20/10/22 15:24:37.29 ZEVWz2DP0.net
東北の人の色の白さから、ロシアとの関連性を想像する者もいるが、白人のロシア人と秋田美人の関連性について出ている話は、日本史、ロシア史、郷土史などについて多少の知識があれば信じるに至らない俗説に過ぎない。
白人のスラヴ人がロシアの西シベリアに到達したのは17世紀半ばである。また、秋田県民にコーカソイドの遺伝子が確認された例はなく、科学的に一切証明されていない。白人のスラヴ人は、17世紀半ばまではユーラシア大陸のヨーロッパの部分、つまり現在のモスクワ周辺にしか住んでいなかった。
したがって、近世以前に「白人がロシアから流れ着いて秋田に住みついた」可能性はほぼ皆無である。シベリア入植以降に、白人のロシア人が1 - 2人あるいは団体で日本に流れ着いていた場合、当時日本はすでに江戸時代に入っており、出島に象徴される外国人とキリスト教への幕府の強い警戒感から、
日本で生活することは困難であり、当時の日本人が幕府に逆らってそれらの人たちと結婚し、家庭を築いた可能性は極めて低い。