21/05/07 09:39:58.76 cTFhF+C90.net
>>337
当時の産経新聞には
〈江東支部では今後、
(1)教科書の「従軍慰安婦」記述削除
(2)夫婦別姓制に代わる旧姓の通称使用を認める法改正の推進
(3)首相の靖国神社公式参拝実現-などに向けて運動を続ける〉
(97年7月14日付)と記されている。
また、富岡八幡宮は2月11日の建国記念日に日本会議江東区支部と共催で「建国記念式典」を開催している。
このように、富岡八幡宮は一般参拝者からの人気とは別に、神社界・右派運動界隈でも一目を置かれる神社だった。
そう考えてみても、親族間トラブルは神社界では有名だったにせよ、神社本庁が長子氏の宮司任命を拒んだのは不可解だろう。
前述「週刊金曜日」の取材に対して、長子氏はこのように語っている。
「神社本庁は、度重なる責任役員会の具申や、氏子総代、神輿総代、職員全員の嘆願書まで無視し、地域の神社としての特性やあり方を考えることすらなく、氏子を代表する方々の総意を一向に汲もうとしませんでした。
祖父と本庁との関係は承知しておりましたが、亡き祖父の思いは今の本庁のあり方とは正反対であったと言っても過言ではありません」
そうしたことや、長子氏が事件直前のブログで「一部の神社の神主には、セクハラ、パワハラ、ネグレクト、嫌がらせ......が当たり前のように、横行している」と告発していたこともあって、一部では神社界の"男社会"や"男尊女卑"が影響したのではとの推測も聞かれる。
こうした見方について都内の神職に聞くと、「女性の宮司もいます」としたうえで、このように語った。
「神社界でも戦後は女性の神職養成にも力を入れ、実際に宮司を務められている方もいます。ただ(富岡八幡宮のような)別表神社となると、いま現在、女性の方が宮司となられているところを私は知りません」