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>>560
元來、對日包圍陣の提唱は、イギリス側から口火を切られたもので、その具体的な動きは、
本年2月15日、ワシントンでハリファックス英大使、ケーシー濠公使、ロードン蘭公使の密議となり、
16日にはシンガポールの入口にまづ機雷敷設の發表を行った。
ポッパム大将は蘭印から濠洲へ飛んだ。
次いでシンガポール、マニラ、重慶、バタビヤ、上海の5ヶ所における現地豫備交渉となって現はれてゐるが、
この秘密裡に行はれた瀬踏み工作で、對獨戰遂行のイギリスとしては、
當時の情勢では徒らに日本を刺戟するのみで、
利益を得るのは蔣介石ばかりであるといふ見通しを持ったので、一時は流産になりかかってゐた。
それが、日ソ中立條約締結を機として、俄然實現に拍車をかけたのである。
イギリス本国からの訓電を受けたポッパム大将は
まづフィリッピンのマニラに飛んでアメリカアジヤ艦隊司令長官ハート大将と會見、
ここに日本の南進に對抗するための意見が一致したので、香港に赴き、
ヤング總督等イギリス極東政治首腦と協議を行ひ、
ついで、蔣介石と脈絡を通ずる唯一の陸路ビルマ・ルートの視察を行ひ、
かくして南方共榮圏の包圍陣型のアウトラインは、彼の胸中に組立てられたのである。