20/10/21 02:34:12.85 q23FYl4r0.net
其行來渡海詣中國、恆使一人不梳頭、不去※(「虫+饑のつくり」、第4水準2-87-84)蝨、衣服垢汚、
不食肉、不近婦人、如喪人、名之爲持衰、若行者吉善、共顧其生口財物、若有疾病、遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不謹。
出眞珠・青玉、其山有丹、其木有※[#「木+(冂<はみ出た横棒二本)」、81-4]・杼・豫樟・※(「木+柔」、第4水準2-15-17)
・櫪・投・橿・烏號・楓香、其竹篠・※(「竹かんむり/幹」、第3水準1-89-75)・桃支、有薑・橘・椒・※(「くさかんむり/襄」
、第3水準1-91-42)荷、不知以爲滋味、有※(「けものへん+爾」、第4水準2-80-52)猿・黒雉。
彼は海を渡って中国に旅行し、常設のメッセンジャーは髪を梳いたり離れたりしません
*(「ワーム+飢えのつかり」、第4レベル2-87-84)シラミ、汚れた服、肉なし、会葬者のような女性の近くにはありません 、
名前は、人が善良であるならば、彼の生命と財産の世話をすることを断り続けることであり、病気があるならば、彼は暴力的であり、
彼は注意しないと言ってそれを殺したいと思っています。 ビーズ、サファイアのうち、山には丸薬があり、木には※[# "木+(冂<はみ出た横棒二本)
"、81-4]・杼・ユザン・※(「木+やわらかい」、 レベル42-15-17)・滝・東・橿・大橋・ガンボ、
その竹しの・※(「竹かんむり/干」、第3レベル1-89-75)・桃の枝、入手可能 生姜、みかん、胡椒・
※(「くさかんむり/賀」、第3レベル1-91-42)蓮、味わいがわからない、※(「けものへん+�」、第4レベル2-80-52)猿・黒 キジ。
253:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:36:28.96 ubGehb2T0.net
>>240
はいはい
邪馬台国が親魏倭王になる前まで北部九州は
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
150年以上
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」と対馬を通じて交易していた
港も街道も整備された「倭奴國」
異論はあるか?
254:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:41:13.97 7Okw7cID0.net
>>245
話題そらして逃げようとしても駄目
太陽を見れば大まかな方位くらいどこにいたって分かるんですよ低能ちゃんw
光武帝以降の北部九州がどうだったかなんて妄想でしかない
>港も街道も整備された「倭奴國」
魏志倭人伝の対馬国の記事に「道路如禽鹿徑(道路は禽鹿の径の如し)」と獣道しかなかったって書いてあるんだがw
お前は徹頭徹尾妄想のみだなw
255:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:41:17.01 q23FYl4r0.net
其俗擧事行來、有所云爲、輒灼骨而卜、以占吉凶、先告所卜、其辭如令龜法、視火※(「土へん+斥」
、第3水準1-15-41)占兆。其會同坐起、父子男女無別、人性嗜酒、見大人所敬、但搏手以當跪拜、其人壽考、或百年、或八九十年。其俗國大人皆四五婦、
下戸或二三婦、婦人不淫、不※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)忌、不盜竊、少諍訟、其犯法、
輕者沒其妻子、重者滅其門戸及宗族、尊卑各有差序、足相臣服、收租賦、有邸閣、國國有市、交易有無、使大倭監之。
一般的な習慣は、物事を行い、それについて何かを
256:し、骨を分割し、占いを使用し、最初に分割を伝え、 その言葉は亀の方法のようなものであり、火を見る*(「土へん+叱責」、レベル3 1- 15-41) メガバイトを占有します。 それは一緒に座り、父と息子は男性と女性と同じであり、 人間の本性はアルコール中毒であり、大人から尊敬されていますが、ひざまずくために手を戦う、 そのライフテスト、または百年、または80または90年。 世俗的な国の大人はすべて4~5人の女性、2~3人の女性、女性は淫行ではない、 *(「女+戸の老字」、レベル3 1-1-576)、盗難なし、訴訟の少なさ、その他 法律に違反した人、法律に違反した人は妻を失い、 深刻な人は門と一族を破壊し、上司と下級者は異なる命令を持ち、お互いに降伏し、家賃と贈り物を集め、住居とパビリオン、国と都市を持ち、取引の有無にかかわらず、彼らを投獄します。
257:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:42:16.04 BNM1ZoVd0.net
>>235
現に日本側が自力で残した記録がない
漢字が入ってきてからは音読みが使われるようになるけど
魏志倭人伝の頃はやまとことばだけ
258:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:44:32.56 7Okw7cID0.net
結局畿内説というのは病的な妄想家のタチの悪い妄想でした、とまた明らかになったな
まあ前から知ってたけど
259:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:44:51.77 q23FYl4r0.net
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史、王遣使詣京都
・帶方郡・諸韓國、及郡使倭國、皆臨津搜露、傳送文書・賜遺之物詣女王、不得差錯。下戸與大人相逢道路、逡巡入草、傳辭説事、或蹲或跪、
兩手據地、爲之恭敬、對應聲曰噫、比如然諾。
女王の王国の北から、特別に大規模な料金を設定し、王国の検察官、恐怖の王国、長志イド、
国は知事のようであり、国王は使節を京都、及方郡、韓国に送り、郡の使節を国に送ります、 ミスをすることなく、検索して公開し、
