【朝日新聞】敢闘の島ペリリューで戦死してから70年後に見つかった、父の日章旗は血に染まっていた [みの★]at NEWSPLUS
【朝日新聞】敢闘の島ペリリューで戦死してから70年後に見つかった、父の日章旗は血に染まっていた [みの★] - 暇つぶし2ch103:ニューノーマルの名無しさん
21/04/10 11:53:29.92 M9000Acq0.net
 
米軍を苦しめたのは第14師団水戸連隊の皆さんです゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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●米国側からみたペリリュー島戦
■その直前のタラワ島戦は3千人以上の犠牲を出した。独立戦争でのフォージ渓谷/
 テキサス独立戦争でのアラモ砦/ww1でのベローウッド/ww2でのガタルカナル島と
 米軍史に残る戦いだった。だがペリリューではそれ以上の犠牲者がでた。
■戦闘での1日分弾薬量は、ライフルで100発/ピストルで14発/機関銃で1500発/60mm迫撃砲で100発
■日本軍は弾薬が少ないのであまり撃ってこなかったが、撃つときは必ず誰かに当たった。
 特に指揮官が狙われた。射撃精度は高かった。偽装が天才的に上手く木の上から撃ってきた。
 また夜に忍び込み銃剣突撃を得意としていた。
■非常にタフで献身的だった。この敵に勝つにはこちらもタフで献身的になけらばならない、と思った。
【出典】「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・スレッジ著講談社学術文庫)


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