21/01/17 09:14:24.36 T626Tw+l9.net
26年前の1月17日早朝。阪神・淡路大震災で倒壊した阪神高速神戸線で前輪が宙に浮き、辛うじて高架部分に踏みとどまったバスの写真は、日本中に大きな衝撃を与えた。ドライバーの一人として乗車していた帝産観光バス(本社・東京)京都支店の安井義政さん(59)は「偶然が重なって(車体が)踏みとどまった」と振り返る。(太中麻美)
冬のスキーシーズンで、毎日のようにゲレンデへのバスが運行されていた。安井さんは先輩ドライバーと2人一組で、14日夜に信州へ向け出発。16日夜、関西への帰路に就いた。
大津、京都、大阪で乗客の大半が下車し、最後のバス停となる神戸へ向かった。車内には女性客3人と先輩、自分の計5人。先輩がハンドルを握り、安井さんは隣の席に座っていた。
突然ドン、と衝撃が走り、空がフラッシュをたいたように光った。その後は上下左右に激しく揺さぶられ、目の前には空と高速道路の路面が交互に飛び込んできた。「ブレーキが利かない」。先輩が叫んだ。
バスが止まると、目の前の道路がなくなっていた。対向車線のトラックが高架から地面に落下し、炎上している。自分たちのバスは、車体下のエンジン部が道路にひっかかっていた。「乗客がもっと多ければ、ブレーキが利きづらくて落下していたかもしれない」と安井さん。乗客と後部の非常ドアから車外に出ると、周辺のあちこちで火の手が上がっているのが見えた。
高速道の非常階段から地上に降り、公衆電話から支店に電話し状況を説明したが、宿直の社員に「そんなはずないやろ」と返された。京都には情報が伝わっておらず、にわかには信じてもらえなかった。先輩とコンビニで使い捨てカメラを買い、現場近くの地上からバスを撮影した。周囲にはガスの臭いが漂っていた。
まず大阪まで戻ろうとタクシーを探し回り、昼すぎに大阪の淀屋橋までたどり着いた。わずか十数キロ離れただけの大阪の街では、普段通りに人が行き交う。飲食店で昼食を取り、京都行きの私鉄に乗った。乗客の男性が手にした夕刊に、自分たちのバスの写真が大きく掲載されていた。「僕たちこれに乗ってたんですよ」。そう話すと驚かれた。
京都の支店まで帰り着いたのは夕方だった。「よく無事だった」。同僚に迎えられ、号泣している社員もいた。
その後、「落ちないバス」に乗務していたことが広まり、修学旅行を担当した際には、先生から声を掛けられて生徒に体験談を語ったこともある。コロナ禍を受けて同社が企画した「オンライン修学旅行」では、人と防災未来センター(神戸市)を訪れ、バスガイドからのインタビューに答える形で当時の様子を語る。
「語れるのは無事だったからこそ」と安井さん。「あんなひどいことが、二度と起きてはいけない。震災をもっと全国の人に知ってもらえるよう、会社にいる限りは伝えていきたい」と話す。
ソース
URLリンク(a.msn.com)
114:ニューノーマルの名無しさん
21/01/18 21:42:09.94 YZs5TBIX0.net
>>113
阪神の時は早朝でまだ暗かった。
夜帯の大地震だと今でも明け方になるまで被害の情報はそんなに入ってこない。
115:ニューノーマルの名無しさん
21/01/18 22:36:33.00 QtetpujF0.net
泥酔女さん、シラフの時に見たら死にたくなる写真を撮影される・・・(画像あり)
URLリンク(riduc.jonmills.org)
fdfererrtr
116:ニューノーマルの名無しさん
21/01/18 22:45:15.28 j93uezdo0.net
隣の岡山だったけど地震時ぐーぐー寝てた