ドキュメントやギフトアイテムをイムジンの女王に送ることができます。 Xia Shiは、道路で大人に会い、
芝生をパトロールし、物事についての言葉を広めたり、しゃがんだり、ひざまずいたり、両手で地面に触れたり、尊重したり、Rannuoなどの音で反応したりします。
260:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:45:47.46 ubGehb2T0.net
>>246
魏志倭人伝によれば
末盧国から伊都国までは【獣道すらなかった】って書いてあるんだがw
お前は徹頭徹尾妄想のみだなw
261:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:46:27.27 GYDM7apd0.net
佐賀吉野ケ里遺跡って覚えられない
語呂合わせ教えて
262:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:49:06.98 ubGehb2T0.net
邪馬台国が親魏倭王になる前まで北部九州は
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
150年以上
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」と対馬を通じて交易していた
港も街道も整備された「倭奴國」
なのに
魏志倭人伝によれば
末盧国から伊都国までは【獣道すらなかった】って書いてある
263:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 02:58:37.67 ubGehb2T0.net
つまり
韓国から海を渡る千余里で対馬國
対馬國から海を渡る千余里で一大国(見島)
一大国(見島)から海を渡る千余里で末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
そこから道なき道を延々と歩いて
出雲主王が出雲大社にいる伊都国(出雲)
264:高篠念仏衆さん
20/10/21 03:07:04.77 Itbnp+rY0.net
>>248
URLリンク(youtu.be)
民族が入れ替わった痕跡無いぞ?
265:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 03:27:23.83 q23FYl4r0.net
特別に大きなレートを設定し、すべての国を検査し、すべての国がそれを恐れています、Changzhi Idu国、
Yu Guozhongは知事のようなものです、Wangは京都、及方郡、すべての韓国に使節を送り、郡の使節を国に送り、
すべてのLinjinは検索して明らかにします、文書や遺物をエラーなしで女王に送ってください。 Xia Shiは、道路で大人に会い、芝生をパトロールし、
物事について言葉を広めたり、しゃがんだり、ひざまずいたり、両手で地面に触れたり、尊重したり、Rannuoなどの音で反応したりします。
国はまた、男性を王と見なし、7年または80年生き、日本の反乱、段階的攻撃と年、そして女性を王として共同設立しました。名前はメイメイ、
幽霊の道、人々を欺くことができ、成長しました、王になって以来、夫はなく、少年兄弟、ジョージアの支配があります。珍しい人であり、
使用人として働き、男性だけであり、食べ物を与え、住居を出入りします。宮殿、塔、市の門は厳密に設置されており、
兵士によって守られていることがよくあります。女性の王国は東に千マイル以上海を渡った。
その南には、長さ3~4フィート、女王まで4000マイル以上の矮星の国もあります。南東にあるネイキッドカントリーとブラックトゥースカントリーもあり、
ボートで1年間行くことができます。絶対に海の島で、あるいは絶対に、あるいは絶対に、ワディを訪れることは、
5000マイル以上を扱うことができます。神中2年目の6月、日本の女王は郡に医者を送り、皇帝にそれを提供するように皇帝に頼み、
そして知事の劉夏は役人を京都に送りました。その年の12月、判決は、判決の支配者である米国の女王、魏Uの王、劉夏県長のBei Mihuが使節を医者に送ったと報告しました、
米を宣伝することは困難です人、女性、6人、2頭の馬、2フィートのパッチワークで、あなたは遠く離れており、貢献するために送られます。それはあなたの忠誠心と忠実な敬虔さです。
私はあなたを悼みます。今日、私はあなたを繁栄している魏王と偽の金印の紫色のリボンと見なします。知事の首長を封印して支払い、
偽りの報酬を与えると、あなたは親密な敬虔さをなだめ、愛撫します。ニライは米を宣伝するのを難しくし、
ニウは遠くに恩恵をもたらし、道は勤勉でした。今日、米を宣伝するのが難しいのは良い仲買人のリーダーとして使われ、ニウリは良い学校の副官のリーダーであり、
偽のシルバーシールは緑色で、紹介は送り返されます。さて、ジャンディはドラゴンブロケードの5頭の馬、ジャンディ※(「糸+須」、第4レベル2-84-49)ミレット
※(「罘」の「不」にんでて「厂+(炎+りっ)」を渡るのです。とう)」、レベル4 2-84-80)10枚・※[#「くさかんむり/倩」、82-10]シアン50馬・シアンブルー50馬、
あなたの賛辞に正直に答えなさい。また、ルアンディ文・シュバンファ*(「罘」の「不」にできて「ファクトリー+(炎+りっとう)」、第4レベル2-84-80)
で文人の3頭の馬に特別な贈り物が与えられます。 50頭の絹、82の金、2つの5フィートの剣、100の青銅の鏡、50のビーズの猫、
鉛のペレットはすべて封印されており、米と牛の利益を上げるのが難しいために支払われています。記録に戻してください。
266:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 03:50:42.84 lANCXDsO0.net
>>238
韓国→53km→対馬(対海国)→53km→壱岐(一大国)→44km→松浦(末盧国)
これで魏志倭人伝との記述は合う
