21/04/08 09:43:22.63 xQtgE9h30.net
それはニュースなのか
3:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:45:00.90 LLvWalLC0.net
>>2 これは普通にニュースだろ。
4:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:45:06.82 juXDIOWV0.net
凄いじゃん
5:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:51:28.44 L6gOy/oF0.net
しかし、こういうのが残ってるってほんと凄いな
これが本物の旧家なんだな
6:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:53:48.49 erGricDY0.net
これ欲しいなめちゃ運が付きそう
7:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:56:19.20 lct4RsQo0.net
秀吉は字が書けなかったけどな
8:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 09:58:46.34 fcKOGuzK0.net
>>7
まあ、今でも社長が自分で書類書いたりしないだろ?
9:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 10:01:49.75 juXDIOWV0.net
>>7
平仮名が多いってだけで字が書けないことはない
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
10:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 10:12:04.30 LLvWalLC0.net
山名氏の家臣の血筋ということだが、
地方の武士を旧領主から引き離して、
豊臣氏の直接支配を目指す行動の一環ということなんかな…?
11:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 10:26:06.90 7WeZ5O9Q0.net
本物だったんかね
辻褄合わせのために書類捏造するとか昔からあったらしいけど
12:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 10:35:48.31 LLvWalLC0.net
>>11
>豊臣家だけが使うことができた高級和紙「大高檀紙」にしたためられている
とある以上、本物なんじゃね?
13:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 10:43:00.56 h/wvLuGw0.net
>>1
秀吉は脇坂好きだったもんなw
ちなみにチョンも脇坂大好きw
14:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 11:03:15.15 UWs6s12o0.net
播磨の小京都と名乗るだけあるな
15:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 11:13:37.45 dcKwUrxx0.net
>>7
三筆には及ばないが四筆を選ぶなら秀吉しかないと
書道の大家に認められるくらいに達筆だぞ
しかも代筆の信長と違って秀吉はほとんど本人の直筆という筆豆ぶり
戦国武将で今も残ってる直筆数ではダントツだろ
16:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 12:18:33.15 hWpHqFRE0.net
翻刻してみた
・画像1枚目(天正11年8月1日付羽柴秀吉領知宛行状 垣屋孫一宛)
播州菟原郡森村二百石事宛行訖、永代可全領知状如件、
天正十一
八月朔日 秀吉(花押)
垣屋孫一殿
・画像2枚目(文禄3年10月17日付豊臣秀吉朱印状 垣屋孫市宛)
播州菟原郡内本庄弐百石事、今度検地上を以、令扶助訖、全可領知候也、
文禄三
十月十七日 (秀吉朱印)
垣屋孫市とのへ
17:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 12:26:48.66 pmu6uKXz0.net
>>16
古文書読めるのか
すげーな
18:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 12:27:33.71 iujTgtD10.net
薄口醤油発祥の地でヒガシマル醤油がある
揖保乃糸でしられる素麺が特産品として知られている
小さな城下町だけど見どころは多い
19:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 12:35:40.08 hWpHqFRE0.net
>>16
2箇所間違ってたから訂正
・画像1枚目(天正11年8月1日付羽柴秀吉領知宛行状 垣屋孫一宛)
播州菟原郡内森村弐百石事宛行訖、永代可全領知状如件、
天正十一
八月朔日 秀吉(花押)
垣屋孫一殿
20:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 12:46:06.85 hWpHqFRE0.net
>>15
秀吉の自筆書状が多いってのは間違いないけどほとんど自筆ってのは言い過ぎ
秀吉の書状は写しも含めて7000通余り知られていてその内自筆書状は120通くらいだな
ちなみに自筆書状が多いのは伊達政宗
4500通の内1300通が政宗の自筆
21:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 21:25:16.07 BxEs1K580.net
>>7 >>9
秀吉は文を出す相手によって平仮名でわかりやすく書いたり使い分けてたんだよな
また、読み書きに長けた小寺(黒田)官兵衛に送った書には「こくゎん(こでら くゎんぴょうえの略)」と平仮名で書くことで親しみを込めていたとか
こういう所も人誑しと言われた所以だろうな
22:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 22:15:26.97 hWpHqFRE0.net
>>21
基本的には当時仮名文の書状ってのは身内か親しい人に宛てるものがほとんどだからな
秀吉の自筆書状だとおね宛が一番多くて、他には秀頼や茶々、側室宛が多い
黒田官兵衛宛だと2通の秀吉自筆の書状が現存してて
その内の一通は播磨攻略戦の直前に官兵衛に宛てたもので
「其方のきハ、我らおとゝの小一郎めとうせんに心やすく存候間」
(官兵衛のことは私の弟の小一郎秀長と同様に気心が通じた間柄だと思っている)
と書いてるのはまさに秀吉らしい人心掌握術だと思う
23:ニューノーマルの名無しさん
21/04/08 22:26:24.07 BxEs1K580.net
>>22
あっ、そうなんだ
何も知らないけど適当に書いたらちょっと当たったんだ
なんか笑った
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