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八街などの北総台地は田圃が作れないところで江戸時代は原野として放置されていた。
明治維新後、新政府は失業状態に陥った旧幕臣などの窮民の授産事業として、下総台地の開墾を計画。
1869年(明治2年)10月に入植者を募集し同月中から入植を開始した。
開墾地は「東京新田」とも呼ばれ、入植順に、小金牧には、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実、
佐倉牧には、七栄・八街・九美上・十倉までの新村名がつけられ、その後十余一・十余二・十余三が加えられた。
初富は鎌ヶ谷
二和 船橋
三咲 船橋
豊四季 柏
五香 松戸
六実(むつみ)松戸
七栄 富里
八街 八街市
九美上(くみあげ) 香取市
十倉(とくら) 富里
スラムで貧困の極みにあった窮民を北総台地にバラ撒いたのだ。
今住んでいる農民はその子孫。