20/11/21 18:19:23.42 ZxScYboB0.net
中国南部を起源とし楽浪郡、朝鮮南部、九州北部を活動範囲とする倭人が
海上交易、漁労、稲作を行っていた。そこへツングース系の北方民族が
南下してきて、新羅、百済を樹立して朝鮮半島系倭人を支配した。
九州北部の倭人たちは、日本列島奥深く、ヤマトの地に本拠地を定め、旧領地であった
朝鮮南部の任那の回復や、同じく範囲であった百済と連合して高句麗と戦った。
その過程で百済から北方民族の軍事技術や文化を学んだ。列島に深く後背地を持つ
日本は地政学的に圧倒的に有利で、百済から頼られた。