21/02/14 15:20:23.59 gIXLroWq0.net
森氏の発言まとめ
(1)女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。
解説 : ラグビー協会での実話。ラグビー協会には女性理事が5人いる。
女性が入ってきてからというもの、会議時間がそれまでの倍かかるようになった。
(2)女性は優れていて競争意識が強い。競争意識から活発に発言する。
解説 : 森氏の女性観。女性は活発に発言する。ゆえに、女性が増えると「時間がかかる」というロジック。※経験談(ラグビー協会、他人の談話)踏まえ
(3)女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る
解説 : 森氏とは別人の談話。
(参考)森氏「誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。」
(4)東京オリンピック・パラリンピック組織委員会には女性が7人くらいいる。その方々は皆競技団体出身で国際的にも実績を踏んでこられた方々。だから話もきちんと的を射ていて非常に役に立っている。
解説 :実績のあるきちんとした女性をベタ褒めしている。そうでない女性(ラグビー協会の例、他人の談話の例)と対比している。
つまり、「女性にも色々いる」という事を言っている。
(5)欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになる。
(参考)森氏「文科省が女性4割とうるさく言ってくる。」
解説 : (ラグビー協会などの例のように)とにかく女性を必ずしも増やしていく場合会議が白熱し、長引くであろうな。
→女性への期待と女性アファーマティブアクションへの懐疑 →アンビバレントな感情
(アファーマティブアクションとは要するに → 「属性」優遇、「能力」評価二の次)
◆私見
マスコミを中心に森の発言が女性蔑視(差別)と騒がれている。
女性差別というのは本人の能力によらず、女性という属性をもって不当評価される事を言う。
そもそも差別がいけないとされる理由は、民族や性別、肌の色など、変更困難(あるいは不可能)な先天属性を理由に努力や能力が正当評価されない事の理不尽さにあるはずである。これは、「機会平等」の概念に反している。
黒人であろうと黄色人種であろうと女であろうと男であろうと本人の努力や能力は、そういった属性とは切り離して評価されるべきである。
翻って、「女性4割」という文科省の意向について考えてみる。
人選の基準を「能力」に置いた場合、これ(女性4割)により、男性及びその他性属性(LGBTQ)差別が発生しうる。
つまり、能力のある男性及びLGBTQがその属性を理由に女性から排除される可能性があるという事である。
仮に「女性5割、男性5割」、あるいは「女性3割3分、男性3割3分、LGBTQ3割3分」というような条件付けにしたとしても、「能力」評価が二の次にされてる事に変わりはなく、「性差別」は解消しない。
繰り返しになるが、差別の問題点は、先天属性(国籍、民族、性別、外見、年齢など)を理由とした不当な能力評価にある。
要するに、差別問題とは一言で「個人の努力や能力が正当に評価されない問題」なのである。
女性~割、男性~割といった形で属性を数や割合で等しく揃えたとて能力評価はされてない事になる。
ゆえに、文科省の「女性4割」は差別解消に何ら寄与してないと言えるのである。
先に書いた通り、「男性及びその他性属性がそれ(性属性)を理由に、女性から排除される可能性だけ」は増える為、これはむしろ「男性及びその他性属性差別の助長」と言える。
◆森を批判してる連中の問題点
差別解消に何ら寄与しておらず、むしろ差別の助長ならしている。また、当事者にその自覚がない。
そもそも発言の切り取りで森の女性観を曲解したままそれを意図して垂れ流してる時点で悪質である。
森の女性観は先に述べた通り、「女性にも色々いる」「女性への期待と女性アファーマティブアクションへの懐疑 →アンビバレントな感情」である。
パヨフェミこそ差別主義者であり、差別主義者に差別主義のレッテル貼りされた森は精神的によく耐えた。