【岡山】「朝鮮半島の百済と関係している可能性」 県内初、津山市の古墳から「煙突」出土 韓国、近畿地方で多く見つかる「筒形土製品」 [樽悶★]at NEWSPLUS
【岡山】「朝鮮半島の百済と関係している可能性」 県内初、津山市の古墳から「煙突」出土 韓国、近畿地方で多く見つかる「筒形土製品」 [樽悶★] - 暇つぶし2ch827:ニューノーマルの名無しさん
21/04/17 01:23:03.20 iZmqu/5S0.net
●3世紀の朝鮮半島は大国日本の属国だった。稲作も九州から韓国へ伝授した。中国の史書『隋書』
朝鮮半島は倭国の属国だった。
韓国にはまともな歴史書もないが都合よく勝手な憶測歴史を創作し教科書にまで載せている。
 しっかり記録として残っている中国の史書『隋書』は、倭国が国家の統合度と人口規模でずば抜けた大国であったと記している。
稲作は中国から日本に伝わったが朝鮮は寒く荒地なため通り過ぎていた。日本は安定した食料が増えて人口が増え大国になっていた。その後、日本は寒冷地稲作を朝鮮に伝授したと推測される。
新羅も百済も倭国を大国とみている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している。
…中国の正史『隋書』より。
倭人が新羅の王となった事を堂々と書く「新羅本紀」には、現代の韓国人が「朝鮮が先進文明を日本にもたらした」と主張するような根拠もない尊大な姿勢はまるで感じられない。
先に、「弁辰」(後の新羅の地を含む)で、倭人が鉄を採掘している、という『韓伝』に記されている。
考古学の世界では、半島では3世紀になっても刀剣は鋳鉄だったが、日本列島では進んだ鍛造品が作られていたことが、明らかになっている。
鋳鉄は、溶解させた鉄を型に流し込んで作るが、伸びが無く、堅くて脆い。鍛造は鉄を叩いて成形する際に、
金属内部の空隙をつぶし強度を高める。後の日本刀の工法である。
また日本独特の墓制である前方後円墳は3世紀頃から日本で作り始められているが、半島西南端の栄山江地域には、5~6世紀に築造された10数基の倭人豪族の前方後円墳が見つかっている。
この頃の半島南端部には、100メートル近い墓を作る倭人の強力な勢力があった。
こうした考古学上の発見と合わせて考えると、半島南端部は倭人が勢力を張り、また新羅地域にも倭人が住んで、鉄の採掘などをしていた。
進んだ技術で「敬仰」されていた倭人の一人が新羅王位を継承したことを、新羅や高麗の人々は自然に受け止めていたのであろう。
稲作文化も中国南方から日本にやってきてから、寒い朝鮮半島にも広がっている。
戦国時代の中国から海から朝鮮半島から難民が日本に押し寄せているがこれが弥生人のひとつだろう
稲作のできない朝鮮半島ではなく日本を目指していたことが分かる。
古い文献としては中国と日本にしかなく韓国にはほとんど残っていません。みすぼらしい植民地の歴史しかなく焼いたとも言われています。
韓国が想像と希望で作った歴史には断固否定していかないと韓国の常套手段である嘘も100回言えば真実になるに嵌まります。
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