ぼくが感染症の専門医になった理由 岩田健太郎「ぼくが高校生の時は不良学生でした。いじめられっ子でした [Felis silvestris catus★]at NEWSPLUS
ぼくが感染症の専門医になった理由 岩田健太郎「ぼくが高校生の時は不良学生でした。いじめられっ子でした [Felis silvestris catus★] - 暇つぶし2ch1:Felis silvestris catus ★
21/03/05 17:51:43.34 9f4serwx9.net
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
 新型コロナウイルス感染拡大のこの1年、研修医や医学生で感染症専門医を目指したいと考えている若者の声を聞きます。昨年2月、集団感染が発生したダイアモンドプリンセス号に乗船し、現場の問題点を分析し報告した神戸大学岩田健太郎教授は、以来、組織の問題点や感染症対策について精力的に発信をなさっています。岩田先生に若い医学者に向けてメッセージをいただきました。( 海原純子)
第2次ベビーブーマー
島根医科大学時代の岩田さん
 ぼくが感染症の専門家になったのは、単なる偶然というか、「流れ」でして、決して昔からそうなりたいと目指していたわけではありません。なんか、いきなりがっかりですね。申し訳ありません。
 そもそも、ぼくは医者になるつもりがなかったんです。ただ、大学で「ちゃんと」勉強はしたいと思っていました。ぼくはいわゆる「第2次ベビーブーマー」世代でして、とても同級生が多かったのです。少子化の現在では想像し難いことですね。同級生が多いということは大学受験が厳しいということです。競争相手が多いですからね。
 当時は「受験戦争」なんて、やゆされていましたけど、偏差値の高い大学に入学するために高校生たちがしのぎを削って受験勉強にまい進していた時代でした。逆に言えば、大学受験さえ成功して、有名な大学に入りさえすれば、大学ではほとんど勉強しなくてもたいていは卒業できて、大学は「レジャーランド」といわれていました。
 そうやって遊びまくっていても、当時の日本は「バブル」と言われた狂騒的なまでの好景気で、「いい大学」にさえ入っていれば、就職先に困ることはありませんでした。そしていったん、就職してしまえばあとは親方日の丸、終身雇用というわけで、要するに大学受験こそが、人生というすごろくの要であり、ここを越えれば「あがり」だったのです。なんか、バカバカしいでしょ。
 ぼくが高校生の時は、さしてしっかりとものを考えていたわけではなかったけれど、少なくともこの受験戦争の狂乱はバカバカしいと思っていました。だから、早々にこうしたレールからはドロップアウトして、授業をサボって図書館にこもって好きな本を読んでいるような不良学生でした。不良学生と言っても腕力に自信があってけんかばかりしている「ツッパリ」(死語ですね)ではなく、むしろいじめられっ子でしたけどね。
次ページは:総合的に勉強
(略)


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