【キリスト教】ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー★2   [Toy Soldiers★]at NEWSPLUS
【キリスト教】ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー★2   [Toy Soldiers★] - 暇つぶし2ch417:ニューノーマルの名無しさん
21/02/15 12:08:49.94 obepRsCd0.net
>>13
親が育てられないから手放しただけじゃん、パヨクが勝手に悲劇に仕立てあげた悪い例だな。

岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。
きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植する。
しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」に預けられてしまう。
きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。
母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
1903年(明治36年)に社会主義詩人として出発していた野口雨情は、その後、1907年(明治40年)、札幌市の新聞社に勤めていたときに、同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話をかよから聞かされた。
乳飲み子の長女のぶ(きみには異父妹)を抱えて、鈴木夫妻は開拓生活に挫折していた。じつはこの時点では、きみは鳥居坂教会の孤児院にいたが、かよはそのことを知らない。
その後、1921年(大正10年)に、この話を題材にして『赤い靴』が野口雨情によって作詞され、1922年(大正11年)に本居長世作曲で童謡になった。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch