21/04/08 17:14:26.68 PlgULKSU0.net
青谷上寺地遺跡のことを言っているのなら、
出土人骨109体のうち、4体でY-DNAの決定に成功して
そのうちの2体がC1a1、残りの2体がDとOであったと報告されたに過ぎない。
報道では、父系で縄文が優勢などというミスリードがあったが、たった4体のサンプルから言えることは少ない。
青谷弥生人は、核ゲノムの解析も終えていて、
PCAではサンプルのいずれも現代日本人(JPT)の位置にプロットされた。
つまり典型的な弥生人の集落遺跡であったということだ。
弥生時代の遺跡なら、西北九州(長崎県・下本山)のDNA解析結果が興味深い。
下本山3号はY-DNAではOと判明したが、核ゲノムでは縄文クラスターにグッと近づいている。
これは弥生男が縄文女を孕ませて生まれた個体とみられる。
さらに言えば、この西北九州弥生人が、沖縄人の祖になった可能性がある。
PCA 青谷・下本山のサンプルを東アジアの集団と比較
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頭骨比較 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北部九州・土井ヶ浜
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