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【話題】 「全国同時ノーマスクピクニック」に非難殺到  会場とされた都立砧公園 「残念です」 [影のたけし軍団★] - 暇つぶし2ch715:ニューノーマルの名無しさん
21/04/20 02:23:45.84 OMvc0Luz0.net
>>707
オウムは本当にやばいぞ。宗教団体とは思えない活動をしていた。
白い愛の戦士(しろいあいのせんし)は、1994年にオウム真理教が養成した行動部隊のこと。教団顧問弁護士の青山吉伸が発案したとされる[1]。
「“白い愛の戦士”という第三次世界大戦を題材にした映画を撮影する、16,000円の日当を出すから映画のエキストラに出てくれないか」という名目で、自衛官、建設作業員、暴力団員、新宿やあいりん地区の日雇い労働者やホームレスに声をかけた。そして集まった約50人を、映画撮影のために必要な合宿であると偽って、岐阜県高野村の村営山小屋に連れてきた。そこでは、映画撮影に必要ということで、戦争映画、格闘技映画、プロレス名場面集、風の谷のナウシカを見たり、体力トレーニングを実施していた[1][2][3][4]。
合宿の途中でオウムの名前を出して、最終的に30人を出家させることに成功した。半数は自衛官だった。参加者の6割が入信、出家したことで、麻原彰晃も大いに喜び、ご褒美として焼肉を食べることを許可したという[1]。
白い愛の戦士は、教団の非合法部門の実行部隊を目指し、教団の省庁である「新信徒庁」付となり、大内早苗が新信徒庁長官として参画した[4]。
1994年夏にオウムであることが発覚し岐阜を追い出されたため、白い愛の戦士たちは一時上九一色村での建設作業にまわされた。その後、和歌山県古座川町の小川中学校(休校)を架空のリハビリ団体の名義で借り、拠点とした。蚊が酷かったものの、不殺生戒があるため殺すこともできず悲惨だった。1994年12月に団体が無いことがバレたため和歌山も追い出された[4][3]。結局、オウムクーデター計画は実現されぬまま1995年3月の強制捜査を迎えた。
Wikipedia


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