21/04/08 22:15:26.97 hWpHqFRE0.net
>>21
基本的には当時仮名文の書状ってのは身内か親しい人に宛てるものがほとんどだからな
秀吉の自筆書状だとおね宛が一番多くて、他には秀頼や茶々、側室宛が多い
黒田官兵衛宛だと2通の秀吉自筆の書状が現存してて
その内の一通は播磨攻略戦の直前に官兵衛に宛てたもので
「其方のきハ、我らおとゝの小一郎めとうせんに心やすく存候間」
(官兵衛のことは私の弟の小一郎秀長と同様に気心が通じた間柄だと思っている)
と書いてるのはまさに秀吉らしい人心掌握術だと思う