【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」 [樽悶★]at NEWSPLUS
【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」 [樽悶★] - 暇つぶし2ch323:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:15:45.40 ubGehb2T0.net
>>309
はいはい
古の「倭奴国」・・とは
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の國で
記述にある印綬が出土した九州の國のことですが?

324:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:15:52.02 9vwwoRyT0.net
>>306
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

325:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:18:21.00 xMJgCAzK0.net
畿内説は終わり
畿内は江南稲作の弥生がルーツだからもし魏志倭人伝のように交流してたらこちら側も文字が残っていてもおかしくない
日本に文字が残ってないのは縄文系と交流していたから
弥生は大陸から逃げて来てんのに大陸人と交流したいと思うか?

326:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:21:20.70 1lCV4sdQ0.net
>>305
大和朝廷の前身となる、畿内王と卑弥呼の絶対的な違いは
卑弥呼は、世襲王ではない、という事。
卑弥呼が倭国大乱を収拾して統一王になった?
それじゃあ、記紀の神武が女で卑弥呼か? 
荒唐無稽な、卑弥呼=天照論の存在は知っている。
しかしこの時、畿内は既に、瀬戸内海、日本海、関東方面と連合している。
卑弥呼が収める倭国大乱の歴史は、日本には無い。
九州の日本軍への参加は、この倭人伝でも判る、
魏による、公孫氏滅亡と韓制圧での韓王朝滅亡、以降である。
BC200年から青銅器は、この滅亡地域からの輸入であるが、
この後、九州と内地の青銅器の文化差が無くなり、古墳時代となる。
そしてこの時の統一が、直後の高句麗馬の移入や、鉄器の国内生産に繋がる。

327:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:22:11.04 ubGehb2T0.net
畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきた
これに対して九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなった
けれど、それは
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性が高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。
さらに、
後漢の系統の鏡が多く出土していることも
北部九州は、
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
であった可能性が高いことを示している

328:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:22:43.16 9vwwoRyT0.net
>>307
畿内説はすでに通説になっているのだから、自分で調べられる
こんなスレで畿内説の根拠を聞く必要もないだろ?
仮に畿内説の珍説を力説してる個人がいても、学問の世界で支持されてる畿内説とは違うのだから無視すればいいだけの話

329:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:23:58.28 uSyY3nYL0.net
>>312
まず天御中主なんて旧唐書には全く出てきてもいない。
王の姓が「阿毎氏」だと書くならまだしも。
倭国と倭奴国を同一というなら
東西五月行、南北三月行も説明どうぞ。
えらく東西に長い国だね?
そもそもの出発点として、中国の史書を信頼するのが間違い。
昔からそう書かれてるから程度の根拠で、正確かどうかなんて検証もせずにただ書いてるだけ。

330:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:25:43.90 ubGehb2T0.net
畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきた
これに対して九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることが、有力な拠りどころとなったけれど、
それは邪馬台国というよりも
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性のほうが高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。

331:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:26:24.58 gDWw9drL0.net
>>307
ホントそれ
どちらかに拘る気はないが、畿内説は余りに説得力がなさ過ぎる

332:高篠念仏衆さん
20/10/21 11:26:24.97 6caH2jcm0.net
音読み訓読みの歴史見れば、
民族入れ替わった痕跡無いぞ?
有能な日本語喋れる大陸の王様が日本民族支配した
みたいな?

333:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:26:33.08 YxMOeeGS0.net
誰かタイムマシンに乗って見てくるしかない。想像と妄想は出来るがどの件も確定は出来ない。宮内庁あたりの見解を知りたいとは思うけど。浪漫であって争うものではない。

334:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:27:31.94 jkmQcJYP0.net
>>318
だから、新唐書の
「日本」は古の「倭奴国」・・つまり
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土した九州の國の末裔
である
その国王(天皇)が自ら言うには
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
という【天皇家の主張】をガン無視しないと九州説は成立しない

335:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:29:20.59 vlK08m8u0.net
>>301
「当時に存在した可能性は絶無の現代の正確な地図」を見ながら記述と照らし合わせて云々するのは根底から間違ってるよ。
距離は、陸上なら歩測とか、伊能忠敬の例で見てもかなり正確に測定できる可能性はある
しかし「測量しに行って正確な測定結果を記録し続けたとは考えにくい」し、「海上の距離は正確に測量など不能」
「元々正確であるはずがない距離の数字を根拠にして記述全体の信頼性を云々するのはナンセンス」
方位は当時でも太陽や星で簡単に把握できていたし、「そうではない方向音痴なら海上も含めた長距離を生きて往復できるわけがない」
「現に生きて往復できた」という事実があるなら、方位はかなり正確に把握し続ける能力があったということでしかない。
誤伝誤記等はありうるとしても、概略の方位は合ってると仮定するのが穏当。
「自分の思い込みに沿わないからといって都合に合うように誤記としようとする」のは科学的に公平な態度とは正反対でしかない。
ま、小保方と取り巻きみたいなもんだな。「邪馬台国はこっちだから、そっちに行くように書いてあるのは記述が違ってまーす」?

336:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:23.88 gTTlBiQz0.net
>>323
【天皇家の主張】をガン無視しないと九州説は成立しない
そこに事実が無ければガン無視すればいい
事実を知りたいのか天皇家を崇めたいのか畿内人が始めるのはそこからだろ

337:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:30.30 uSyY3nYL0.net
>>322
だから>>297で新唐書なんて者を持ち出すのは論外だと言ってる。
ウガヤ王朝を語るには文献も物証も少なすぎるし
神武以降の天皇の漢風諡号は淡海三船が8世紀に一括諡号するまで存在しない。

338:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:55.34 vlK08m8u0.net
>>304
関西の学者が地元で自分が発掘した物を文献に合わせるために言ってるだけでしょ。
「魏志のいう邪馬台とは別の独自の歴史がある国」を抹殺しようとしてる、ということになりかねないぞ。
思い込みを優先する没科学的な小保方思考からそろそろ脱却しなさい。
それができない限り先はない。

339:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:36:20.90 jkmQcJYP0.net
>>324
北部九州にあった
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」は
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」と150年以上交易を独占して大繁栄していた
のだからへたすりゃ、「帯方郡」の役人の手元には【北部九州の地図】すらあった可能性がある
そのあとに親魏倭王となった邪馬台国が九州にあったなら
距離も方位も間違えないよ

340:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:38:36.03 ubGehb2T0.net
>>325
邪馬台国を九州にしたいから
書かれているという事実を無視するとか(笑)

341:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:38:38.36 9vwwoRyT0.net
>>1
>ただ、考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして
そんな大きな違いがあると主張してるのは、極めて一部の考古学者だけ
少数の九州説論者かアンチ畿内説
実際、古墳時代の始まりは教科書にも、3世紀中頃か後半と書かれており、
考古学者の間で大きな違いはない

342:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:40:01.18 9vwwoRyT0.net
>>327
東大は関西ではない
九州大学も関西ではない
歴博も関西ではない

343:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:40:15.91 BKWifkog0.net
>>279
外国の歴史書だけをソースに日本の歴史を語っても意味がないと思う。

344:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:41:13.03 gTTlBiQz0.net
日本書紀の編纂に関わった人は、魏志倭人伝は知っていた
魏志倭人伝を引用したにもかかわらず、邪馬台国にも卑弥呼にも全くふれていないということは
神功皇后は卑弥呼ではないということを言っているのも同じである
主張よりも言ってない事を紐解いた方が事実に繋がる
畿内人は主張ばかり気にし過ぎ
邪馬台国に従わなかった国のどれかが大和王権東遷前ではないかな?

345:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:42:53.93 vlK08m8u0.net
>>328
魏志のいう邪馬台は九州のどこか確定ね。
半島南端 対馬 壱岐 と辿って直近というと九州でしかない。

346:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:44:05.08 vlK08m8u0.net
>>331
関西の地元の説の丸覚えが分散しただけでしょ。

347:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:44:09.01 jkmQcJYP0.net
>>332
>>325
邪馬台国を九州にしたいから
外国の歴史書に書かれているソースを無視して
日本の歴史を語る
ほうが頭がおかしい(笑)
フォーラムでも
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることが、有力な拠りどころとなったけれど、
それは邪馬台国というよりも
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性のほうが高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱
しとる

348:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:45:01.85 gTTlBiQz0.net
九州説、いや九州で邪馬台国は確定だよ
書いてることより書かない事を見れば明らか

349:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:45:08.72 YxMOeeGS0.net
だからそこを畿内とどうしてもしたい人がいる。

350:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:46:09.37 YxMOeeGS0.net
佐賀でも無いのは確かかと。

351:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:46:24.34 uSyY3nYL0.net
>>324
当時の距離単位って身体尺がベースにある。
現代日本人の感覚でいうと『2歩歩いた距離=距離単位の1歩』となる。
距離単位の1歩=約1.3mで、距離単位300歩=約390mが1里となる。
なので、もし当時概算何里なのかを数えていたとしたら(歩測)
短里/長里のような極端な5~6倍の結果になることはない。
陳寿は誰かが適当に書いたもの、昔からの言い伝えの文献を検証せずに転記しただけだよ。

352:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:47:15.68 vlK08m8u0.net
>>332
外人さんの日本探訪記はそれなりに有意義だよ。
ズレてるところはありうるがね。

353:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:47:40.21 CFHKKnMi0.net
九州説なんて考古学界ではとっくにオワコンなのに粘るねぇ

354:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:48:13.54 vlK08m8u0.net
>>336
いつまでも小保方ってなさい。

355:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:48:28.22 BKWifkog0.net
>>336
邪馬台国好きの人って、なんでも邪馬台国に関連付けて語るんだね。

356:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:50:12.87 vlK08m8u0.net
>>340
測量しに行ったわけでもあるまいし、細かい数字を論拠にするのはナンセンス。

357:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:09.98 gTTlBiQz0.net
今後は畿内人の性格を紐解くことが九州邪馬台国をより強固なものとする
2000年前から性根は変わってない

358:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:32.70 +d8TcqxF0.net
考古学者も歴史学者も邪馬台国なんて基本的語らない
話題の中で「これこれこういう物があってその時代は邪馬台国の頃だから関連あるかも」と言う論調で出てくる程度
で、そういう流れの中で九州にその当時の中心地と呼べるものがなく、畿内に情報の発信源がある事から「その頃の中心とされるのが畿内だった」と言う話になってる
「わかった!」「確定した!」とか喚いてるのは大体素人レベルのアホくらい
このスレで延々と張り付いてる奴らみたいな

359:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:58.14 jkmQcJYP0.net
>>337
>>338
はいはい
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」や
日本の記紀に書かれている「筑紫城」のものではなく
『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
とフォーラムは言ってますが?

360:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:53:45.24 uSyY3nYL0.net
>>345
だから陳寿は適当な記録を転記しただけなんだよ。
魏志倭人伝やその他中国史書は間違いだらけだと理解して読む必要がある。
因みに他にも魏志倭人伝にはおかしな事は多々書いてるよ。
船で一年かかる国なんて誰が調べたのか?
小人の国なんてどこにあるのか?
邪馬台国は本当にご長寿大国なのか?


361:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:53:51.43 +d8TcqxF0.net
>>344
全然無関係のスレに現れてバカみたいにコピペとか繰り返すからもう迷惑でしかないな

362:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:55:01.73 a2sRmzkG0.net
>>348
>吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
してない

363:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:55:20.44 gp320zjO0.net
>>347
まあそうだよなあ
学者が語るべきものじゃないもん

364:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:56:00.34 ubGehb2T0.net
>>337
>>338
はいはい
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」や
日本の記紀に書かれている「筑紫城」のものではなく
『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
考古学的には
「邪馬台国」より50年から100年前の
『後漢書』に書かれている「倭奴國」のものだと思いますよ
とフォーラムは言ってますが?

365:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:56:40.99 ubGehb2T0.net
>>351
してますよ >>1

366:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:57:19.78 1lCV4sdQ0.net
250年より前に、王権が九州から東遷するなんてことは有り得ない。
しかし、250年程度に奈良纏向は建設され、古墳時代は始まる。
卑弥呼王権は190年辺りから247年までである。
同じものでは有り得ない。
この間、及びBC200年まで遡っても
九州は漢鏡等青銅器、鉄器などの中国文明が及ぶが
本州も青銅は搬入できているし、銅鐸文化も別途安定的に繁栄していた。
2600年以上前から東遷したのは、水稲耕作文明である。

367:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:57:22.80 a2sRmzkG0.net
>>347
そう
魏志倭人伝にしか出てこない邪馬台国を専門に研究する意味がないもんな
他の資料がないから比較のしようもない

368:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:58:49.82 a2sRmzkG0.net
>>354
それは>>1の場合で
九州説を唱えてる人のすべてがそうだとは言えない
それとも、
三角縁神獣鏡が出土するたびに卑弥呼の墓だと喚いてた畿内説の人もいたけど
畿内説のすべての人がそのような考え方だと決めつけていいのかな?

369:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:59:38.93 gTTlBiQz0.net
>>349
海流をまたぐから船で時間がかかるのは当然
日本南方は海洋系だから小さかった
その名残は今もあるだろ
小人の国と言う表現はあながち間違ってない
邪馬台国が魚食してたら長寿になってた可能性あるな

370:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:08.60 ubGehb2T0.net
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、
後漢の系統の鏡が多く出土していること
を、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)のものではなく、『魏志倭人伝』に書かれている「邪馬台国」のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
考古学的には
「邪馬台国」より50年から100年前の
『後漢書』に書かれている「倭奴國」のものだと思いますよ
とフォーラムは言ってます

371:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:17.18 Wi/nov/s0.net
畿内はもちろんだが、吉野ケ里も邪馬台国でないだろう。

372:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:47.52 a2sRmzkG0.net
>>359
>を、有力な拠りどころとしてるけど
してない

373:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:05:03.04 JDSWGKwg0.net
吉野ヶ里が邪馬台国の中枢だよね
沖縄や南西諸島でしかとれない日輪を模したゴボウラ貝の腕輪を身につけている
少女が甕棺から見つかっている
彼女は卑弥呼と同じ系列だ
巫女だ
日本人は海洋民族である
暗黒大陸や半島は関係ない

374:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:05:35.69 nrQP9Z3K0.net
中国が名付けた邪悪な国という意味の
邪馬台国って読んでる時点でジャップだなぁ
正しくは倭大国だろ
アホウヨってこういうのは気にしないで尖閣がーとか言ってるからアホw

375:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:06:20.11 uSyY3nYL0.net
>>358
船で1年かかる国の有無ではなく、それを誰が確認したのかという話し。
身長3~4尺=72~96cmは明らかに人類ではない。
当時80~100歳がゴロゴロいたと書いてるが、そんなことがあったらそっちの方が大発見。
当時の遺骨でも70代まで生きてればご長寿だと、はっきりしてる。

376:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:07:09.90 N8OX3Fq+0.net
【天皇家の主張】とは
天皇家は九州から畿内にやってきました。 初代は神武天皇です。 
神武の系譜は、九州山地の西側にあった高天原に住んでいた勢力が高千穂の峰を超えて
日向に向かい、コノハナサクヤヒメと結ばれるところから始まります。
って事でしょ?

377:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:04.45 nrQP9Z3K0.net
今で言ったら
日本人が、中国に尖閣諸島侵略されてジャップランドの将来を憂うって真顔で言ってるのと同じだから笑えるよな
邪馬台国w

378:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:19.05 gTTlBiQz0.net
魏志倭人伝より正確でなく嘘つきなのが畿内人と言うのは現代の都構想説でも明らかな通り

379:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:30.84 JDSWGKwg0.net
>>363
エベンキの


380:勉強をしようかw



381:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:10:48.06 GTVnKzBI0.net
>>367
短里を捏造してまで必死の九州人はチョンってこと?

382:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:11:29.22 gTTlBiQz0.net
東に都を取られてから過去から現代までずっと都構想言ってるのが畿内人

383:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:11:42.81 nrQP9Z3K0.net
>>368
ああいうこと言えば消去法で俺はチョンだと思う時点が思考停止したアホウヨなんだよ
エベンキはチョンのルーツでロシアから流れ着いた民族でそれが朝鮮人のルーツだよね。
だから中国人と日本人は顔つきは似てるけど
チョンはパンスト引っ張ったみたいな顔で微妙に違うのはこのせいってのも知ってるぞーw

384:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:18:58.83 YxMOeeGS0.net
喧嘩するもんでもない。こんなとこでがなる価値もない。
自論としての見解だしね~それぞれの心のうちにあれこれあるんでしょ?

385:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:21:28.70 uSyY3nYL0.net
>>372
真偽不明だからね。
まさにそれぞれの心のうちに色々な空想が膨らむんだけど、だからこそ無茶苦茶な自説は切っていかないと収集がつかなくなる。

386:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:22:36.22 JDSWGKwg0.net
>>1
日本と日本神道の成立に必須のイコン
三種の神器
勾玉


鏡も剣もあと付けされたものだ
縄文と勾玉の歴史は古い
日本は海洋民族だ

387:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:26:41.73 uJAIKWmA0.net
>>1
近畿よりも九州の方が縄文人のDNAが濃いらしいからな
倭国邪馬台国は九州だろ
縄文人が既に九州を支配していたから渡来人は近畿に行った

388:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:39:20.72 uSyY3nYL0.net
>>375
その理屈だと、当時海外との交流が盛んだったのは近畿だったってことになるけどあってるの?
たった3行で矛盾してる。

389:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:42:19.83 YxMOeeGS0.net
>>375私もそんな感じに妄想している。邇邇芸陵墓・ウガヤフキアエズ陵墓・山幸陵墓が鹿児島に3つあること。宮内庁管理。霧島神宮これも宮内庁。数知れず。しかし邪馬台国は佐賀から大分より。外敵牽制してもっと東の国東半島。邪馬台国は移動したと思っています。自論ね。

390:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:43:15.95 JDSWGKwg0.net
>>375
渡来人とか弥生人とかな
民族の構成を変える人種の動静はそもそもない
渡来人とか弥生人とはデッチアゲだ
少数の人間の移動しかない

391:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:53:16.90 m9UotYUM0.net
>>34
文字が無い地域で300年の空白なんて誤差やで
文字があった殷王朝と周王朝でもそれくらいの空白あるし

392:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:58:09.91 uSyY3nYL0.net
>>378
縄文人、弥生人と一括りにするのがそもそも無理があるよね。
日本列島が大陸から分離してから、アフリカにホモサピエンスが発生してるんだから
日本人の祖先は全員いつかの時代に海を越えて日本列島にたどり着いた人々。
それも単一民族が日本列島に移り住んで縄文人や弥生人になったわけでもなく
複数のルートから複数の集団が色々な時期に日本列島に移り住んでる。
縄文人は〇〇だった!とかって論調自体がナンセンスだと思う。

393:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:59:11.16 s8I4YQSf0.net
もう熊本説で決まりやろ

394:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:02:24.72 mcGvBHKO0.net
>>375
神武より先に近畿大和を支配してた者がいると
日本書紀に書いてるからこれは信じるしかない。
吉野ヶ里は楼閣が有ったという証拠が無いのに
捏造した。テーマパークの本家アメリカディズニーランドの開拓の国を真似をした
所詮町興しの弥生の国テーマ・パークだ。
纏向は祭祀の霊場で生活臭が無い。
生活臭が有るのは唐子鍵遺跡。
唐子鍵にはちゃんと楼閣があった証拠が出土している。

395:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:04:52.98 ku3+LD3C0.net
日本のルーツを邪馬台国にしたい人だけが近畿説を取る
当時は小国がたくさんあってそのうちの一つが近畿に移動して平定したと考えるのが妥当
邪馬台国は九州にあって滅びた

396:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:09:55.13 uSyY3nYL0.net
>>383
それは多分逆だと思う。
邪馬台国九州説には九州王朝説、九州王朝東遷説という派生モデルがある。
九州王朝の起源を九州邪馬台国に求め、その九州邪馬台国が九州王朝につながり
やがて東遷して畿内に入ったというルーツを信じたがってる人たち。
貴方のように九州邪馬台国滅亡論者は(俺も含めて)少数派

397:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:09:56.22 N8OX3Fq+0.net
【天皇家の主張】とは(神無月編)
神武一行はまずは畿内に一番入りやすい大和川経由で入ろうとする。
ところが、ナガスネヒコが攻めてくる。
(ナガスネヒコめ! 大国主はすでに国譲りしてんねんぞ! 何逆らいよんねん!)
( )内は私の心の叫びです。
あっさり敗れた神武一行は淀川(大和川?)をあきらめて南下、紀ノ川経由で入ろうとするも
なんと地元の豪族にまたまた敗れてしまう。 おまけに兄貴が戦死してしまう。
(神武よわっ!w 兄ちゃん! なんで氏んでしまうん?(泣))
しかたなく神武一行はさらに南下し、昼なお暗い熊野の獣道を人目を避けながら畿内入りを目指す。
(まるで、○キブリのようだぜ!(悲))
しかし! 苦労の甲斐あって畿内入りに成功した神武達は大物主に温かく迎えられます。
めでたしめでたし。 
・・・

398:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:10:12.69 N8OX3Fq+0.net
(あれ? ちょっと待て! なんで大物主が畿内の主として神武を出迎えるん?
国譲りしたんとちゃうん? 話がちがうやんか!(怒))
そう。全然国譲りなんてされていなかったのです。(笑)

神武は出雲系の姫を嫁にあてがわれて葛城に住むことになります。
その後、九州からついてきたタギシミミは邪魔者になったのか、腹違いの弟の綏靖に
殺されてしまいます。 (このあたりはいつの時代も変わらないんですね。)
この神武一行を出迎えた大物主は崇神垂仁の頃にはなぜか祟り神となっています。
この段階では国譲りはなされています。
実際の国譲りはこの2代~9代のいわゆる欠史8代の間に行われたのでしょう。
欠史八代の間に起った事は記紀神代の中にまとめられました。
10月は「神無月」。 全国の神様が出雲に集まる月です。 きっと大国主の命日なのでしょう。

399:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:12:37.30 GX7ddzUA0.net
>>1
日本書紀に既に朝鮮に住んでいた秦氏の事が書かれているんだが
神功皇后、応神天皇の時代に秦氏一族は日本に来て帰化している
その数もかなりのもの
朝鮮半島で虐げられていた秦氏は神功皇后、応神天皇の時代に救援を要請している
日本に連れてきたのも日本人自身
『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)などが祖とされる。
朝鮮から移住してきた秦氏に関しては日本書紀などに詳しく書かれているのでそれに目を通そう

400:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:16:46.41 Dq17MqAH0.net
半島スパイの阿波とかいう馬鹿いなくなったか?w

401:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:19:07.61 GX7ddzUA0.net
>>387
日本書紀には卑弥呼は神功皇后の時代にあった事と間接的に書かれているので
この時代に既に朝鮮半島の人間が日本に帰化していた事となる
ついでに神功皇后は三韓征伐をやっている
これは祇園祭の大船鉾や全国各地に残る山車や伝承からこっちの方が真実とわかるよ


402:ね? 魏志倭人伝の記述には方位や距離にあまりにも間違いが多く その他の記述にも不審な点が多いものが多い



403:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:21:42.86 T7I1dc2T0.net
NHKに全く相手にされていない考古学者どもwww こいつらが優勢な畿内説なんて
バカの考えることwww 何しろ発掘土方の捏造も見破れなかった「専門家」だもな
wwwwwwwwww

404:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:23:02.79 uSyY3nYL0.net
>>386-387
おもしろいなw
大物主と大国主の関係について、同一視していいのかどうかがちょっと微妙
大国主の国造りの話でも、同一人物なのか別人なのかが微妙
記紀や三諸山、大神神社の縁起なんかを見ても、別人のような気がしないでもない。
なので、出雲で大国主が国譲りをしてても、三諸山の大物主的には「知らんがな」と
思ってたという解釈もできなくはない。

405:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:24:21.87 1t1e+wQc0.net
畿内説の方が有力なんですかい?

406:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:26:11.85 uSyY3nYL0.net
>>392
畿内説にも九州説にも、決定的な証拠がないから今の現状です。
状況証拠的には九州の方が有利かな?とは個人的には思うけど
断定できる証拠といえるものはない。

407:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:27:29.28 GX7ddzUA0.net
>>386
欠史八代は神武天皇の後の事
神代は神武天皇の祖先だよ
日本書紀などの記述にはデタラメなものがあるけど
それでも系譜はある程度正しいよ
つまり神武天皇の時代は卑弥呼の時代よりはるかに過去の出来事という事
神代の出来事はさらに過去の事で
天照大神は中国でも神代の頃の出来事で淮南子などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和がそれに該当する

408:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:28:05.05 +d8TcqxF0.net
>>392
位置論争とかしてる馬鹿はこのスレにいるような素人だけ
考古学も歴史学も邪馬台国の事なんて語らない
当然、位置がどこだとかそんなもんはテーマになってない

409:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:35:32.82 1lCV4sdQ0.net
倭人伝に邪馬台国は
九州北部に190年から247年まであった21国構成の7万戸の女王国
って、書いてあるのに、証拠が要るか?
この時点での、漢鏡渡来品の出る遺跡は
九州北部になら、いくらでも有るだろ?

410:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:42:48.21 uSyY3nYL0.net
>>396
九州北部にあったと断定してないから物証が必要なのよ。
決定的な証拠さえ見つかれば位置論争終わってる。

411:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:44:16.78 a2sRmzkG0.net
>>397
九州に上陸した後に、東や南にしか進んでないんだよ
位置論争で、九州よりも北にある畿内を持ち出してくるのは、そもそも間違いなんだよな

412:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:44:40.83 +d8TcqxF0.net
歴史や考古学のテーマは文献や、発見された物をまとめてその時代のあり様を見出すこと
その結果、畿内から土器や古墳が弥生時代終末期に日本全国に展開して中心となる様子が見て取れる
なので「この時期には畿内にそれまでにない全国的な中心が出現してる」と言う見解を出している
で、それに対する学者もその中心性の在り方に対して疑義を提示していると言う形
あくまでもその時代の日本における文献や発掘物の集成によって中心や発展の過程を読み解こうと言うアプローチ
だから仮説を立てるにしても、それと違う物証が出れば修正がされる
歴史と言うのは結論は先にはなく、物証や文献を集成した結果見出される妥当とされる結論を見つけ出すこと
邪馬台国論争とやらが素人遊びに過ぎないと言うのは、
最初から結論ありきの話に文献や発掘物を好き勝手に解釈して用意した答えに当てはめて言い張ってる学問以前の論争見ればよく分かる

413:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:16.87 GX7ddzUA0.net
ちなみに日本書紀を元に考えると九州説も近畿説もどちらも正解
なぜなら当時の天皇は時折 神武天皇のふるさとの九州に帰っていた
宮崎には西都と言う場所があるが一時的に天皇が帰還する場所があった
崇神天皇の時に不作と疫病が発生して帰省どころではなくなる
垂仁天皇の時に混乱が収まり垂仁天皇の時に伊勢神宮を建立する
景行天皇の時に九州巡回を再開する
その時に熊襲退治もする
その子のヤマトタケルは九州から東北まで巡回する
これが倭国大乱
これは崇神天皇の時の不作と疫病が原因だった

414:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:33.50 GX7ddzUA0.net
それを収めたのが夫である哀仲天皇を持つ神功皇后
当時は九州の熊襲と交戦していた
そのために山口県と福岡に数年滞在していた
しかし哀仲天皇の死後に熊襲を倒し三韓征伐を行う
そして帰還後に今の住吉大社を建立した
つまりこの時点まで天皇が住む御所は関西と九州に存在していたのだ
その後に夫を熊襲で失った神功皇后は九州への帰省を中止した

415:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:46.22 uSyY3nYL0.net
>>398
それは魏志倭人伝の記述がどこまで信用できるか、できないかの話してもあるし、水行陸行の解釈の話もあるので断定的には言えんよ?

