21/04/08 09:39:38.76 LLvWalLC9.net
兵庫県たつの市の旧家で、豊臣秀吉から家臣宛ての領地を与えることを伝える書状2通が見つかった。現在の神戸市に当たる地域の領地を巡る内容で、うち1通は豊臣家だけが使うことができた高級和紙「大高檀紙」にしたためられている。同市立龍野歴史文化資料館が8日までに明らかにした。
2通はともに、兵庫県北部の但馬地方を治めた大名山名氏に仕えた垣屋家の分家の子孫垣屋孫市への書状。確認作業に当たった兵庫県立歴史博物館の前田徹学芸員は「秀吉が政権を確立するため、地方の家臣に領地を与え、地盤固めを図ったことを示す重要な史料」と話した。
同資料館によると、書状は1583年8月1日付の「領知宛行状」と1594年10月17日付の「朱印状」で、ともに200石の領地を与えるとしている。領知宛行状が出されたのは賤ケ岳の戦いに勝った後で、秀吉が多くの家臣に同様に出した。朱印状は天下統一を果たし、太閤検地を実行した時期のものという。
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2021年4月8日 9時13分
22:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 22:15:26.97 hWpHqFRE0.net
>>21
基本的には当時仮名文の書状ってのは身内か親しい人に宛てるものがほとんどだからな
秀吉の自筆書状だとおね宛が一番多くて、他には秀頼や茶々、側室宛が多い
黒田官兵衛宛だと2通の秀吉自筆の書状が現存してて
その内の一通は播磨攻略戦の直前に官兵衛に宛てたもので
「其方のきハ、我らおとゝの小一郎めとうせんに心やすく存候間」
(官兵衛のことは私の弟の小一郎秀長と同様に気心が通じた間柄だと思っている)
と書いてるのはまさに秀吉らしい人心掌握術だと思う
23:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 22:26:24.07 BxEs1K580.net
>>22
あっ、そうなんだ
何も知らないけど適当に書いたらちょっと当たったんだ
なんか笑った
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