21/04/28 20:19:20.90 RCKQrYnO0.net
>>917
昭和21年1946年10月8日 一週間しか参戦していないソ連の主張に注目が集まった。
ソ連代表のゴルンスキー検事の冒頭陳述は英文65ページにのぼり
キーナン首席検事の冒頭陳述をも上回る長さで、朗読に1時間半もかかった。
しかし、その内容は饒舌で、冒頭陳述としては迫力に欠けるものだった。
おまけに 1904年に起きた日露戦争から1945年8月にいたる
「ソ連に対する日本の侵略」を立証するとして、明らかに起訴状が言及する期間(1928年~1945年)を逸脱したものだった。
起訴状が限定した機関に起きた日ソ紛争といえば張鼓峰事件とノモンハン事件の二つであるが、
この二つの事件にしても当時、日ソ間で協定が結ばれて解決済みの問題である。
どうやらソ連は、日ソ中立条約がまだ生きている1945年8月9日に、
突如日本に宣戦布告した自らの『条約違反』を何とかもみ消そうとしていたのかもしれない。
当然のことながら、ブレイクニー弁護人らから異議申し立てが出された。
「陳述は結論的、理論的、推論的、扇動的で、具体的事実を述べていない。」
「この陳述は、当時なお有効であった日ソ中立条約を侵犯して
日本に宣戦布告をしたことに対して、自分の立場を正当化しようとして議論しているに過ぎない。」
(最初から最後までアホを晒し続けた英米仏・中共・ソ連)
(特にロシアは「日本に負けたアホ犬」から「殺人犯、強姦犯、掠奪犯、不法違法他国領土居座りマン」になっただけだ)