416:高篠念仏衆さん
20/10/21 13:48:09.86 6caH2jcm0.net
当時は石油ストーブなんか無いんだから
南から北へ南から北へ
だろうけど。

417:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:48:29.64 a2sRmzkG0.net
>>402
そもそも方角を間違えるかね?

418:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:51:36.21 +d8TcqxF0.net
そもそも歴史と言うのは同時代の文献を読み合わせて裏を取る作業に基づく
なので「それ一つしかない」と言う物は資料たりえない
ながらく記紀がただの伝説扱いされていたのは裏を取る同時代の書物が無いから
その為に考古学の力を借りて今は歴史としてある程度の信頼度があるものであると言う見直しがされている
そして魏志倭人伝は同時代の倭について記した書物が存在しない単独の史書
こんなものを「解釈」しても何の結論も見いだせない
だから巷にひろまる珍説のような「正しい読み方」等と言うバカげた話はどんなにそれっぽいことを言おうが全く意味をなさない空想でしかない
だから歴史学者も考古学者も邪馬台国などと言う物を語らない
この事からも位置論争などやっているのが学問以前の素人でしかないのがよく分かる

419:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:53:09.95 a2sRmzkG0.net
>>400
記紀はなぁ
自分たちに都合よく書いてるだろうから
あくまでも参考程度のものだろうし
歴史書は、事実をありのまま書くべきだという考えがその当時の日本にあったとは思えないし

420:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:53:56.44 1lCV4sdQ0.net
逆に言うと、240年以前に
九州は畿内王権の統制下に在ったという証拠は有るか?
なぜこれ以前の青銅文化は、九州と本州で違うのか?
倭人伝では、卑弥呼は、世襲制の日本の統一王ではないが
銅鐸文化を流布した200年以前~250年以降にも継続していたはずの
後の大和王権に繋がる畿内王権の王であるわけが無い。
この九州統一~古墳時代への隙間に、
ぴったり収まる筑紫王が倭人伝の卑弥呼である。

421:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:54:20.68 uSyY3nYL0.net
>>404
距離も方角もアテになるかならないかが判定不能でしょう。
だからこそ物証が必要。
卑弥呼が貰った親魏倭王の金印か、部下二人が貰った銀印か
3つのうちどれかが出てくればかなり楽になる。
やり取りしたことを示す書物、木簡、竹簡でもいい。
何か出てこないと、これ以上進みようがないと思うよ。

422:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:56:04.15 mcGvBHKO0.net
>>390
邪馬台国スレとか見てると九州では時々邪馬台国スペシャルが
放送されてるみたいだが関西では邪馬台国=畿内が定着してるから
めったに放送されないわ。
朝鮮がしょっちゅう反日教育してるのとおなじだわ九州はw

423:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:57:41.80 aoaEVH6J0.net
ていうか、考古学者はちゃんと論文を書いてるの?

424:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:58:41.24 aoaEVH6J0.net
あ、ごめん。
考古学者はちゃんと邪馬台国についての論文を書いてるの?
でした。

425:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:59:45.72 a2sRmzkG0.net
>>408
では魏志倭人伝そのものが当てにならないんじゃね?
まずは文献に書かれてる記述を信用してみなさい
それが第一歩だろ?
それを行わずにいきなり記述が信用ならないとしているからおかしくなる
東や南にしか進まず
直線距離ではなく実際に踏破した距離で計算する
それだけで大方の場所は分かる

>何か出てこないと、これ以上進みようがないと思うよ。
それは分かる
ここが邪馬台国ですとか、
ここが卑弥呼の墓ですとか書かれた看板が出てこないとどうしようもないだろう

426:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:00:58.10 viIC9Dse0.net
当時のラノベと
そのファン向けグッズやろ

427:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:04:14.51 +d8TcqxF0.net
だからこういう話でそもそも「邪馬台国」とやらをテーマにしてる時点で論外
あてにならない本一つに書かれてるだけの物をまず根拠なく実在と決め

裏の取れない、意味不明な文章を「解釈」してそのあり様を創造する

その上で文物を都合よく組み合わせていく

ここが邪馬台国です
バカバカしい
こんなものを学問として扱えると思ってる方がどうかしてる
学者がテーマとしないのは当然だろう

428:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:05:03.81 uSyY3nYL0.net
>>412
俺は魏志倭人伝の大部分がアテになるとは思ってないよ。
明らかに魏の公文書から転記された部分については
当時洛陽でのやり取りの経緯など事実だろうとは思うけど
他はもっと古い時代の伝説、伝承なんかも混ざってるので
そこをアテにしても無意味だと思ってる。
>>349に現代人でもわかりやすい魏志倭人伝の例を3つ挙げたりしてる。
他の中国で正史とされるものにしても、適当な事が書いてあると思うし
そう思うだけの根拠もあるよ。

429:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:07:00.08 a2sRmzkG0.net
>>415
>俺は魏志倭人伝の大部分がアテになるとは思ってないよ。
なら、卑弥呼も邪馬台国も妄想だよ
で終わりじゃん

430:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:11:16.11 uSyY3nYL0.net
>>416
所が、洛陽の公文書からの転記部分に卑弥呼と邪馬台国がでてくるのよ。
だから邪馬台国があったことも卑弥呼がいたことも事実だとしかとらえようがない。
具体的には魏志倭人伝の後半部分の
「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡」のあたりから
「其八年太守王?到官」辺りまで。
この辺は公文書っぽい綺麗な文体で、魏志倭人伝の他の文体と全く違う。

431:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:12:21.21 aoaEVH6J0.net
あんまり関係ないけど、今グーグルマップ見てたら現在の中国の
海岸線の長さって日本(沖縄を除く)とだいたい同じくらいなんだな。
いや、当時の魏(西普)からみたら日本なんてかなり遠い国だから
記述もおかしくなるとも思ったけど、案外近かった�


432:烽ナ。



433:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:13:26.59 a2sRmzkG0.net
>>417
>洛陽の公文書からの転記部分に卑弥呼と邪馬台国がでてくるのよ。
それ、結構知られてる事じゃん

434:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:08.77 CLSwQQTw0.net
>邪馬台国の女王卑弥呼が魏から贈られたという三角縁神獣鏡
日本の文系学者って、平気でこういうデタラメを言いふらすんだよなw
文系が冷遇されるのは当然だな。

435:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:19.06 aoaEVH6J0.net
>>391
横からですが、わたしもオオクニヌシ≠オオモノヌシ派です

436:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:52.17 uSyY3nYL0.net
>>419
だから卑弥呼も邪馬台国もなかったとはならないが
魏志倭人伝の他の部分はアテにできないから何処にあったかはっきりしない。

437:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:17:05.88 CLSwQQTw0.net
>>417
中国語に明るいわけではないけど、倭人伝全


438:体の文体も立派に見えるけどな。



439:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:06.80 a2sRmzkG0.net
>>422
だからと言って
記述全体を疑うのはやりすぎ
中国だから数字を誇大表現するだろうくらいの先入観はあってもいいけど
方角が違うというのは無理やりすぎる
まるで畿内説信者のように見える

440:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:14.23 GX7ddzUA0.net
>>406
記紀は聖徳太子の時に原型の本が火事でなくなっているからね
その事を忘れてはいかんと思うよ
今の記紀はそもそも半分は記憶の産物だから
それでも記紀の方が魏志倭人伝よりよほど正しい
卑弥呼の謎とやらもよく読めばわかると思うよ
正しい解釈をしていると思われるのはやはり本居宣長あたりだと思うけど

441:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:26.86 CLSwQQTw0.net
>>422
虚心に読めば、北部九州ということになるだろ?
距離感についても、魏志全体で比較すれば不自然ではない。

442:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:20:06.60 CLSwQQTw0.net
>>425
記紀から魏志を読み解くのは無理w
邪馬台国と大和王朝には直接の関係がないとみるしかない。

443:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:21:26.38 ubGehb2T0.net
>>361
完全にしてますよ
九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなった
と、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平氏が言ってます >>1

444:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:21:50.94 a2sRmzkG0.net
>>425
それ以前に、国家が主導して編纂した自国の歴史本とは、
自国の、当時の為政者に都合がいいように書かれていることも忘れてはいけないと思うよ
中国様から金印を賜ったのは自分たちの祖先だ
という事にしときたい
というねつ造なんて簡単に行うと考えるべき

445:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:22:16.95 GX7ddzUA0.net
>>425
ついでに言うと朝廷内の文献は火事で焼失したけど
実際には文字はその頃には発達していろいろな豪族の中には文献を朝廷ほどではないけど保有していた
朝廷の運よく焼けなかった文献とそれら豪族の文献を元に今の記紀は制作されているよ

446:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:23:53.75 GX7ddzUA0.net
>>429
記紀は日本の歴史書の再現だからね
しかも他の豪族などの文献なども参考にしている

447:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:23:59.17 aoaEVH6J0.net
>>428
吉野ケ里以前から邪馬台国論争というのはありましてね

448:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:26:53.92 GX7ddzUA0.net
>>427
いやいや十分に可能だよ
むしろ記紀を軸に日本の歴史を考えるのが妥当
該当する部分はたくさんあるから
但し魏志倭人伝の方位や距離はマジで無視するのがいい
これは神功皇后の右腕の武内宿禰の軍略だから

449:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:27:45.47 aoaEVH6J0.net
記紀については継体以降はそこそこ正しい感じかなって感じかなあ。
まあ、それ以降でも怪しいところはあるけど。

450:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:29:28.79 GX7ddzUA0.net
>>433
地図は当時の日本の軍事機密だから
武内宿禰がそんなものを簡単に中国に渡すわけがない
三韓征伐を成し遂げた軍師はそんなに間抜けではない

451:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:30:33.09 a2sRmzkG0.net
>>431
だからこそ、
その当時の為政者、豪族に都合がいいように書かれていると考えるべき

452:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:30:47.98 uSyY3nYL0.net
>>424
魏志倭人伝の元ソースがどういうものなのか?って点をもう少し考えるといいかも。
①洛陽の公文書・・・一番正確でアテになる
②帯方郡にあった出張報告・・・やや微妙
③もっと古い文献の伝説や寓話(山海経など出典がわかってるものもある)
公文書部分はきっちり区分けできるので良いけど
他の分は玉石混交過ぎてアテにならない。
数字を盛ったというのも実態がわからなくなって困るし
本当に魏の使者が倭国にわたって各地を見てまわったのかどうかも不明

453:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:32:57.80 a2sRmzkG0.net
>>437
元ソースがなんであれ、
方角を間違えるのかね?
って事
畿内にたどり着きたいのに
東や南にしか進まない記述というのはおかしいだろ?

454:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:33:03.96 GX7ddzUA0.net
>>1
日本の天才軍師の武内宿禰は三韓征伐を行った軍師
この武内宿禰に今の日本人の子孫さえも騙されていると言うわけだ
魏使者の張政の地図がデタラメなのも武内の戦略で実際には日本人は文字も持っていたし軍馬も保有していた

455:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:35:14.62 uSyY3nYL0.net
>>438
当時「間違えた」のではなく、もっと過去の伝承が「間違ってた」であって
陳寿はそれを裏取りせずに転記したというだけの事だよ。
三国時代、西晋の時代に生きていた陳寿にしてみれば
距離だって「間違ってる」んだからね?

456:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:37:21.36 a2sRmzkG0.net
>>440
過去の伝承が間違ってたと決めつけるのもおかしいだろ
なんで間違ってたと決めつけられるんだ?

457:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:41:39.29 ubGehb2T0.net
まぁ
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述と、その記述の印綬が出土したことや
後漢の系統の鏡が多く出土していることから
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や
佐賀の吉野ヶ里遺跡は
『後漢書』に書かれている、「邪馬台国」より50年から100年前の「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)の遺跡
と考えるのが自然だわな

458:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:43:01.67 uSyY3nYL0.net
>>441
明らかにおかしい山海経からの転載なんてかもあるからだよ。
>>349に3つの例を挙げたけど、うち二つは山海経からのパクリ
あと一つははっきりしないけど、現実的にあり得ないことくらいはわかる。
間違ったことを混ぜてしまった文書から、正しい部分だけ抜き出せってのは
他の当時の文献を大量に集めて答え合わせする以外に方法がない。
そして現代人にはもう既に文献が失われてしまって答え合わせはできない。
分離できない以上、アテにする方が間違い。

459:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:43:18.28 N8OX3Fq+0.net
>>394
>欠史八代は神武天皇の後の事
>神代は神武天皇の祖先だよ
記紀の順番ではそうなってるんだけど、その順番が正しいのならばなぜ国譲りされてるはずなのに神武はすんなり畿内入りができず、
あれほど苦しんだのかって事。 またなんとか畿内入りした時になぜそこには出雲系の勢力が満ち溢れていたのかって事。

460:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:45:58.70 uSyY3nYL0.net
>>442
肝心の後漢書が後の時代の三国志より後に編纂されて
魏志倭人伝からの転記が混ざってるんだけどね。
後、後漢書には倭奴国は倭国の南端にあるとも書いてある。
福岡県は倭国の南端にあったのか?
中国正史を信じるなら志賀島の金印は矛盾してるか
後世に移動したってことになる。

461:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:48:10.39 a2sRmzkG0.net
>>443
よく知らんけど山海経に方角が書いてあったの?
>間違ったことを混ぜてしまった文書から、正しい部分だけ抜き出せってのは
そうなると、
朝鮮半島から九州に上陸した後に西に向かった可能性もあるわな
邪馬台国朝鮮説か

462:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:55:21.67 uSyY3nYL0.net
>>446
山海経には倭国内の詳しいことは書いてないよ。
扶桑国とか小人国とかおとぎ話みたいな内容。
轆轤首も出てくるし、神話伝承の生き物も出てくる。
陳寿はそんなおとぎ話を魏志倭人伝に混ぜてしまってるし
他にも正確性に難のある伝承を混ぜてしまってる可能性が高い。
中国正史は全体的にアテにできないと思った方が無難。
魏志倭人伝に書いてることを全部正しいと思うのは100%間違ってる。

463:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:58:35.16 a2sRmzkG0.net
>>447
>可能性が高い。
あぁ、可能性ならどんなことでも言えるわな
>魏志倭人伝に書いてることを全部正しいと思うのは100%間違ってる。
全部正しいと言ってる人はまず存在しないだろうけどな
ただ、
東や南にしか進まないのに、北上しないとたどり着けない畿内はありえない

464:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:02:18.53 GX7ddzUA0.net
>>444
ちゃんと日本書紀を読もうな
神武天皇と対峙し戦った長髄彦は神武天皇の親族の饒速日尊に仕えていた
しかし長髄彦は勘違いして神武天皇の軍に襲い掛かり神武天皇の兄を矢で射ってその傷がもとで死んだ
そしてBC660年に即位
出雲の時代はさらに過去だし中身も実は複雑なので省略
GHQが主張していた歴史が日本の歴史ではない

465:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:03:25.75 6caH2jcm0.net
URLリンク(ameblo.jp)
空白の4世紀

466:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:06:12.75 1lCV4sdQ0.net
楽浪帯方の在った、313年以前に三韓征伐なんて無い。
卑弥呼を神功皇后に仕立てるとか、万世一系の歴史捏造なんて無理。
魏が制圧した馬韓、辰韓はともかく弁韓=加羅、任那は日本側の進駐地域である。
350年以降の百済新羅成立は、
楽浪帯方を追った楽浪帯方より北の民族、
高句麗が、中華貴族の幽州刺史、楽浪候となり、
半島南部に侵攻するのを
背後の日本の援軍と競合し押し返すことで成立している。
広開土王碑にもある、
この歴史が無ければ、日本に高句麗馬は移入できていない。
百済新羅の歴史は、七支刀や人質の日本への献上だが
これは征伐ではなく、対高句麗防衛に対する属国の朝貢。
これは南朝との、400~500年の倭の五王による、
高句麗交戦権や半島利権の交渉でも明らか。
半島古代史で、高麗は韓民族ではなく北方からの侵略国である。
韓は、百済の白村江と新羅の高麗、モンゴル帝国で、完全に滅びている。
現代史では、大日本帝国が、既に無いw 大韓帝国の復興を試みた。

467:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:09:05.10 6caH2jcm0.net
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫
倭國之極南界也 光武賜以印綬←
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

468:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:09:39.48 Wi/nov/s0.net
邪馬台国は、もう1ミリも畿内に勝ち目はない。
日本の学者が畿内って言ってるだけw
本場の学者も天文学もDMAも九州1択w

469:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:15:03.73 6caH2jcm0.net
新羅に纏足って伝わったのかな?
宦官は伝わったらしいけど。
こういう事言うと日本人もちんちん切除してたんだ!
とか言う人が現れるw

470:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:17:48.23 6caH2jcm0.net
そこまでの、支配して魅力ある国だとは
思えないんだけど。
🇯🇵弥生時代の日本w

471:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:18:11.78 VIZ/NQo00.net
>>389
三韓討伐なんて日本の虚言だから
広開土王碑が知られてる今ではバレバレ

472:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:19:43.76 uSyY3nYL0.net
>>448
洛陽の公文書部分以外が正しいという証明もできないんだよ。
本当に国が30もあったのか、一大率はいたのかも正しい事が証明できない。
卑弥呼に弟がいて�


473:ュ務を手伝っていたってのも証明できない。 陳寿にしたら短里も大間違いなんだよ? そんなもの三国時代の魏でもその後の西晋でも使ってない。 アテにならないことだらけ



474:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:20:30.07 GX7ddzUA0.net
>>451
はあ?十分にあり得るだろうよ?
三韓は馬韓 辰韓 弁韓だしちゃんと百済の王の名前も時期も符合するのいるし
GHQに洗脳されすぎなんだよ

475:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:22:06.87 6caH2jcm0.net
日本の倭じゃなくて、大陸の倭国じゃないの?

476:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:23:04.26 zJxYcgIT0.net
なにがお前らを駆り立てるのか

477:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:23:08.15 GX7ddzUA0.net
>>451
>卑弥呼を神功皇后に仕立てるとか、万世一系の歴史捏造なんて無理。
日本書紀にもそんな事は書いていないぞ
ただ日本書紀には神功皇后の時代に卑弥呼はいたと間接的に書いているだけだ
本居宣長の卑弥呼に関する記述も読めよ

478:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:24:03.24 cEE+iaAu0.net
まだ妄想ばらまいてるのか、九州人は。

479:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:24:24.09 6caH2jcm0.net
アマゾンから着払いで謎の金印が……w

480:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:29:34.07 6/ykn7ga0.net
>>1
>この中では三角縁神獣鏡がやり取りされた背景について論議。「鏡は卑弥呼が下位の首長に下賜したのではなく、下位の首長が上位の首長に鏡を献上することによって、祭祀を委ねるということを表す儀礼用のもの。このため、首長間で大量の鏡が流通した」という見解が示された。

面白い視点だね
記紀にも鏡を配ったなんて記述は無いんだよね
卑弥呼がもらった鏡も魏の市中に出回っているものを集めたものだろう
ある程度の首長なら交易で手に入れることができたのじゃないか

481:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:33:07.64 uSyY3nYL0.net
>>461
それも魏志云~と、他人事みたいに書いてるだけ。
神功皇后即位何年にあれをした。これをした。どこそこへ行った。の羅列の後
魏志云、倭女王卑弥呼が云云かんぬん。
神功皇后と同一視して偽装するなら
神功皇后何年に魏に使いをやったと書くはず。

482:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:33:12.42 p+8eBtPy0.net
九州説に嫉妬した捏造近畿学者のせいで今では西日本各地でウチが邪馬台国だと声高に叫ぶ自治体が増えたからな。
マジな話すると邪馬台国は福岡の太宰府辺りだよ。

483:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:36:37.87 L1UBgtqB0.net
男系嫡子相続(万世一系)は女系、兄弟相続だった皇室が中国儒教から取り入れて改竄した家系図。
天智と天武の血の争いの原因になった相続法。

484:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:42:51.64 7Sa0QnWK0.net
卑弥呼は俺の嫁

485:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:46:08.78 VIZ/NQo00.net
>>465
神功は架空人物なんですよ
中国の記録に女王がいたとあるから日本側もそれを無視できなくて
だからはっきりと神功が朝貢したとは書かないで卑弥呼と年代を合致させて女王は神功のことだと匂わせて偽装

486:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:46:53.84 GX7ddzUA0.net
>>465
確かに少しいい加減というか手抜きの記述
これは神功皇后が卑弥呼ではないと日本書紀が言っているようなもの
本居宣長の主張の方が正しいという事
三韓征伐は大小に関わらずに実際にあった事だろう
そこで当時新羅=辰韓=秦韓にいた秦氏の受け入れを決めた
実際に数多くの秦氏が朝鮮半島から日本に来て住み着いている
三国遺事とは少し相違があるけど神功皇后は存在しただろう
魏志倭人伝も本居宣長の説で説明できると思うけどね

487:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:47:33.81 6caH2jcm0.net
単純に、三國志って昔から人気あるから
どんどんどんどん改竄が進んで
とんでもない方向行ってるだけなんじゃ。

488:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:50:02.77 6caH2jcm0.net
だいたいちんちん切除した奴隷
どこに捕まえておくの?
建物すら無いぞw
東日本へ逃げたりしないの?

489:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:52:11.32 GX7ddzUA0.net
>>469
それは無理だな
卑弥呼は日本では存在しないことになっていて
代わりに神功皇后の伝承だらけだから
源氏に至っては神功皇后の子の八幡様(応神天皇)は源氏の武神だから
信仰の対象だった
それどころか住吉大社を建立したのも神功皇后で戦後に日本の軍神たる神武天皇と神功皇后の名前が削除されただけだから

490:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:55:12.56 uSyY3nYL0.net
>>469
記紀の神功皇后の所に卑弥呼の話が書いてある理由は簡単だよ。
歴代天皇の即位年、退位年から逆算していくと、丁度神功皇后の時代が
卑弥呼の時代と重なる。
神功皇后が摂政だった時期を西暦に換算するとAD200年から270年
記紀編纂者たちにしても、神功皇后のところに入れるしかなかったんでしょう。

491:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:56:12.11 6caH2jcm0.net
URLリンク(rekishi-memo.net)
中国の人見た事無いんじゃないの?
これだけど?w
どこでちんちん切除手術やるの?w

492:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:57:34.04 uSyY3nYL0.net
>>470
>神功皇后が卑弥呼ではないと日本書紀が言っているようなもの
そうだと思う。
記紀が本当に都合よく歴史を捏造していて、卑弥呼と神功皇后を同一視させる目的があったなら
あんな書き方にはなってるはずがないね。
別人だけど、時代的に逆算したらちょうど一致したからついでに書いてるだけって印象。

493:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:59:39.05 4t0AzJf80.net
「応仁の乱以前の日本史は知らなくてよい」内藤湖南

494:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:00:12.30 GX7ddzUA0.net
ここの連中は魏志倭人伝すら読んでいないのな
正始6年(245年)、皇帝(斉王)は、帯方郡を通じて難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜するよう詔した。しかし同年からの濊との戦いに続く韓との戦いにおいて、太守弓遵は戦死しているため、実行されていない。
正始8年(247年)、新太守の王(斤+頁)が着任する。女王は載斯烏越を使者として派遣して狗奴国との戦いを報告した。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣したが、この派遣は同年の倭の報告によるものではなく、正始6年の詔によるもの。
正始8年(247年)頃に卑弥呼が死去すると塚がつくられ、100人が殉葬された。
つまり卑弥呼はなぜか?倭国女王ではなく狗奴国と戦いしかも戦況は有利でなく不利で使者が遣わされた次の年に死んでいるのな
どうみても神功皇后とは別人物なんだよ
つまりは本居宣長の主張が全部ではないがある程度正しいというわけだ

495:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:10:44.66 VIZ/NQo00.net
>>474
倭人伝に天皇がいるとか神功というもうひとり女王がいるとか一切書いてないんだわ

496:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:16:53.60 GX7ddzUA0.net
>>478
訂正
つまり卑弥呼はなぜか?倭国女王ではなく狗奴国と戦いしかも戦況は有利でなく不利で使者が遣わされた年に死んでいるのな
どうみても神功皇后とは別人物なんだよ
魏志倭人伝でも卑弥呼が使者を遣わしたので死んだとも読めるし
卑弥呼は本当の女王の神功皇后ではなかったとみることができるよね
狗奴国との戦が不利なので女王の神功皇后に成りすました偽女王だったんじゃないのか?
しかも国が与えられるほどの地位の高い者だった

497:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:19:32.64 GX7ddzUA0.net
>>479
中国側は天皇の事は倭国王と書いているよ
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

498:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:30:52.61 T7I1dc2T0.net
>>430
>実際には文字はその頃には発達していろいろな豪族の中には文献を朝廷ほどでは
  ないけど保有していた
  
  基本的に同意だが、その「文字」はあくまでも「ローカル文字」であって「共通
 文字」じゃない。つまり、小さなクニの中では通用しても、他のクニでは通用しな
 いことの多い文字だっただろうということ。その原因は基になった文字がやはり漢字
 だったはずで、漢字は「表意文字」であって「表音文字」じゃないといことに起因
 する。だから、隣のクニでもコミュニケーションが不具合なことがあっただろうし、
 まして遠隔地(九州と畿内とか)ではほとんど通じなかったはず。記紀の成立が
 7世紀頃と非常に遅かったのはこれが原因だろうな。軍事的な覇権はすでに6世紀
 頃にはぼ達成されていたにもかかわらず。
 

499:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:33:16.23 T7I1dc2T0.net
「言葉」とは政治権力の反映だ。ドーデ―の「最後の授業」はそれを雄弁に語る文学
作品だ。バカな考古学者にはこういう視点が全く欠けているwww 所詮、発掘バカ
www

500:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 16:46:24.67 yPndujVE0.net
特定されたら仕事を失う研究者が

501:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 17:14:03.32 GZA0ctbu0.net
本居宣長「邪馬台国は九州」
新井白石「やっぱり邪馬台国は九州だわ」
現代の学者の大半「九州だな」
キチガイ学者「邪馬台国は近畿ニダ」
纏向「嘘も百回言えば真実ニダ」
もし邪馬台国が西日本の広範囲で認知されてたらもっと邪馬台国についての記述が残ってるはず。
そう考えると本居宣長の邪馬台国は朝廷を騙った九州の豪族って説が一番しっくりくるよな。

502:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 17:20:03.37 6/ykn7ga0.net
神功皇后が三世紀にいたと、わりと真面目に話する人がいた驚かされる
じゃあ神武は紀元前660年に即位したと本気で考えてるのかな?

503:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:07:12.92 1t1e+wQc0.net
アマテラス様も、意外なところにいたとか?

504:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:09:23.56 9syNpWjv0.net
>>畿内は呉の地域との結びつきが強かったと考えるのが自然とした
なんで魏の年号が書かれてるわけ?

505:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:17:34.38 XvkndJ0S0.net
>>488
邪馬台国に背乗りしたから成りすまそうと必死だったのだろう
しかし鏡職人は呉人なので出来上がったのは呉鏡デザインのもの

506:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:31:49.54 8bLRw+NX0.net
>>333
何この屁理屈wwwww
もし仮に神功皇后が卑弥呼ではないと知ってたら、魏志について何も書かない
妄想で凝り固まった頭でひねくれた解釈するより
古過ぎて何の伝承も残ってなく、単に知らなかったと解釈する方が現実的

507:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:32:16.76 MVfSpaYv0.net
>>486
神武天皇がBC660年に即位しなかったという科学的証拠はないからな
そもそもそれはなかったと強弁というか脅しをかけたのはGHQだけだからな

508:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:38:23.82 8bLRw+NX0.net
>>393
九州説が有利と考える状況証拠って何ですか?

509:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:38:40.10 nEWD4tI10.net
三角縁神獣鏡は魏の洛陽に相当する地域でも発見されている

510:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:45:46.19 8bLRw+NX0.net
>>396
書いてない
妄想が激しすぎる

511:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:48:32.37 1lCV4sdQ0.net
>>485
>本居宣長の邪馬台国は朝廷を騙った九州の豪族
本居宣長は記紀を否定できない。
現代歴史学者は記紀を全面的な歴史史料とは認めていない。
245~247年に九州統合と言う日本古代史は、三国志倭人伝でしか読み取れない。
日本の古代史最重要の史料だが、考古学者はなんで誤読に誘導する?
大倭王は畿内に居た? 良いんだけど、
倭人伝は統一前の筑紫の話だ。
記紀ありきの戦前の皇室忖度は判る。
戦後の半島史忖度も判る。
学者ってのは、真実に付随するもんじゃないのかね?
日本の考古学、歴史学者は、歴史認識を改める必要がある。
記紀の九州起源は国家ではなく、水稲耕作の起源だし、
東遷説も完全に有り得ない、記紀忖度。
学術界の論争どころか、
事実がネットに転がってる現代で
漢文が読める中学生、高校生でも納得できない。

512:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:50:34.86 MVfSpaYv0.net
横やりだけど
神功皇后の伝書はかなり多いし書籍も山のようにあった
住吉大社の建立だけではないから
タイ飯は神功皇后の好物だし源氏や平家の軍神だし
八八幡神(応神天皇)は日本で有名な神様だし
それこそ昔の日本人から言えば神功皇后は紛れもない実在の人物で
卑弥呼は魏志倭人伝にだけ出てくるわけのわからん奴になる
しかも女王のはずなのに狗奴国一国との戦に悩まされて魏に支援を出してすぐに死んだ謎の人物と言う事になる

513:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:50:40.66 GnVL9q3


514:F0.net



515:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:51:58.45 QcA07zDi0.net
三角縁神獣鏡が呉の影響が強い鏡だという事が定説になりつつあるのか
やはり機内にあった国は孫権伝に記述されている「トウテイ国」や「タン州(丹波?)」なのかもしれないな

516:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 18:59:26.63 MVfSpaYv0.net
>>1
まあ記紀では少なくともBC660年に九州から近畿までが統一されているだけどね
それが事実ではないと証明されたわけでもないんだよな
GHQが無理やり神武天皇と神功皇后を否定しただけで別にそれが証明されているわけでもない
ただGHQの圧力により日本の教科書の中身が入れ替わっただけで
それまでの記紀を中心とした歴史学者がGHQの圧力で全部入れ替えられただけ
その中でGHQが持ち上げたのが歴史学者の津田左右吉(1873年 - 1961年)だった
当時はこれこそが珍説扱いで裁判にも敗訴した
だがGHQは歴史学者の津田左右吉を持ち上げたことで今のGHQ版古代歴史が完成して
それを多くの現代人が正しいと信じているだけである

517:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:00:53.57 MVfSpaYv0.net
だがGHQが歴史学者の津田左右吉を持ち上げたことで今のGHQ版古代歴史が完成して
それを多くの現代人が正しいと信じているだけである
当時のGHQにおいては都合のいい解釈だった

518:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:02:04.94 lf6ax6lw0.net
今、GHQ関係ある?

519:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:02:44.27 e7sH0ccR0.net
観光のエサにしたいから田舎は必死だな

520:高篠念仏衆さん
20/10/21 19:02:48.13 6caH2jcm0.net
日本人ってマジメだよねw
歴史に残る👩ひでえブサイクなお姫様だったとか
平気で書物に書くもんw

521:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:03:58.99 MVfSpaYv0.net
>>1
日本史においては神武天皇以降の歴史は記紀こそが正史であり
魏志倭人伝は補足としてとらえるのが正しい

522:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:05:45.34 MVfSpaYv0.net
>>501
大いにあるね
歴史教科書の中身がガラッと変化したのもGHQの圧力だし
戦後はあたかもそれが正しいかのように描かれてしまったから

523:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:08:24.64 XvkndJ0S0.net
記紀はファンタジーすぎて無理だわー
なろう小説として楽しめばいい

524:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:09:00.05 qtrveBQY0.net
>>9
何それ?

525:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:12:05.60 MVfSpaYv0.net
>>1
まあ実際には日本書紀にも魏志倭人伝にも間違いは多い
でも大筋はどちらも正しく合致する面はあるのだが
GHQ教科書で過ごした日本人の多くは日本書紀だけが嘘と教え込まれている
ただそれだけの事
実際には日本書紀にも魏志倭人伝にも間違いがあり
日本の歴史においてはむしろ日本書紀の記述の方が正しいうえに詳しく細かいところまで窺い知れる
それが本当のところだ

526:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:13:37.02 MVfSpaYv0.net
>>506
お前は神代部分しか見ていないよな
神功皇后の時代になると干支による年代表記や細かい部分までの表記があるはずだが

527:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:17:26.08 1lCV4sdQ0.net
>>496
記紀の神功皇后は万世一系を作る為の、三韓征伐捏造の為の創作だが?
楽浪郡帯方郡の在った、313年以前に三韓は無い。
313年以降に日本は半島進出全盛時代だが、
350年辺りで対高句麗戦で、百済、新羅を建国したのであって征伐ではない。
半島は基本的に植民地であって、漢四郡は中華植民地。
中華から馬韓辰韓を独立させた350年以降も、弁韓=加羅任那は日本人植民地域。
三国志韓伝は、245年の韓制圧戦以降に詳しいが
直轄化した、馬韓、辰韓に比べ、弁韓12国の領主=大夫の王政は、
韓王朝滅亡後の馬韓辰韓の臣智直轄化でも、
日本系領主に対しては直轄化できていない。
三国志戦記の上で、倭人伝は
筑紫の卑弥呼を大倭王認定して
東夷安定を図った皇帝の恥である。



528:それでも、陳寿が書き残したかった理由は 東夷伝序文と、評曰を読めば判る。 考古学者ってのは、古代漢文読めないのか?



529:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:19:52.55 QcA07zDi0.net
>>501
GHQが乗り込んできて墨で塗り潰させた教科書には神武は九州から奈良に東征したと普通に書いてあったらしい

530:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:37:21.11 MVfSpaYv0.net
>>510
ちゃんと日本書紀読んでいる?
三韓征伐と言っても貢物を約束させただけで国を征服したわけではないからな
しかも馬韓、辰韓、弁韓の三韓はちゃんと神功皇后時代に存在したぞ

531:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:39:35.43 1lCV4sdQ0.net
日本王朝の起源の話も大切だけど
九州が日本固有の領土になったのは663年でしょ?
半島とは、国境以前に国が無い。
百済、新羅は日本の属国だよ?
隋唐に対して、日本が出来たのが、600~700年の記紀であって
白村江海戦で、対馬国境が成立した。
倭人伝~隋唐書は、これを証明する。

532:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:41:59.96 jkmQcJYP0.net
>>445
『後漢書』に書かれている「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)のものではなく、『魏志倭人伝』に書かれている「邪馬台国」のものだ
という根拠は全く無いよ

533:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:42:12.46 U/Nw//zU0.net
>>512
言語、文化でわけて

534:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:42:24.87 iWGzCS+10.net
ちょっと掘り返してダメだこりゃとわかっちゃったんでそっと埋めなおして、未来の人へのプレゼントってお茶濁した吉野ケ里

535:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:43:17.43 1lCV4sdQ0.net
>>512
日本史には、神功皇后時代が、存在できる隙間が無い。
記紀は論外。

536:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:43:45.21 U/Nw//zU0.net
小国が多い時代だよな。

537:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:43:48.72 MVfSpaYv0.net
>>512
神功皇后と応神天皇の時代には秦氏を受け入れている
そもそも新羅の前身の辰韓=秦から逃げてきた人々から成っている
馬韓が領土を分譲してそこに住まわせた事に遡る
秦氏自身も秦の始皇帝の子孫を名乗り新羅でいじめられていたので日本への亡命を願い
それを神功皇后や応神天皇が認めて亡命させて帰化させた
別になんの矛盾もないのだがな

538:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:44:49.67 DW4r75Iz0.net
邪馬台国の邪と卑弥呼の卑をみると
中国の創作w
存在しない事実

539:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:45:17.91 MVfSpaYv0.net
>>517
日本書紀を読めって
ちゃんと年代が細かく書かれているから
卑弥呼が存在できる隙間がないというのならわかるがな

540:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:50:09.85 U/Nw//zU0.net
記紀原理主義者と魏志倭人伝原理主義者
困った事に、纏向遺跡を認めると
記紀が崩れる。距離を取ると魏志倭人伝が崩れる。

541:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:50:18.91 EcrXZOUO0.net
佐賀には鏡山って山もあるな

542:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:51:30.33 MVfSpaYv0.net
>>515
馬韓は箕子朝鮮の最後の王、準王の国
新羅=辰韓=秦韓は秦からの逃亡者の国で馬韓が領地を与えた
弁韓は日本と密接に関係がある国で親日の国

543:高篠念仏衆さん
20/10/21 19:53:14.74 39geaFEA0.net
>>512
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
日本書記はハングルで読める!

544:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:56:43.83 jCHCh/lN0.net
なあなあ、お前ら。 卑弥呼は日の御子=天皇 の蔑称って可能性はないのかな?
縄文人は土偶の女神さまを主神として幅広くおがんでいたし
アマテラスオオミカミは男なのか女なのか決着がついていない。
当時の曹一族とか司馬一族とかが日本を軽んじていて
天皇を女の酋長とか誤解していたとしてもおかしくはないはずだと思うんだがどうよ?

545:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:57:19.92 jkmQcJYP0.net
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や
佐賀の吉野ヶ里遺跡は
「邪馬台国」より50年から100年前の「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)の遺跡である
ということには
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述
その記述の印綬が出土したこと
後漢の系統の鏡が多く出土していること
北宋(960年 - 1127年)が改めて


546:成立させた中国の正史『唐書』(新)での、天皇家の記述 など 複数の根拠があるが 福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や 佐賀の吉野ヶ里遺跡は 「邪馬台国」の遺跡である には、根拠が全く無い



547:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:58:42.51 jCHCh/lN0.net
>>520
個人的にはヤマタイはヤマトの蔑称か読み違いだと思うの。なんとなく。

548:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 19:59:12.36 1t1e+wQc0.net
日本の教育界も歴史界も、その後沈黙してGHQがやりたい放題したまんまにしているの?
戦後75年経った今でも?

549:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:01:36.37 qbBTZqoC0.net
ジャマ大国って中国のことじゃんw

550:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:01:39.19 jCHCh/lN0.net
GHQ以前に古墳の検証がまるで進んでないと思うの
最悪、天皇がクマソと出雲と近畿地方の3か所に同時にいたとしても俺は驚かん

551:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:03:27.32 1lCV4sdQ0.net
漢四郡が史実なら、三韓征伐は無い。
それだけの事。
公孫氏は239年に滅亡し、
親交が有った日本は対魏、防衛のため軍事国家化した。
本州は重農政策の銅鐸時代を終えて、
富国強兵で九州統合で古墳時代へと向かい、古墳時代に入った。

552:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:07:47.66 jCHCh/lN0.net
国体とか国益以前に、真実≒事実を知りたい

董卓「賈詡よ。ワシの顔は『悪の天皇』という称号こそふさわしいと思わないだろうか…?」(ニチャア)

553:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:09:04.00 fTk2j27m0.net
>>107
普通にこれが正解だろ
皆ひねくれて考えすぎなんだよ

554:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:13:22.95 jCHCh/lN0.net
クマソかw
陛下はクマソの末裔だったのかwww

555:高篠念仏衆さん
20/10/21 20:19:51.48 39geaFEA0.net
任那四県の割譲
六年夏四月六日、穂積臣押山ほづみのおみおしやまを百済へ
遣わし、筑紫国ちくしのくにの馬四十匹を賜わった。
冬十二月、百済くだらが使者を送り、調を奉った。
別に上表文を奉って、任那国みまなこくの上哆嘲おこした
り、下哆嘲あろしたり、娑陀さだ、牟婁むろの四県を欲しいと願った。
哆唎たりの国守、穂積臣押山ほづみのおみおしやまが奏上して、
「この四県は百済くだらに連なり、日本とは遠く隔ってい
ます。百済とこれらの地は朝夕に通い易く、鶏犬の声もどち
らのものか聞きわけにくいほどであり、今、百済に賜わっ
て同国とすれば、保全のためにこれに過ぐるものはないと
思われます。しかし、百済に合併しても、後世の安全は保証
しにくく、まして百済と切り離しておいたのでは、何年と
もたないと思います」
と言った。

556:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:24:42.78 U/Nw//zU0.net
狗奴国が後の大和政権かも?
奴国の王、4男が開拓。

557:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:25:03.65 T7I1dc2T0.net
東大法学部「文系では法学部以外はカス」
東大経済学部「文学部よりは俺たちの方がマシ」
東大文学部A「俺は文学部でも英文学だから文学部の中では優秀な方」
東大文学部B[俺は・・・・だが、考古学やってる連中に比べれば遥かに優秀だ」

558:高篠念仏衆さん
20/10/21 20:28:28.76 39geaFEA0.net
白村江の戦い663年だろ?
興徳王が777年 - 836年(宦官)
この頃、転機が訪れて
地獄の大陸になったんじゃないのかな?
竪穴式住居で奴隷集め?!
逃げるだろ?

559:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:29:20.40 SgTR+Yba0.net
>>513
倭人伝にあるのは、2世紀の終わりの倭国大乱で
奈良の大倭が勝って、(漢代の覇権国だった�


560:ナあろう) 邪馬台の港を支配し、邪馬台を使って朝貢していた ということ。 (邪馬台が、かつて奴国を使って朝貢していたように。)



561:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:37:20.87 XvkndJ0S0.net
大倭なんてどうみてもダイワとしか発音しないのにヤマト関係なさすぎるわ

562:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:37:27.40 wNEdDaQY0.net
>>401
その説はあるかもね
アケメネス朝ペルシャ帝国は夏と冬でペルセポリスとスーサを移動していたので2つの都が存在した

563:高篠念仏衆さん
20/10/21 20:40:51.11 39geaFEA0.net
興徳王以前では確認出来ないんだろ?w
しかし悲惨だね、、
王様のちんちん取られるなんてw
こういう民族だと、🧠頭の中入れておいた方がいいのかも。

564:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 20:50:37.99 IKsDIZWX0.net
ひーみこひみこみこひみこ

565:高篠念仏衆さん
20/10/21 20:51:19.16 39geaFEA0.net
URLリンク(upload.wikimedia.org)
ウソつけ!🇯🇵日本人がやったんだろ!
(🇯🇵空爆して、なんでケツ出すんだかわけわかんねw)

566:高篠念仏衆さん
20/10/21 21:09:49.26 39geaFEA0.net
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
大伴部博麻

567:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:14:05.20 U/Nw//zU0.net
>>545
なんで全員、裸足なんだ?
ソース?

568:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:14:52.02 iGnEFe/O0.net
日本書紀巻九の神功皇后紀には、魏志倭人伝を割注として引用している箇所がいくつかあるが
邪馬台国も卑弥呼も出てこない。
魏志倭人伝を引用したにもかかわらず、邪馬台国にも卑弥呼にも全くふれていないということは
神功皇后は卑弥呼ではないということを言っているのも同じ。
年代も違うしな

569:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:17:38.49 U/Nw//zU0.net
>>548
未亡人だしな?
子供もいる。

570:高篠念仏衆さん
20/10/21 21:17:56.90 39geaFEA0.net
>>547
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
重慶空爆の写真
🇺🇸 カール・マイダンス

571:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:19:00.45 U/Nw//zU0.net
武内の子。スキャンダル事件の隠匿

572:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:28:35.86 U/Nw//zU0.net
>>550
爆撃にしては、遺体に損傷がない。服装から日本人?パニックで圧迫死?写真などは、タイトルつければ、どうにでもなる。

573:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 21:33:47.35 zrdD+WPD0.net
卑弥呼の脇がエロい

574:高篠念仏衆さん
20/10/21 21:49:43.25 39geaFEA0.net
中国人同士の仲間割れでしょ?
重慶占領出来てないんだから。
西洋人のスパイだらけ

575:高篠念仏衆さん
20/10/21 22:01:21.68 39geaFEA0.net
ルーズベルトは、中国の格上げは対日戦争での中国の士気を
高めるだけでなく、戦後のアジアで中国を親米の強力な存在
とし、ソ連の覇権や日本の再興を抑えるのに役立つ、と計算
しており、

576:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 22:24:22.21 jkmQcJYP0.net
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や
佐賀の吉野ヶ里遺跡は
「邪馬台国」より50年から100年前の「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)の遺跡である
ということには
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述
その記述の印綬が出土したこと
後漢の系統の鏡が多く出土していること
北宋(960年 - 1127年)が改めて成立させた中国の正史『唐書』(新)での、天皇家の記述
など
複数の根拠があるが

福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や
佐賀の吉野ヶ里遺跡は
「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)より50年から100年後の「邪馬台国」の遺跡である
には、根拠が全く無い

577:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 23:53:31.58 9vwwoRyT0.net
>>1
>下位の首長が上位の首長に鏡を献上することによって
この仮説だと、下位の首長は三角縁神獣鏡をどうやって入手したのかが説明できない
三角縁神獣鏡が中国製だとすると、下位の首長たちが入手できるなら、上位の首長はもっと多く入手できるはず
九州説の立場だと国産ということになるだろうが、そうすると全国各地の首長たちが
別々に同じ三角縁神獣鏡を作ったという偶然が起きたことを想定しなければならない
また同笵鏡の存在をどうやって説明するのかも不明
というか説明不可能なはず


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