から奈良・平安時代にかけて、政治・文化の中心部と辺境部の住民のあいだに明瞭な違いがあることは、各地の古墳人の特徴からも明らかである。
奈良時代、大和人にとって言語や風俗習慣の異なる異様な存在は、『古事記』、『日本書紀』など古典にあらわれる隼人・熊襲・肥人・土蜘蛛・国栖・蝦夷など古代の異族であった。
『古事記』、『日本書紀』、『風土記』によれば、土蜘蛛の分布は九州から東北地方までの十〇ヵ国にわたり、そのなかには大和も入っている。
水野祐によれば、『風土記』に記載されている北部九州の土蜘蛛の半数は肥前国西北部の沿岸に居住し、アワビなどをとっていた潜水漁労民で、『魏志倭人伝』にいう倭の水人とはこれらの土蜘蛛だったという。
西北九州弥生人が漁労を主生業とし、縄文人的な形質をもつ在来系弥生人であることを考えると、肥前の土蜘蛛はこれら弥生人の体質を守り通した漁労民だったかもしれない。
残り半数の北部九州の土蜘蛛は、豊後の山間部に住んでいたと伝えられているが、この一族は古い体質を残している豊後古墳人となんらかの関わりがあるのかもしれない。
隼人・熊襲・蝦夷・土蜘蛛は、いずれも辺境の地に割拠していた異族であるが、大和にも国栖とよばれる異族が住んでいた。
吉野川上流域の山岳地帯で狩猟民として独自の文化伝統と体質を守りつづけていた国栖は、大和人と接触する機会が多かったために、その異様な習俗と風貌がとくに目をひき、異族として扱われたのだろう。
池田の説明では弥生から古墳時代にかけての渡来集団は連続的に捉えられています。また、縄文人の形質を残す集団もいます。
なお、池田の扱っている古墳時代の人骨の多くが5世紀以降のもの。

24:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:29:10.96 hNU0NOEB0.net
クニじゃない
クンニ!

25:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:29:17.11 f2ZHCDoO0.net
思うに全ては大和朝廷の嘘物語かな 前提がおかしいんだろ

26:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:29:27.10 IRQSdt3t0.net
ヤマト王権は、簒奪した王権ということにはならないだろうな

27:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:29:27.17 a3BEkiwy0.net
紀元前3世紀ごろに福岡市西区あたりを武力で制圧した一族の中堅ランク

28:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:30:28.77 X3umnUG90.net
我らが早良区昔は凄かったんだな
今はヤクザと生活保護の魔境だけど

29:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:30:54.36 yrc0zy740.net
前原のほうも何か無かったっけ

30:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:32:00.67 RK9HOSay0.net
当然ながら韓半島からトライした人達でしょ。

31:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:32:45.03 a3BEkiwy0.net
紀元前3世紀後半において三種の神器制度は確立されていない
揃ったのはたまたまだろう
吉武高木遺跡で鉄器はでてなかったんじゃないかな

32:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:32:47.97 6myRun+20.net
渡来人が大中国に朝貢してた歴史を欲しがって互いに罵り合ってる九州土人と関西土人w

33:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:32:58.85 5eTD0oPz0.net
>>27
落ちぶれすぎ…

34:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:33:24.21 ArDUujNZ0.net
そりゃそのへん掘り起こしたらいくらでも出てくるわ
集落が1つ2つなわけねえんだから腐るほどあるわ

35:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:33:51.90 yX2oro+t0.net
遷都してたという可能性もあるのでは
もしくは分裂とかね
東邪馬台国と神聖邪馬台国とか元祖でも本家でも南北でもいいぞ

36:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:34:50.24 2FTQnyqk0.net
カトリック・イエスズ会の埋葬だろ

37:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:34:53.46 JNuZXr100.net
>>31
そしてその程度の歴史すらないトンキン土人wwwwww

38:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:36:12.05 X3umnUG90.net
>>33
道路や学校、公共施設を作る度に遺跡がザクザク出てくるが
家をたてる時には一切なんも出てこないw

39:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:36:32.07 JZqzpQvj0.net
ヤマタノオロチの草薙剣
オオナムチの和魂がついた八咫の鏡(名前:倭の大物主くしみかたまの命)
八尺瓊勾玉
が三種の神器やからね
唯の剣や鏡、勾玉ではない

40:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:37:15.58 6zY4lzXL0.net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★

邪馬台国 論争の背景
URLリンク(www.yoshinogari.jp)
伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高いが、
水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ

41:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:37:17.91 RUl2xNrE0.net
漢の奴国?

42:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:37:27.51 2FTQnyqk0.net
青銅製の武器だってw
紀元前の武器は鉄や

43:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:38:16.54 XIvOvsy/0.net
恐竜帝国

44:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:38:25.88 5CH3pidx0.net
>>16
今に見ていろ、ハニワ幻人、全滅だ

45:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:38:39.58 6myRun+20.net
>>36
渡来人が骨髄反射しててワロタ

46:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:40:21.62 X3umnUG90.net
>>39
大体ここは伊都国に隣接してるし邪馬台国はないわー

47:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:40:56.79 NmzFD7Ko0.net
三種の神器が示すものってなんなのだろう
中国と朝鮮と倭国の交流の証なのか、または男と女と子供(子孫)を示すものなのか

48:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:41:45.30 vZit+8GO0.net
>>44
脊髄反射だろ

49:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:42:08.86 2FTQnyqk0.net
>福岡市の西部に広がる早良平野
地質学で追うと この辺東京大学と同じ湿気地帯ですたw
捏造だ

50:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:42:34.49 bocDBay+0.net
他所の人は早良をさわらって読めないんじゃないだろうか

51:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:44:45.37 L/IHkkV40.net
庶民を騙して貢がせるためのカルトの小道具だもんね~

52:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:45:27.81 35+QapC90.net
そ・・・早良平野

53:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:46:01.89 2FTQnyqk0.net
福岡駅の西側で地下鉄工事で水没した
このとき、湿気地帯だってデータが浮上している

54:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:46:05.33 a3BEkiwy0.net
日本国内で大型建物が最初に現れたのが吉武高木遺跡だと思われる
埋葬された銅剣には欠けとか傷とか使用された形跡がある
争いがあったんだろう
この直後の時代の吉武大石遺跡の銅剣は欠けや傷がない
支配者層が争いに参加しなくなったのかもしれない
吉武大石遺跡のあと早良から200年くらい有力者がいなくなって
1世紀に吉武桶渡遺跡が出現するが短期間で消滅

55:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:46:55.87 c2ioDMJX0.net
奴国王だろうな
ちょうど山で糸島と隔てられてるわけだしな
いま平地で家がたくさんある海側は
古代は海の中だし

56:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:47:06.50 l848Hqep0.net
鮭、海苔、納豆

57:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:48:25.41 FFwZnyYV0.net
俺の神器を見せつけてやるぜ!

58:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:48:30.65 f2ZHCDoO0.net
>>39
こういうのが一番だめ 時間の感覚は現在と全く違う

59:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:48:51.25 ve6YVNvZ0.net
で、その副葬品の写真は?

60:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:49:21.59 yX2oro+t0.net
>>56
こ、このサイズは…!!
土産物屋で売ってるキーホルダーかな?

61:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:49:54.28 FFwZnyYV0.net
テレビと洗濯機と冷蔵庫だろ?

62:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:50:20.78 dx1nhk570.net
>>44
頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました(図6)。
どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。 (札幌医科大学・松村博文)
URLリンク(www.ff-ainu.or.jp)
URLリンク(i.imgur.com)
■頭蓋計測7項目から求められた地域集団間の距離関係
アイヌ----------東北-北陸-九州---------関東---------------------------------近畿

63:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:50:59.69 dx1nhk570.net
>>44
2021年現在、最新の研究結果です。
PCAプロット
URLリンク(i.imgur.com)
ADMIXTURE解析
URLリンク(i.imgur.com)
系統ネットワーク
URLリンク(i.imgur.com)

ゲノム解析によって明らかにされた遺伝距離
アイヌ-沖縄-福岡-関東-東海-近畿-韓国-北京

64:らくだ
21/05/07 23:52:53.51 se7OoKH00.net
URLリンク(hu.wikipedia.org)
中国4万年の歴史

65:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:54:48.19 2FTQnyqk0.net
大卒で捏造って

66:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:55:00.72 J0glz5B30.net
★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…西九州・南九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側

67:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:55:06.83 HS9j2Dxr0.net
そりゃあるよな
だから、卑弥呼にこだわってないで
ヤマトはヤマトでちゃんとしたルーツ見つけるべきなんだよな

68:らくだ
21/05/07 23:55:43.18 se7OoKH00.net
どっからどうみても、
トルコ系の血入ってるだろ?
日本人って

69:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:56:17.75 SOgzOlTQ0.net
3種の神器の起源は韓国

70:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:56:46.86 RoBh+vA90.net
福岡市内の序列だと東区未満だけどな

71:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:57:02.75 c2ioDMJX0.net
奈良ファンタジー日本史学会のせいで
糸島と博多の間の山とかぜんぜん発掘してないだろうけど
ぜったいお宝が埋まってんぜ?

72:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:57:08.91 +GXFrAG+0.net
結局奴国も没落しちゃったんだよね
甕棺墓も廃れて、金印も返せず、朝貢もできなくなった

73:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:57:32.06 QKMV9MkW0.net
だから、別府温泉付近を掘ってみろって。
このような規模の遺構がバンバン掘り起こされる

74:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:57:39.59 l848Hqep0.net
橋本環奈、森七菜、広瀬すず

75:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:58:52.16 urhHS9It0.net
テレビと冷蔵庫と洗濯機が出たのか

76:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:59:13.84 8vJfN3Ov0.net
3点セット!
物部氏は10種の宝物を持っていたらしいよ

77:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:59:40.68 SOgzOlTQ0.net
おのれ頼朝、われ地獄より甦りたり

78:ニューノーマルの名無しさん
21/05/07 23:59:43.36 bSNgjNXK0.net
うんこ
ちんこ
まんこ

79:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:00:53.27 r/B4Iw5P0.net
100人に1人タダみたいな

80:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:04:27.67 Pdu6c7Uf0.net
>>70
瑞梅寺、雷山、飯盛山、日向峠あたりは遺跡点在してるやんすよ。道路や治水工事したときに出てる
けど山だけに大規模な集落後や墳墓などは見つかってない

81:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:05:05.75 8fpuahU90.net
さあー迷った時はもう一度魏志倭人伝読もう
魏志倭人では中国大陸から邪馬台国へ行く途中には、糸島半島付近に「伊都国」、福岡平野南部を中心とした「奴国」があったと記されている

82:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:05:14.36 vc1+Bhga0.net
紀元前日本列島は100余国に分かれていたからな
分かれていたというより地域性のあるまとまりが出来始めていたというのが正しいか

83:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:05:24.73 Mkwiex4C0.net
>>28
平原王墓は日本一デカい銅鏡出てるし、三雲井原遺跡は元伊勢と比定する研究者も居るよ。
こないだ火野正平もチャリで来たし。

84:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:05:49.62 Qnucu3R90.net
>>79
それらって古代からずいぶん後の話だから
古代にも山の中腹あたりに
有力者の拠点があったはず
山城だな
あそこらの山はてっぺんとがってるから
中腹にあったはずで
それが2000年経つとどうなるかって
そら崩れて地中に埋まってる

85:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:05:54.52 GXe95wtM0.net
>>1
三種の神器に相当するものがたまたま副葬されただけのこと
鏡、剣、玉のセットを意図してないのは、北部九州のその後の副葬品に規則性がないことから明らか
そのとき所有してたものを墓に入れたに過ぎない

86:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:06:36.33 Y6XKFP5F0.net
>>46
太陽信仰だったという証拠にはなるね
あの鏡で太陽の光を反射させて民衆に照らして、自分は太陽を操ることが出来るというような
セレモニー的なことをしてたんでしょ

87:Ikh
21/05/08 00:07:01.71 DiBxIVo90.net
剣と鏡と勾玉で三種の神器という考え方は相当に昔からあったんだねえ。

88:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:07:08.63 Ozq32dgw0.net
うーむ、やはり福岡は日本のまほろば、日本の首都が置かれるべきところだ
日本人よ、福岡へ帰れ!奈良とか京都とかまして東京なんか、忘れろ!

89:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:08:05.50 MC9flQaV0.net
なぜ三種のうち八尺瓊勾玉が皇居にあるのか知ってる?
適当に選んでるわけじゃないからね
南北朝時代もまず狙うは勾玉だったでしょ?

90:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:09:35.82 /EObDt2k0.net
相良平野てあるん

91:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:10:07.95 r/B4Iw5P0.net
いと、って……🇯🇵日本語で読んでたのかよw
大陸の人はw

92:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:11:11.06 tpmzYU1o0.net
糸島といいここといい
この辺は出土多いな
それに比べ奈良の桃の種と来たら

93:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:12:05.63 Qnucu3R90.net
>>91
古代日本の中心地に決まってるしw
中国役人が常駐するぐらい
重要な場所
目的はヒミコの魔力

94:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:12:40.89 EXxGotHE0.net
URLリンク(youtu.be)
あれ?!読めないの?
それ中国語じゃないんじゃ?

95:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:14:46.56 Pdu6c7Uf0.net
>>83
瑞梅寺ダムのところに貝塚あるよ
ということは集落もあるはずだが完全無視でちょうっすらされてないぽい

96:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:16:18.95 CX2mZ/VE0.net
キリスト教の埋葬法に壺を使っている
フランシスコザビエルが入植 1549年から

97:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:18:05.86 Qnucu3R90.net
>>94
まあ福岡と糸島の間の山でも
そうとう範囲もでかいし
なんか出てこないかぎり
掘るってもヤバイ金がかかるからなw

98:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:21:02.48 Qnucu3R90.net
斜度がきついってのもあるが
いまだにほとんど未開発の山だからな
古代のお宝は絶対にそこに眠ってるわ

99:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:24:13.64 5r3fPfMn0.net
>>88
昔は剣と勾玉を皇居に置いてたけど剣を紛失したから

100:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:25:44.47 CX2mZ/VE0.net
>吉武高木遺跡から出土した青銅製の武器やヒスイの勾玉
十字軍 青銅 剣 で検索するとフリーメイソンにも青銅の剣でヒットするよ
キリスト教の埋葬方法に「壺」を用いている
悪魔教の産物や

101:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:26:20.66 9IAaD43O0.net
そのうち遺跡を発掘すると
車・カラーテレビ・クーラーが出てくるようになるな

102:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:29:05.58 Mkwiex4C0.net
>>100
KKKならぬCCCか

103:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:29:16.67 lARryE0w0.net
令和のゴッドハンド大活躍
「あ、もうちょっと深く埋めといてください」

104:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:33:22.71 HxSknNzG0.net
まあ西暦100年頃に帥升って王様が160人の奴隷を連れながらリスク負って日本海渡って漢に謁見しに行く程度には陸路・航路が確立されていた訳で、
その頃にはある程度発展した社会体制・政治体制・航海技術が成立していたと見るのが正しいだろうしな。
(数百人規模~数千人規模の国で160人も連れて行ったら国自体持たないだろうし、数万人規模でも160人も理由なく連れて行ったら社会が不安定になるだろうしな。)

105:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:35:35.67 X6CnNo4N0.net
>>80
そう。
倭国代表として漢に朝貢していた奴国が、実は、倭国代表でも
何でもなくて、邪馬台国の支配下のクニに過ぎなかった。
で、今度は、魏に邪馬台が朝貢..


106:. どういうこと?? 注意深く魏志を読めば、教科書に書いてある事とは大違いで、 倭国大乱は、邪馬台内の内乱ではなく、列島の大乱だと分かる。 邪馬台が負け、覇権放棄を科された。(女王「共立」とは、 降伏条件(男王禁止=覇権放棄)を飲んで停戦という事。表向き 邪馬台が倭国(列島)の盟主なので、倭国が女王を「共立」とw) その昔、漢への朝貢を握り(奴国に行かせた)、漢の権威を背景に 列島の覇権を握った邪馬台は、漢の衰退と共に力を失い、実力だけ が物を言う世界となって、覇権を失った。何処が、新覇権国? 魏志の記述で博多港を支配してる謎の存在「大倭(ダイワ)」だな。 一見、邪馬台の支配下の何者かの様な書きぶりだが、実態が謎。 そもそも邪馬台の立場からすれば、邪馬台=倭國 な訳で、 その配下のクニや者が「大倭」を名乗る筈もなくwww 大倭(ダイワ)とは、約一世紀の後、邪馬台を滅ぼしその名を継いで、 大和(ダイワ=やまと)と名乗る奈良のことだわな。



107:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:38:08.77 Y6XKFP5F0.net
>>99
欧州も青銅器時代は骨壺埋葬の文化があったんだよ
一緒にナイフや鏡、宝石が入ってるのは愛用してた形見だから、当たり前と言えば当たり前なんだよね

108:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:38:17.63 Cu0MPRIh0.net
地理的に見て倭の中の韓国ではないか?
クソジャップは韓国大兄に韓謝しろよな。

109:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:39:03.43 5C845DDQ0.net
だからヤマト王権は北部九州の邪馬台国(ヤマト)が東遷したんだってば

110:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:39:15.06 qPb1c7LH0.net
>>46
勾玉は胎児かなあ

111:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:39:18.42 lziDzeW20.net
テレビ冷蔵庫洗濯機だっけ

112:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:39:53.48 Twg6q4ac0.net
ダークサイドミステリー「神秘の遺宝の謎?聖槍ロンギヌス・聖杯・死海文書?」
NHKBSプレミアム
5月13日 21時-22時
聖なるもの。それは、人に驚くべき力を与える。アニメやゲーム、映画に登場する聖なる遺物たち。
現実には“本物”が伝承される一方で、フィクションでは“世界を変える”“すべての願いをかなえる”など、すさまじいパワーで物語を彩る。
なぜ、魅力的なイメージは飛躍したのか?そもそもの遺宝の真実とは?聖なるものと人類、2000年に及ぶ知られざる伝説とは?
ロンギヌスの槍・聖杯・死海文書、驚きと秘密の真相に迫る。

113:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:41:17.62 5C845DDQ0.net
>>103
あの時代北九州から洛陽まで往復するだけで1年かかる
帥升は王の名前を示してるのではなく王の使者だろう

114:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:42:07.96 gDRV0Npl0.net
早い話はこういう事だろ
・勾玉=越王国、出雲王朝
・草薙の剣=スサノオ(卑弥弓呼)=出雲王国と狗奴国
・鏡=邪馬台国=卑弥呼(アマテラス)
つまり勾玉も含め当時三種の神器は日本全土の古代王国が所持してた

115:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:45:39.91 5C845DDQ0.net
>>112
全く違うよw
3種の神器は北部九州だけで普及してた威信材
出雲なんてずっと銅鐸文化だよw

116:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:45:41.41 FjdSkTNP0.net
単なる子孫繁栄子宝に恵まれるとかの御守りだよ

117:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:46:55.33 CX2mZ/VE0.net
1550年以後に作られたカトリックの墓地を紀元前と主張する大卒 考古学者
文系大学って必要?

118:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:47:19.73 5C845DDQ0.net
文字文化がなかったからたった1800年前のことも分からないんだよな日本って
中国なんて甲骨文字で殷の時代から解明されてるのに

119:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:48:20.34 X6CnNo4N0.net
邪馬台(日田~筑紫平野)が博多港の旧支配勢力から港を奪い、
列島の覇権を握る過程が、海幸彦・山幸彦の神話に記されている。
海幸彦(みなとの旧支配勢力)から借りた釣針(=鉄!)を
山幸彦(邪馬台(やまとぅ?))が無くし、海を渡って海神の宮へ行き
(=半島で漢の帯方郡や半島倭人に政治工作)、玉(=朝貢!)と
釣針(=鉄の輸入利権!)を貰い、それで海幸彦を懲らしめた。
この話は、天照とスサノヲの誓約に再掲されており、
天照(邪馬台(旧やまと)の権威の象徴)がスサノヲの剣を噛砕き、
宗像三女神(女神=戦わぬ神)が生まれた、とある。
詰まり、宗像が邪馬台の軍門に下ったということ。このことから、
博多港の旧支配者は、宗像(みなとの傍ら=みなかた?)と判る。

120:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:51:04.04 Mkwiex4C0.net
>>112
剣、鉄、須佐ノ王は出雲、山陰
鏡、天照、伊勢=伊都、日向、伊都、北部九州
勾玉、?
というイメージがある。

121:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:52:25.02 mrqfNCdh0.net
剣←わかる
鏡←わかる
勾玉←いらんやろ

122:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:52:33.46 5C845DDQ0.net
伊勢神宮なんて出来たの4世紀以降だよw
あんなの有難がってる奴ホント頭悪い
天皇家が本当に崇拝してるのは宇佐だよw

123:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:56:09.37 irOq9SOu0.net
徐福の痕跡が見つかっちゃうとマズいんですけど

124:Ikh
21/05/08 00:57:19.57 DiBxIVo90.net
剣や鏡ってのは中国からの輸入品が多いが、勾玉を珍重するってのは、あれは
日本オリジナルらしいねw

125:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:57:26.63 5C845DDQ0.net
徐福はただの詐欺師だから

126:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:58:30.75 sxxu/W+m0.net
つまり今の天皇は偽物ってことか

127:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 00:59:07.17 5C845DDQ0.net
勾玉は胎児だろうな
子孫繁栄の象徴だろう
縄文時代の土偶が妊娠した女性を現してるし
それが簡略化されて勾玉になったんだろうな

128:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:03:10.69 gOz5ky+F0.net
>>119
揃えると、後ろからシャンシャンシャンシャン
変な女が追いかけてくるんだろ?

129:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:03:57.07 FjdSkTNP0.net
スサノオと卑弥呼は赤の他人だよ、スサノオは半島牛頭山、祇園山。卑弥呼は山岱、宗女壱與は岱與、原始道教、スサノオの流れに前方後円墳は造れないの

130:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:04:53.83 gOz5ky+F0.net
>>122
🍻宴会の席で鼻につめて飛ばすんだYO!

131:Ikh
21/05/08 01:06:18.22 DiBxIVo90.net
>>128
三種の神器も宴会アイテムかよ~

132:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:07:32.54 4ayIqqdb0.net
>>1
こっちが本物の三種の神器?
今天皇が持ってるやつは何?

133:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:09:02.44 2sS6PQ8o0.net
い~ざとなったらタマを出せ♪

134:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:10:50.40 DsmtC8hb0.net
さすが修羅の国だけあるわ。
なんでも出てくるわね。

135:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:12:26.15 7WcCPRj/0.net
>>104
面白いね!
> 魏志の記述で博多港を支配してる謎の存在「大倭(ダイワ)」だな。
なるほど。
> 一見、邪馬台の支配下の何者かの様な書きぶりだが
いや、たぶん大倭はさ、ヤマタイ国の支配下だったんだけど、
博多港の実権、つまり戦略物�


136:曹フ交易=朝貢・受領の実務を直接握っていたので、 それをテコに、ヤマタイを下から倒した。 つまり下剋上したんだよ。中国流に言えば易姓革命みたいなもんだね。 その卑怯さを隠すための「嘘の物語」が神話の元ネタになったのではないのかな?



137:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:14:42.00 X6CnNo4N0.net
>>125
胎児が勾玉型してるのは、発生のごく初期。
胎児が最初あの形をしているというのが分るのは、
医学が発達した近世から。

138:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:21:00.80 vPAn4Q+90.net
糸島半島あたりは「いと」でなくて
「しま」斯馬国だろな

139:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:22:41.92 eFztjwTj0.net
>>43 更迭ジーグ乙

140:Ikh
21/05/08 01:23:18.61 DiBxIVo90.net
勾玉のあの独特の形状についてはいろんな説があるらしいが、これといって
決定的なものはないようであるねw 道教の陰陽図からきてるのではないかという
説もあるが、大陸では勾玉のようなものはなかったらしいし。

141:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:24:36.47 eFztjwTj0.net
>>73
真ん中は浜辺美波に

142:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:27:14.74 Y6XKFP5F0.net
クフ王のピラミッドの新空間から勾玉が出てきたらと思うと夢が広がるわ

143:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:30:30.82 X6CnNo4N0.net
>>133たぶん大倭はさ、ヤマタイ国の支配下だったんだけど、
下剋上というのは、話としては面白いが、実際には、
邪馬台の港を大乱前から大倭が監理していたわけではない様だ。
漢の時代、港を監理してたのは奴国だわ。朝貢に行かされてた。
そこに邪馬台の管理が居た筈だ。
ところが邪馬台が大乱で負け、勝者の大倭が港を押さえてから、
その官吏、「一大率(一人の大率)」を港のすぐ横の伊都国において、
そこから港とその周辺諸国を監理している。みなが恐れてる。
一方、港から続く内陸側の奴国は、港の管理から外され、さらに、
なんと副官ヒナモリ(鄙守=辺境国に置いた監視役)まで置かれて
クニの内部から見張られてる。中心諸国には置かれない役職だわ。
このことから、港の支配構造が大きく変わった事がわかる。
魏志倭人伝には大倭の所在地が書いていない。
海を渡った本州の記述が、そこも「皆倭種」とだけあって
ぼやかしてあり、そこに大倭の所在地=奈良が隠されてるわけだな。

144:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:32:50.97 SPy1ozX10.net
かつて,古田武彦さんのセミナーで,三種の神器は九州からしか出土しない
ことも,九州王朝の存在と矛盾が無い,と聞いたことはある.だから,
三種の神器という表題ですぐ九州出土だろう,と思たら,その通りだった.

145:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:38:19.16 FPtZ11Sm0.net
弥生時代
鏡 剣 勾玉
江戸時代
刀 小判 丁髷
昭和時代
テレビ レンジ 冷蔵庫
平成時代
携帯 薄型テレビ インターネット
令和時代
スマホ マスク SNS

146:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:38:46.36 YQkc4eV/0.net
大和朝廷の起源は九州で確定なん?
それとも別の王朝があっただけ?

147:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:54:53.75 ubrWuuDf0.net
>>142
SNSは前世代からあるから適当じゃないな
ブロードバンドだからこそ一般も当たり前になった配信を入れるべき
まあひっくるめると3つ目はインターネット続投になるだろうね

148:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 01:58:26.29 /pW15p3N0.net
>>112
鏡 先進的な外国勢力との結び付き
剣 武力・権力
玉 財力・権威
普通に考えれば分かる

149:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:00:37.43 x/d9uyVo0.net
韓国の優れた技術が九州経由で倭に伝えられた紛れもない証拠
韓半島南部の加耶人が西倭を支配してヤマト王権になった

150:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:03:02.72 JYad4gFx0.net
>>1
おいおい、日本最古は皇居と伊勢神宮に熱田神宮のじゃろ

151:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:06:50.68 kM8Bgka20.net
>>8
は?過去の歴史が無ければ、
人間など浮遊霊と変わらないだろ?
この意味わかるか?

152:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:08:08.52 PlKpmNUH0.net
は、早良って、
早良親王とは関係あるの?

153:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:08:08.56 X6CnNo4N0.net
>>146
半島中何部が倭人(弥生人)の本拠地って知ってる?
倭人、つまり日本語話者だよ?
その伽耶人って日本人だよ?wwww

154:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:10:26.81 R255EwLF0.net
冷蔵庫と洗濯機と掃除機だったかな
深夜番組のカノッサの屈辱の妙に古めかしたの想像しちまった
まあ当時上流階級では流行ってたからね
どうせ埋めるからってので鏡はみがかず
剣も刃を研がずにとか珍しくもなかったな

155:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:11:14.91 Ss2I85le0.net
>>146
その説は半分あっている
そもそもヤマトは韓国語が由来でありその後の中国に対するように当時は韓国を手本に学んでいたと言うことの証拠なのだ
途中から各地に領土が広がりすぎ倭人が管理できる範囲を超えたため韓国人の支配を受け入れるようになる
そこから外交が発展し中国にも認められるようになり後世には領土の広さゆえにヤマトの候補地がいくつもあるという原因にもなった
その後は倭人の裏切りに遭いヤマトの直系国家は途絶えてしまったと思われる

156:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:19:58.96 Gwx+hfXD0.net
>>112
剣は出雲から奪った物
鏡は九州から奪った物
勾玉が皇室の先祖から代々受け継いだもの
だから勾玉だけが皇居にある

157:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:23:42.62 P4mE4Hnh0.net
ますます
邪馬台国九州説が確定してくるな

158:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:32:14.30 X6CnNo4N0.net
>>143
九州が初代やまと(邪馬台)。漢の時代の列島覇権国。
配下の奴国を漢に朝貢させ、自らは大陸の臣下と成らずに
朝貢の利を得、漢の権威と財、半島との交易(特に鉄!)
の独占をもって列島に君臨した。
漢衰退期の列島の大乱(倭国大乱・2C末?)で邪馬台が負け、
勝者の奈良が列島の覇権を握り「大倭(ダイワ)」を自称、
邪馬台を名ばかりの倭国盟主にして魏に朝貢させた。
華北が完全崩壊した4世紀頭、東亞の朝貢秩序が完全消失。
この時期に大倭(奈良)が九州邪馬台(やまと)を滅ぼし、
その権威を継いで大倭/大和(ダイワ=やまと)と自称。
なお、「やまたい?」「やまと」の名の違いについては、
当時の九州と近畿の方言の発音の違い、時代による発音の
変化も関係してると思う。

159:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:32:49.74 S/P1MHR+0.net
>>154
漢委奴国王九州説だよ
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡
鏡やすずりなどの出土品

「邪馬台国」の遺跡では無い

160:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:33:53.15 S/P1MHR+0.net
ますます
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡
鏡やすずりなどの出土品

「邪馬台国」の遺跡じゃねーな

161:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:39:48.24 p0B86o6G0.net
>紀元前2世紀
それだと「紀元3世紀」の魏志倭人伝の500年前だから合わないから
先邪馬台国って感じだろ
つか吉野ヶ里の大規模遺跡は魏が成立したときは既に遺跡で
小さな村落が遺跡の上にあったくらい

162:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:46:37.74 NBjnkQui0.net
テレビ、冷蔵庫、洗濯機
まじかよ古代日本すげえな

163:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 02:50:21.47 EfBiVfTu0.net
>>98
なくなったのは形代だぞ。

164:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:03:56.18 6TpTZzXO0.net
>>8
学生時代は同じこと思ってて歴史が一番嫌いだった
いまは宇宙の起源とか人類史とか面白くなった
人間って成長してないというか本質が変わらないというか、先人に学ぶことは予想以上に多い

165:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:08:18.71 3R5/zal50.net
>>122
中国じゃ翡翠採れないんじゃなかった

166:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:11:27.76 yXYH8s7c0.net
読み方なに?

167:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:14:44.04 I9P6dHna0.net
>>39
馬鹿なのかな方角を読めない様な未開人が日本に辿り着ける訳ないだろ

168:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:16:03.10 IhLxm94X0.net
“令和の家電 三種の神器”決定! 「4K/8Kテレビ」「冷蔵庫」「ロボット掃除機」
URLリンク(prtimes.jp)

169:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:34:17.65 jlc2oqtt0.net
バカバカしい

170:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:38:56.45 7N+6MpD10.net
福岡県三橋郡山門(やまと)町に邪馬台国はあった

171:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:48:31.80 X6CnNo4N0.net
>>152
アホだねぇw 韓国語は、当時まだない。
今の韓国・朝鮮語は、日本語のベースに高句麗語が乗っかったものだよw

172:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:55:53.27 YWai9Ea20.net
>>155
卑弥呼亡き後、再び争いが勃発し、13歳の女の子が邪馬台国を制圧したんですよね、すごいねww

173:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 03:56:22.62 KmHGj1y10.net
>>156
魏志倭人伝等にある邪馬台国の時代以前の絹が近畿からは出ないんだもんなあ

174:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 04:14:59.59 lUQYL7KP0.net
早良は当時日本の玄関口だったろうからね
そりゃ真っ先に栄える

175:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 04:16:51.35 LCD/SDWM0.net
>>31
>>36
日本とは古来より関西九州の事
関東は付け足した蝦夷
江戸も元々は朝鮮人の土地wwwwwwwwwwwwwww

176:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 04:17:49.89 g3W8WOZU0.net
倭人伝の一大国が壱岐国なら、伊都国に置かれた一大率も壱岐率だろう
吉武遺跡のある室見川西側には壱岐という地名が分布している
壱岐小・中学校もあり、神功皇后ゆかりの生(いき)の松原もある
おそらく室見川までが伊都国で、その壱岐に駐屯した軍勢が一大率と書かれた
菅原道真は室見川を遡り途中で上陸して大宰府へ向かったが
室見川付近にいた一大率もまた似たようなルートで荷物や文書を女王のもとへ伝送したんだろう

177:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 04:3


178:3:01.75 ID:kD7D7BYf0.net



179:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 05:04:51.21 X6CnNo4N0.net
>>169
卑彌呼の死後、男王が立ったというのは、
邪馬台の覇権復興を目指したということ。
戦になり、また負けて、また邪馬台に覇権放棄が科され、
男王禁止=女王・壹與(臺與)が即位した。
二度と邪馬台の覇権が戻ることは無かったということ。
哀れな姿だw
なお、壹與は卑弥呼の宗女(=父方の男系で辿れる男の娘)



180:記されている。



181:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 05:32:03.17 zjvIpTVg0.net
>>70
奈良で桃のたね掘るより色々出そう、でも、こっちに予算取られると奈良の学者が貧乏になって生活に困るから邪魔してそう(-_-)

182:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 05:59:32.39 ScRlCahN0.net
>>175
卑弥呼の死後、男王がたった後に国が乱れて死者多数、その後壹與がたっておさまった、くらいの記述しかないので、邪馬台国の覇権がどうひたこうしたというのは特に根拠はないのでは?
少なくとも魏使である張政は彼女を王として扱い、さらに魏に奴隷を献じている。
>なお、壹與は卑弥呼の宗女(=父方の男系で辿れる男の娘)
宗女についてそのような解釈(男系がどうの)はきいたことがないかも。

183:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 06:09:13.57 YFNDIH9h0.net
>>177
ある種の人間には他人に見えない文字が行間に浮かんでくるんだよ
倭人伝に卑弥呼の処刑が書いてあるって主張を見たことあるぞ

184:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 06:42:34.08 mjkei+mz0.net
また日本が歴史を捏造してる

185:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:02:28.28 J5dSAPUc0.net
>>172
捏造大好き朝鮮人w

186:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:06:35.29 kb14TuV50.net
早良が独立した王国だったのではなくて、そこは海洋文化の伊都国の一部だった
魏志倭人伝の記述によると、伊都国から奴国まで東南に短里で百里(約7.5km)しかないのだから、
奴国の都である春日市の春日丘陵からの距離を考えると西新町遺跡(福岡市早良区)あたりまでは伊都国でなければならない
春日丘陵の須玖岡本遺跡から西新町遺跡まで直線距離でさえ10kmあるからね
間に山があるから実際にはもっと遠い
須玖岡本遺跡から北西方向に7.5kmだと天神までしか届かない
当然早良も伊都国ということになる
> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> URLリンク(i.imgur.com)
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない
奴国の王墓が見つかっている春日市の須玖岡本遺跡はやや内陸で農耕文化

187:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:10:41.19 QjW3WiDz0.net
いいね。川沿いの畑を発掘しようぜ

188:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:17:38.88 eYpfZ3120.net
福岡の人は劣等感のかたまり

189:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:20:56.68 c6uobLkl0.net
シベリア南部から朝鮮半島経由して九州に来たのがエベンキ人でそれが弥生人の正体だ
俺たちこそエベンキ人なんだよな

190:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:23:13.95 0iGbXxrA0.net
>>181
今じゃ片田舎の糸島も当時は先端地域だったのか

191:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:27:24.24 BH21ckWS0.net
さば台国と聞いてすっ飛んできますた

192:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:28:23.41 kb14TuV50.net
奴国は大国だけに警戒されたようで鉄加工技術を渡してもらえなかった様子
570 :日本@名無史さん :2020/11/28(土) 01:54:13.64
>>550
そう考えたい気持ちも分からないではないけど、それだと魏志倭人伝を無視しすぎになってしまうと思う
伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、
内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう
では切れ目はどこに?


193:と思うだろう これを見てほしい http://inoues.net/iron_nakoku.gif 博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、 樋井川を境に分布がぷっつりと切れている そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する 樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区~南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう 春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう 伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる 鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる 海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな 青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる 奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう



194:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:30:21.98 kUGcG3pg0.net
これめっちゃ朝鮮よりで笑うよな。
どう考えても朝鮮半島から天皇渡ってきてんじゃん

195:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:31:04.72 2UH+dOyO0.net
>>174
王の祭祀に必要なものならば副葬されてるのはコピーもしくはその国では王毎に自分の三種の品を揃えていたって発想は無いの?

196:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:31:46.48 kUGcG3pg0.net
寝よ

197:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:36:13.79 2UH+dOyO0.net
>>188
・大きな古墳に倭人の遺体が葬られてたから証拠隠滅
・朝鮮半島最古の前方後円墳が日本より後

198:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:45:00.18 cZ6n8QZF0.net
>>172
斎藤成也「ゲノムを見ると関東の人達は韓国人に近い」
URLリンク(i.imgur.com)

199:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:55:43.97 9wvPyRm00.net
>>1
そりゃそうやろ、天皇とかは朝鮮半島か中国とかから来た余所者だからな
本来の日本人の支配者を殺したのが天皇の祖先だし。

200:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:56:02.53 CX2mZ/VE0.net
>>121
契約の箱が見つかった神社に七福神 像があるけど

201:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 07:56:53.33 jXngVUEc0.net
>>152
韓国って建国何年よw

202:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:11:27.42 qnW5sUhy0.net
>>1
画像を間違えてるやないかwwww
その画像は鏡の背面にある模様っぽい

203:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:13:48.11 npSt7Tyx0.net
>>147
壇ノ浦の海底に沈んだ

204:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:14:00.90 WCdNuLVL0.net
>>122
>>162
中国で翡翠といえば軟玉(ネフライト)のことだからな
日本の翡翠は糸魚川の硬玉(ジェダイト)

205:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:14:56.00 WCdNuLVL0.net
>>197
そもそもそれもコピーなんだけどね

206:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:19:43.10 O2AAqULA0.net
>>48
湿気地帯ってなに?

207:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:20:49.26 ET2krJ7F0.net
ちょうどイリヤッドを読み終わったらこんなスレが建っててびっくりしたわ

208:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:22:28.57 qulVD92e0.net
>>8
ひと�


209:閧ナやってろ



210:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:22:32.40 hPlSB4P30.net
>>1
邪馬台国の首都圏、女王国は伊都国と奴国
早良平野は奴国だから当然だろうな。

211:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:25:33.16 5UqoFn450.net
天皇家のルーツって、やっぱり南朝鮮〜北九州〜近畿なのかな。

212:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:25:42.20 S/P1MHR+0.net
>>181
バカくさい
末廬国の本土上陸地は
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎
九州だったら立派な港に入港してる

213:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:27:44.24 V8xTjxZ10.net
よーし、桃の種で対抗だー

214:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:28:54.94 hPlSB4P30.net
>>173
女王卑弥呼は一大率を女王国以北の諸国に置き
女王卑弥呼は常に伊都国で諸国を治めていた
と魏志倭人伝には書かれている。

215:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:32:04.87 UUp1MOGA0.net
おとぎ話
東征を説明できない

216:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:32:56.91 UUp1MOGA0.net
たぶん海賊

217:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:33:01.71 2HquldEN0.net
>>204
紀元前200年に三種の神器あったなら、その1000年後に古事記や日本書紀が書かれた事になる
文化的な継続性は確実にあるだろうな

218:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:33:56.24 S/P1MHR+0.net
>>204
日本の記紀だと一応
九州の筑紫城・伊邪那岐神(漢委奴国王)

奈良の高天原・建速須佐之男命

出雲の葦原中国・天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギ)

九州の筑紫城・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)

奈良の大和の神武

219:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:34:07.36 NuBgso9q0.net
>>187
早良地区は伊都国じゃ無いだろが
何しゃーしゃーとウソをw

220:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:34:27.08 hPlSB4P30.net
>>205
当時の一番の港は呼子付近だ、呼子付近は天然の良港だからね
魏志倭人伝にも上陸地点の風景を「濱山海居(山と海の間の浜に住んで居る)」と描写している
この描写は山が海に迫りった海岸に家が立ち並んでいる呼子付近の風景そのものだな。

221:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:34:36.41 Zj0zVYbp0.net
>>204
そうだよ。平成天皇も言ってたし。
>>193
「本来の」なんて言い方はやめるべき。そんなこといいだしたら、日本中縄文系に
明け渡すことになる。近畿は縄文人がほとんどおらず、実際現在の血統もほぼ半島
系だが、だからといってニギハヤヒや神武天皇、天日矛らの「第二次天孫降臨」よ
り前に人がいなかったかと言えば、とっくの昔に弥生稲作は始まっていた。もし長
脛彦が実在したとしても、彼も弥生人。
更に、大和朝廷内でも百済系と新羅系があるし、中国系貴族もいるから、なにが本
来なのかなんて意味が無いし、そういう対立を生む表現はやめた方がいい。
勿論言いたいことはわかるよ。未だに「万世一系」とか言ってるキチガイウヨの方
だからね、そういうの好きなのは。

222:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:35:19.02 hPlSB4P30.net
>>212
伊都国は日向峠や糸島峠までだね
早良地区は奴国だよな。

223:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:35:20.16 CX2mZ/VE0.net
>>200
海水が入り陸地がほとんど無い場所
アイヌ語ほケッセントーと似たような意味を持つ領域

224:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:35:31.00 9KK5SiHV0.net
良く晴れた日には釜山の海岸から福岡が見える
フェリーで3時間の距離
当時周辺に住んでた連中に国境だの島国だのと言った概念は無い
もちろん韓国人、日本人なんて自意識も無い
日本海挟んで生活してた海洋民族が倭人
もはやヤマト国の起源が九州北部・朝鮮南端にあるのは疑いようがない
東征が起きた理由を詰めていく段階

225:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:35:37.72 S/P1MHR+0.net
>>208
日本の皇統の成り立ちは
初代・天之御中主神
 高御産巣日神
 神産巣日神
 宇摩志阿斯訶備比古遅神
 天之常立神
 国之常立神
 豊雲野神
 宇比邇神
 角杙神
 意富斗能地神
 淤母陀琉神
 伊邪那岐神
 天津彦火火出見尊(山幸彦)
 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
までは九州・筑紫城(漢委奴国王)だけだけど
そこから
伊邪那美命から産まれた
大綿津見神(豊玉彦)九州・筑紫城(漢委奴国王)
伊邪那美命から産まれていない
天照大神、奈良・高天原
建速須佐之男命、出雲・葦原中国
の3派に枝分かれして
その後、伊邪那美命から産まれていない奈良と出雲が国譲りで天照大神のもとに一本化して邪馬台国が構成され
それからずっと倭王の座を、
伊邪那美命から産まれた九州皇統「筑紫城」と
伊邪那美命から産まれていない畿内皇統「邪馬台国」で
奪い合い

226:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:35:40.83 UUp1MOGA0.net
高句麗に負けて東征が始まったんだよな

227:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:36:05.55 NuBgso9q0.net
>>143
九州倭国の首都が邪馬台国
近畿日本とは別の国
近畿日本は元々は小国だったが大王崇神のころ大国に変貌し九州倭国を圧倒し、最後は併呑した
こういうこと

228:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:36:36.69 S/P1MHR+0.net
>>213
バカくさい
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていないクソ田舎
にはほど遠いな

229:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:38:03.62 hNqG++XO0.net
この時代から車とクーラーとカラーテレビあったんやな

230:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:38:05.60 2HquldEN0.net
>>204
勾玉ってのが縄文時代からあって、その後の時代に半島からも勾玉見つかるから、日本から半島にいったのかもしれない

231:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:38:07.35 KwZIPm/s0.net
記紀自体は各地の伝承の類を集めて回って
強引に一つにまとめたものだから
各地で伝わるうちにこねくりまわせれ過ぎて
整合性も何もなくなってる

232:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:38:25.32 NuBgso9q0.net
>>211
全然間違いw

233:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:38:54.15 NuBgso9q0.net
邪馬台国は御井だから高天原は当然筑紫平野な

234:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:39:02.51 hPlSB4P30.net
>>204
日本人の殆どが半島からの移住者だろうな
日本人が日本列島へ移動した後に朝鮮人が南下して来たんだ。

235:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:39:41.84 NuBgso9q0.net
>>219
東征も東遷もない
考古学的に否定されてる

236:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:40:13.38 0cYCK6qJ0.net
全ての勾玉は別に3種の神器じゃないからな
ミスリード以下だろ

237:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:40:35.49 MVOYqtOR0.net
早良饅頭に早良スマホケース、早良クリアファイルなぉおみやげ品を今から仕込んで一儲けしよ

238:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:41:38.01 hPlSB4P30.net
>>221
>草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない
これは東松浦半島内を南下してる時の風景の描写
続いて二丈付近の海岸の描写「魚鰒を捕るを好み、水の深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」があり
伊都国へ続く。

239:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:41:58.43 Qnucu3R90.net
朝鮮から日本に来たっていうより
朝鮮から日本にきて、日本と同化した渡来人勢力が
中国との関係で力付けて
朝鮮に攻めていって一時期朝鮮南部を国にしたが
高句麗に敗れて日本に戻って
奈良に行ったって感じが正解なのでは
朝鮮から日本って片道移動だと
日本語が朝鮮語とぜんぜん似てないことが説明つかない

240:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:42:24.87 HxP8Erqb0.net
洗濯機と冷蔵庫と白黒テレビか

241:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:43:15.50 PGbMQCj90.net
>>162
中国の翡翠は新疆和田、ミャンマーからのだな

242:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:43:35.35 9KK5SiHV0.net
八幡信仰がヤチ(大量)ハタ(魏の軍旗)って説が好き
宇佐神宮が八幡の総本山だし

243:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:43:53.33 hPlSB4P30.net
>>220
魏志倭人伝では九州倭国を邪馬台国と呼んでいる
卑弥呼は伊都国に居たとある。

244:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:44:08.90 5wt6brRh0.net
早良平野に邪馬台国よりも以前に繁栄した王国を詳しく調べてほしい
早良平野の王国の方が邪馬台国よりも興味あります。

245:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:44:38.06 5UqoFn450.net
東征の話しはともかく、神話とか言語が朝鮮由来みたいだし、応神天皇とかも北九州と親和性がある。

246:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:44:50.35 PGbMQCj90.net
>>122
翡翠はメキシコ、グアテマラの遺跡からも出るよね

247:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:45:39.06 NuBgso9q0.net
>>213
だね
オレも呼子で間違いないと思う
魏志倭人伝の末盧国は呼子の波戸岬
●まず、唐津平野では絶対にない。
理由その1:「草木が盛に茂っており、前を行く人の姿が見えない。」
唐津平野では、この魏志倭人伝の記述と全く合わない。
理由その2:魏志倭人伝の記述では末盧国から南東に伊都国があることになっているのだが、
唐津平野から南東へ行くとどのように考えても山の中に入ってしまい方角が合わない。
魏志倭人伝の記述する伊都国は港湾都市であり(恐らく志登支石墓のあたり)、山の中なわけがない。
●呼子の波戸岬から見ると伊都国は東南東になり、
これを魏志倭人伝では東南と表記したのだと考えたらムリが無くなる。
●また「上手に魚やアワビを捕り、水深の深浅にかかわらず、皆が水中に潜って、これを採取する。」
この魏志倭人伝の記述は、リアス式海岸であり三大朝市である呼子朝市が開かれる呼子地方のイメージと非常に良く合致する。
恐らく呼子で朝市が開かれるのは古代の末盧国の記憶が住民にあるのだろう。
魏志倭人伝「また、南に一海を渡ること千余里、、、、、一大国(壱岐国)に至る。
、、、、、、耕作しても食べるには足らないので、また南北に物々交換に出かける。」
この壱岐国から見て南北のうちの南ってのが正しく呼子のはず。
●狗邪韓国から単純に南→南→南、、、と行ったら呼子に行き当たる(方角的に話しが簡単)。
●朝鮮半島から見て九州本土で一番近い土地は呼子。
●呼子の波戸岬は一応外洋なのだが馬渡島とか加唐島とかの周りにある幾つかの島が
天然の防波堤になってて波がかなり静か。
波戸岬は外洋に突き出している割に海が静かで、
外から訪れる人のための目印の機能と、舟をつけるという機能の
どちらにも絶好の場所。
●また古来より呼子は九州から半島へ行く際のお決まりのコースだった。
だからこそ豊臣秀吉は朝鮮出兵の際の拠点になる名護屋城を
呼子に作ったわけだから。
結論:魏の使節は波戸岬に舟をつけたに違いない。
 

248:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:46:12.07 JZw1lmtp0.net
卑弥呼は1人じゃなくて実は職みたいな感じだったとちがうんか?女王みたいな

249:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:46:12.67 0cYCK6qJ0.net
天皇や貴族を介さない日本の歴史は許さない
貴族って漢民族を騙った扶余や朝鮮人のことでしょか?

250:三河農士
21/05/08 08:46:28.38 oCeyPvt+0.net
紀元前2世紀か。漢書地理志はともかく魏志倭人伝には古すぎるわな。
神武東征を紀元前1世紀(難波等の遺跡から)として鸕鶿草葺不合王朝等の九州王朝のものってところかな。
場所的には筑紫国なので鸕鶿草葺不合王朝というわけでもないと思う。

251:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:46:41.93 KwZIPm/s0.net
桃太郎伝説しゃないけど
伝承って長い年月を経ると何故か他所の伝承だったものが
何故か地元の伝承へ変わっていったりするので
にんともかんとも

252:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:46:48.86 Zj0zVYbp0.net
>>218
まず「皇統」という表現自体が既に無効。あくまで当時の表現に従わないと。
それと、神武系統は最初の天下り軍団でもないし、長脛彦が降ったり、ニギハヤヒ・物部
を従えたりというくだりも曖昧、その後も「欠史八代」は物部氏から嫁を貰ったり、どっ
ちが王かもわからない。磯城と志紀=大和川の要地を占める物部氏の方が当時の王だった
可能性が高いし、藤井寺・羽曳野古墳群も同様。三種の神器の敗残ルンペン部隊と、長脛
彦と弥生大生産拠点を擁する、十種の神器の物部ではどちらが格上か。
その後も、少なくとも継体は断絶しているし、天智と天武も断絶臭い。
継体は筑紫の君と戦い、ようやく長門まで手に入れたとある。更に、九州と遠祖百済滅亡
の白村江に中大兄も皇極も渡海せず、後方支援だけ。長らく半島戦争の主役は筑紫の君だ
とわかる。

253:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:46:51.47 UUp1MOGA0.net
じゃあさ
なんで馬で負けたの?
埼玉で繁殖してたんだろ?

254:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:47:00.77 hPlSB4P30.net
>>230
奴国は春日市じゃなくて早良区の方だな
春日市はたぶん不弥国
比定地を間違えてるな。

255:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:47:32.12 qPb1c7LH0.net
代々の天皇が誰を母としてたか
そしてそれをしなきゃ戦乱は避けられなかった

256:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:48:15.21 NuBgso9q0.net
注意1:これで分かるように魏志倭人伝の~~国に着くとは、その国の地理的な真ん中や王墓や王都のことなどではない。
一番最初に行き着くその国の目印になる場所や入り口の意味のこと。
例えばアメリカに行くなら、
ワシントンD.C.に着いたとき「アメリカに着いた」と表現しているのでは無く、
自由の女神像に着いたときに「アメリカに着いた」と表現する、
そういう表記の仕方を魏志倭人伝はしているはず。
だから例えば「伊都国へ到る」とあるのは三雲や平原のことではない。
多分、志登支石墓の辺りにあった港湾都市のことを指している。
注意2:恐らく「呼び込む」から呼子(よびこ)の地名が出来た。
google mapの3Dとかで半島から日本を見て見ると良く分かる。
呼子の波戸岬がちょうど招き入れるようにこちら側に突き出している。
壱岐島から舟で来るというパターンだと
波戸岬はこっちに突き出して呼び込み、招き入れるような格好になっている。
恐らくこれが呼子の地名の由来だろう。
(つまり元々呼子とは波戸岬のことだったのだろう。)
注意3:ただし、これだと壱岐島~波戸岬が千余里だと言うのが全然合わなくなる。
これは正直理由は良く分から


257:ない。 例えば、魏志倭人伝では対馬と壱岐島の大きさが4:3になっているのだが、 これはどう考えてもおかしい。 対馬は壱岐島より面積が遥かに大きい上に、南北に長い。 壱岐島は面積がずっと小さい上に丸い形をしている。4:3なんて数字は出て来ようがない。 例えば5:2とかになるはず。 このように元々海上での計測は非常に誤差が大きかったのだろう。 とりあえずこれが理由だとしか考えられない。 恐らく海流に流され流されで計測して六、七百里くらいになって、 それを千余里(約千里)と表記したのだろう。 (流されることを考えずに地図上で測ったら五百里くらいになる。) 海上では地上と違って障害物が無く、壱岐島から南へ行ったらどのみち九州へ着かざるを得ないのだから これで用が足りたのだろう。



258:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:48:21.17 z7st1Z/X0.net
>>242
乙巳の変の時に大規模に書物を焼却したんだろうな
不自然過ぎるわ

259:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:49:06.79 hPlSB4P30.net
>>237
早良平野の王国は奴国だな
漢委奴国王の印貰った国じゃない。

260:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:49:07.03 9KK5SiHV0.net
>>241
王女と王子を
姫皇子ヒメミコ、彦皇子ヒコミコ
って当時呼んでて
王女がヒミコ、王子をヒミココ(聞き間違い)
って倭人伝に書かれたって説もあるな

261:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:50:07.44 O2AAqULA0.net
>>216
湿地帯のこと?

262:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:50:18.99 +bZZTdBu0.net
>>250
天智、天武の政治力すごいよな

263:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:50:30.09 Qnucu3R90.net
いま糸島ってところは半島になってるけど
古代は海面が上がってて
山になってるところが文字通り島だったはずなんだよ
伊都国と島な
完全に合致するんだわ

264:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:50:45.65 UUp1MOGA0.net
西日本は牛だと言ってるし
都合が良すぎ

265:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:52:23.70 Qnucu3R90.net
で、ヒミコは山に隠れたってんだから
邪馬台国の遺跡は
糸島の奥にある背振山脈のどっかに埋まってるはずなんだわw
最短の物理的関係でいうとな
あとは吉野ヶ里とかすごい遠くに飛んでいくけど
古代の地理関係は国の並びからしてそんな遠くなさそうなんだわ

266:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:52:44.47 Zj0zVYbp0.net
>>242
全部がそうでは無いだろうが、畿内の縄文人口からは、畿内人は半島・中国系が中心
だと、遺伝的にも証明されている。
弥生稲作技術の伝搬と、民族移動がどこまで軌を一にするか、によると思うよ。
例えば長野なんかはやはり縄文系が多くて、稲作はかなり遅かった。逆に関東は結構
早く、長野よりは渡来系遺伝子が多い。東北は意外と早いが遺伝的には縄文。

267:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:53:11.22 hPlSB4P30.net
>>254
天智は九州倭国の王
天武は九州倭国の皇女持統に入り婿して天皇になったんだろうな。

268:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:53:25.98 viNQXGj40.net
早良平野がわからなかったわ
ごめんなさいマップで調べた

269:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:54:09.11 zrVqZsfv0.net
当時は日本列島は100余国に分かれていたということを無視したらダメだな

270:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:54:14.69 Qnucu3R90.net
もう古代の話で天皇がどうとか言うのやめたら
古代に天皇なんかいないんだから
ぜんぶ奈良の創作だから
ちゃんと王と中国からも日本の墓からも
出てきてんだから

271:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:54:54.78 d2c5P2ui0.net
昔も今も、政治が腐敗して現実逃避したがる庶民が増えてくると、
各地でカルトが同時多発するのが世の常だから、互いに似た手口で
庶民を騙した一教団の小道具のセットが出土しただけなんだよね~

272:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:55:06.18 zrVqZsfv0.net
奴らが寄ってくるぞぉー

273:ニューノーマルの名無しさん



274:sage
>>231 だから 紀元前から大陸と交易している九州に港も無く >草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない なーーんてところに船が着くわけがねーだろーーーーーーー



275:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:56:33.04 u6OKqMeI0.net
地方豪族の古墳わ破壊している時点でな
いまだに地方政権の歴史を潰しているのが日本

276:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:57:00.87 Qnucu3R90.net
>>265
古代の糸島は博多湾のなかに
島が点在してたんだから
どこでも寄港できるだろ

277:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:57:17.14 S/P1MHR+0.net
紀元前から大陸と交易している九州に港も無く
>草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない
なーーんてところに船が着くわけがねーだろーーーーーーー
ねーアタマで、ちったぁ考えろ

278:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:58:24.93 Qnucu3R90.net
>>268
つまりいま博多で人の住んでるところは
昔は湿地帯だったって話じゃんw
で、早良とか山とその近くの平地に
人がいたわけよw

279:三河農士
21/05/08 08:58:40.21 oCeyPvt+0.net
>>250
んなことしてたら風土記や先代旧辞本紀等に記紀と矛盾する記述が多数出てくるわな。
そもそも日本書紀自体に異説が複数併記されているし。

280:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:59:09.07 Qnucu3R90.net
だから背振山脈の中腹から下を掘れば
出てくるよな
古代のお宝が

281:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:59:16.78 zrVqZsfv0.net
地方勢力が次から次へと中央を支配し内紛で自滅の繰り返しじゃないか
そして誰もいなくなり始まりに戻ったと

282:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 08:59:53.04 S/P1MHR+0.net
>>267
いーーーーえ、九州には
57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が
107年に生口160人を連れて、安帝に謁見するために出航できる
立派な港がございます

283:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:00:32.16 Qnucu3R90.net
昔は陸稲だから、湿地帯で栽培してるわけないわけよな
山間部でやってたはずだ
で、貝塚も山から出てくると

284:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:01:42.02 S/P1MHR+0.net
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていない
港ですら無いクソ田舎
に、大陸からの使者を迎えるなんてあり得ません

285:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:01:58.05 Qnucu3R90.net
>>273
だからそれは唐津のほうだったんじゃね?
魏志倭人伝の国並びからして
寄港したところからの並びだろ?
距離とか日数とかデタラメでも
国並びだけは現代とほぼ合致してるし

286:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:02:47.09 9hEvkxBL0.net
稲作の伝来ウソだらけ!最新の調査で分かった日本の稲作
URLリンク(youtu.be)
【ダイジェスト】天皇は朝鮮人?文化勲章を受賞した売国歴史学者の罪とは?
URLリンク(youtu.be)

287:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:02:52.58 CX2mZ/VE0.net
>>253
それそれ

288:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:03:39.25 Qnucu3R90.net
>>275
現代でも日本有数の松原が海沿いにずっとあって
そこの中あるくと前なんか見えないぞ
古代でも同じだろw

289:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:03:55.32 NuBgso9q0.net
>>251
は?
早良平野の王国は奴国でかつ
漢委奴国王の印貰った国だよ

290:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:05:26.51 Qnucu3R90.net
唐津あたりに船がついて
まず松原よな?
で博多の近くは湿地帯だったわけだから
葦かなんかが背丈と
ぜんぜん不思議じゃない
で、人の住んでたのは背振山脈の近くと

291:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:05:49.26 NuBgso9q0.net
>>273
糞食って死ねば治るよw

292:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:06:15.62 OhCvVMwC0.net
>>8
そちらの国は前方後円墳埋めたんでしたっけ?

293:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:07:00.35 6vxKuPZj0.net
鴻臚館後はトイレだったと後から報じられたが、今回も胡散臭い

294:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:07:35.40 S/P1MHR+0.net
曹操に仕えて、曹操の息子を魏皇帝に上り詰めさせたのも
その息子の曹叡を2代目の魏の皇帝にしたのも
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」を討伐したのも
238年(239年説もある)に、邪馬台国の女王・卑弥呼に対して「親魏倭王」の封号を与えたときの魏の軍事面でのトップも
247年に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために張政を派遣したのも
249年にクーデターを起こして、魏の権力を完全に掌握したのも
297年に『魏志』(倭人伝を含む)を完成させた
西晋の初代皇帝「司馬 炎」の爺ちゃんの司馬 懿【仲達(ちゅうたつ)】です

295:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:07:37.74 NuBgso9q0.net
 
ではなんで奴国の中心地は

早良地区と須玖岡本の二つあるのかって疑問が起こるだろ?

それがオレがやった世紀の大発見で理由が分かったって話しな

(まだ公表してないけどw)

 

296:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:07:41.40 BuYSlYrn0.net
>>8
平家物語ってほんの冒頭だけでも学べる奴は学べる
目から鱗よ

297:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:07:44.50 6vxKuPZj0.net
跡だな

298:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:08:33.05 Qnucu3R90.net
現代でも古代の環境が体験できるんだから
現地に来てみろよ
唐津から博多に延々続く松原の中あるいて前が見えるかどうかw

299:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:09:24.13 KwZIPm/s0.net
魏からの使者って何十回も来たのならわかるけど
1回か2回かちょい来たくらいで何がわかるんだろう?
とかは思った
言葉の理解さえなんとなくわかる程度の微妙だろうし

300:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:09:25.29 DSe/J9DN0.net
邪馬台国は福岡南部(八女・柳川周辺)~熊本北部(玉名・山鹿周辺)だよ。
伊都が糸島市、奴国が福岡市~太宰府周辺、あと狗奴国が熊本市一帯ね。
あと勘違いしてはいけないのが邪馬台国は近畿まで影響力があったり日本を統べてたわけじゃないからな。
一地方の有力な豪族が王を名乗ってただけと考える方が自然。

301:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:09:36.18 Qnucu3R90.net
>>284
都府楼は海よりすぎるよ
古代は海か湿地で間違いない
人が住むところじゃない

302:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:09:59.79 S/P1MHR+0.net
>>276
ならば唐津に大陸からの使者は入港しているはずです
港ですら無いところに上陸させて、街道も整備されていない
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かせる
なんて無礼なことをしませんよ

303:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:10:22.20 Qnucu3R90.net
間違えた
都府楼じゃなくて鴻臚館な
鴻臚館は古代よりずっとあとの役所だろ

304:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:10:53.87 Qnucu3R90.net
>>293
大きな船は島だらけの古代の博多湾では
座礁の危険があったんじゃね?

305:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:11:45.62 S/P1MHR+0.net
>>285 つづき
司馬氏は、後漢時代には既に征西将軍にまでになっている、後漢時代の政府の要人
57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が
107年に生口160人を献じ、安帝に謁見したときには、
司馬氏は通り道の潁川郡の太守も勤めていました

306:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:11:50.17 Qnucu3R90.net
中国からの大型船は唐津のほう
朝鮮からの小舟は博多湾に直接
そんな感じだろ

307:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:12:39.94 5QLYFehe0.net
>>9
崇神(神武)が東遷したのが4世紀頃かなあ?

308:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:13:00.81 viNQXGj40.net
奈良盆地は広大な池や沼があってとても人口を支えられる農地は確保できなかった
排水して農地が増やせるのは鉄を自前で獲得できて以降
奈良に邪馬台国の線は元から無いのさ

309:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:13:05.16 S/P1MHR+0.net
>>295
情報を統合して考えることができないの?
九州には
57年に後漢(25年 - 220年)から「漢委奴国王」に任じられた九州の倭国王が
107年に生口160人を連れて、安帝に謁見するために出航できる
立派な港がございます

310:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:13:39.56 CX2mZ/VE0.net
>>246
馬の群れと書いて群馬と言うんだぞ

311:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:13:42.82 hPlSB4P30.net
>>280
>漢委奴国王の印貰った国じゃない。
失礼しました、分かりにくい日本語でした
漢委奴国王の印貰った国じゃないかな。の意味ね。

312:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:14:07.26 90W+E5y70.net
やっと邪馬台国論争に決着が付いたのかよ。
ほんと長かった、九州説論者の方、おめでとう!!!

313:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:14:23.96 Qnucu3R90.net
>>300
古代の博多湾は海面が上がってて
いま糸島半島になってるところは
島々だったわけよ
大型船は座礁するかもだろ?
150人も連れてくんだから
小船じゃない

314:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:14:40.43 hPlSB4P30.net
>>300
整備しなくてもいい天然の良港の呼子付近を使ってたんだよ。

315:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:15:03.33 NuBgso9q0.net
 
昔良く早良王国とか言ってたよな
ネタだったよね 早良地区も奴国だ

じゃなんで奴国の中心地は早良地区と須玖岡本の二つあるのか???

この答えを知っている人間はこの世でオレ一人しか居ない

ある非常に重要な発見のコロラリーとして初めて分かることだから

そしてその発見はまだ公表してないからこの世でオレしか知らない

 

316:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:15:20.78 9IAaD43O0.net
>>295
博多湾には那の津があるだろ

317:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:15:24.66 P/ZivOK+0.net
そうだ その調子だ!
( ・∀・)イイ!!
調べ尽くして キャフン言わせてやるのら

318:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:15:27.86 S/P1MHR+0.net
>>299
生口を10人しか献上できず
九州より遥かに遠いという理由だけで親魏倭王になった邪馬台国は
奈良盆地は広大な池や沼があってとても人口を支えられる農地は確保できなかった
のほうがピッタリです

319:三河農士
21/05/08 09:15:47.37 oCeyPvt+0.net
魏志倭人伝の時代なんて日本のほとんどは祟神天皇の配下四道将軍によって統一されてるよ(桃太郎こと吉備津彦命も四道将軍の一人)。
日本書紀に依れば祟神天皇の在位期間は紀元前1世紀頃だが、その都のあった場所の纏向遺跡は2~4世紀と魏志倭人伝の時代にあたる。
纏向遺跡は祟神天皇、垂仁天皇、景行天皇の都のあった場所の遺跡で周辺の古墳は主にこの時代の貴人の墳墓だとされ、発掘調査されたものも多数ある。(天皇陵は未調査)
このうち垂仁天皇の時代に朝鮮半島からの渡来人の記述が2つあり、都怒我阿羅斯人の記述に彼を任那の王に任命したとある。
三国志魏書東夷伝(魏志倭人伝は東夷伝の一部)には狗邪韓国は倭人国だとする記述もある。
来朝した都怒我阿羅斯人はあちこち彷徨いながら大和に辿り着いており、これが魏志倭人伝の不思議な行程になったと考えることができるのではないだろうか。
九州王朝は紀元前の神武東征前の時代のはずだよ。

320:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:16:18.15 Qnucu3R90.net
だからな、草木で前が見えないってのは
今でも残ってる長ーい松原と湿地帯だった博多当たりを
延々と歩かされたっていう中国役人の愚痴なわけよ
完全に合致するw

321:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:16:55.82 S/P1MHR+0.net
>>305
港として使ってねーから
草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる、街道も整備されていない
なんですけど

322:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:17:20.41 Qnucu3R90.net



323:>>307 古代は海だよ 海面がだいぶ上なんだよ



324:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:17:29.77 hPlSB4P30.net
>>298
神武が東遷に出発したには4~5世紀頃
関西を征服したのは5~6世紀頃かな
出発地の日向は伊都国と奴国の境の日向峠付近だな。

325:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:17:51.40 9KK5SiHV0.net
>>298
稲荷塚の鉄剣が471年だし
東征のあと100年で関東まで勢力拡大するかぁ?

326:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:19:27.03 S/P1MHR+0.net
>>311
紀元前から大王がいたというのに?
107年には生口160人を連れて、「漢委奴国王」が安帝に謁見しにいったのに?
なんの整備もしてねーとか、脳みそ腐ってるぞ

327:ニューノーマルの名無しさん
21/05/08 09:19:29.37 ScRlCahN0.net
光武帝から金印をもらった奴国と安帝に使いを出した帥升と関係があるかどうかなど分からないだろう。


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