21/04/07 22:33:13.58 k7b3NvW60.net
>>605
英米はかうして重慶空軍の増強を積極的に援助してゐるばかりではない。
前述のクラゲット少将の重慶訪問と前後して、英米自身のための空軍基地を蔣に求めてゐるのだ。
飛行機の供給も、飛行士の大量派遣も、みなその時の用意だ。
從ってABCD線一旦火を吐く曉には、奥地支那に英米空軍勢力が進駐することは當然に豫想されることである。
一方地上軍の方も英蔣間に協定が成立、
重慶軍は南方ではポッパム極東總司令官の麾下に入ることに決定、
その手はじめとして、8月初旬貴陽で開かれた西南防衞軍事會議の結果、
張發奎 を總司令官としてビルマ進駐軍が編成され、1萬5千の重慶軍はつひに国境を越えてビルマに入り、
ビルマ・ルートの守備とともにタイ脅威の北方の一翼を擔當するに至った。
また英支間にはゲリラ戰合作が行はれ、
イギリス軍将校を基幹とする英支混合遊撃隊15中隊(2萬2500名)が編成され、
5地區に配屬して對日遊撃隊を強化してをり、ビルマにはゲリラ戰學校が設立されてゐる。