ちなみに対馬から見島までは最短でも153km
韓国から見島までの間に別の島があったとかじゃない限り見島を末盧国とするのは無理がある
267:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 03:52:17.81 lANCXDsO0.net
見島を一大国とするのは無理がある、だった
268:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 03:55:56.61 bLuxoZud0.net
だからようw
邪馬台国は、佐賀じゃねえだろ。
神話から言って、高千穂のあたりなのは明らかだよ。
ましてや、奈良県とかじゃねえ。邪馬台国の段階じゃ、奈良なんて草ぶかいジャングルじゃねえか。
あれだろ?毎日新聞と取り巻きのサヨク学者が乞食をして食うための不自然な学説なんだろ?
ネタは割れてるんだよ。
269:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 04:57:21.63 R4xCm4qC0.net
>>1邪馬台国は東北にあった
270:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 05:18:14.10 OORgUXVq0.net
近畿なら狗奴国てどこになるの?
271:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 06:58:48.74 BKWifkog0.net
邪馬台国はオワコンだと思う。
272:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 07:34:47.36 XvkndJ0S0.net
>>261
よく言われるのが伊勢湾を渡った先にある東海地方だな
つまり纒向の主勢力は狗奴國だった
273:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 07:44:58.01 jkmQcJYP0.net
>>259
神話って、邪馬台国は天皇家の祖先じゃねーぞ?
274:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 07:55:53.74 jkmQcJYP0.net
>>257
壱岐島は佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの玄界灘上
対馬は朝鮮半島から対馬海峡西水道(朝鮮海峡)をはさんで約49.5キロメートルの距離にある
対馬から見島まで・・と
見島から島根まで・・は
海流に乗り、朝鮮半島から対馬までと【同じ時間】でたどり着ける
275:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 07:58:10.21 BKWifkog0.net
女王国は女系継承だったのかな。
だったら、男系継承の皇室とは関係ないかも。
276:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:01:26.76 jkmQcJYP0.net
>>261
畿内の邪馬台国からみれば、圧倒的な大国である狗奴国は
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた
天皇家の祖先
実際に
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
されちったしね
277:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:06:48.48 jkmQcJYP0.net
>>266
承和5年(838年)を最後に50年以上、中国の皇帝への遣使の派遣が中断状態となっていた間に
後晋(936年- 946)が成立した中国の正史『唐書』(旧)で
倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の国こそが【倭国】であり
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ
と、天皇家が邪馬台国の末裔とされていることに驚いた大和政権は
983年(永観元年)宋に渡る東大寺の僧侶・奝然に『王年代紀』を太宗に献上させて
日本は、後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州【倭奴国】である
初代の倭奴国王は「天御中主」と名乗り「彦瀲」に至るおよそ三十二代までは、九州【倭奴国】の筑紫城を居城にしていた
彦瀲の子の「神武」が(邪馬台国のあった)大和州に移り住んでその地を治め、倭奴国王を継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗った
と、天皇家は邪馬台国の末裔では無いと正した
278:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:07:27.83 Iw7CjkyU0.net
>>267
筑紫城ってどこにあったん?
279:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:19:05.66 jkmQcJYP0.net
>>269
三十二代の九州【倭奴国】国王「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)」の【第4皇子】の神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、
日向の高千穂で、葦原中国
280:(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。 舟軍を率いた彼らは、日向を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着く。 彼らはそこから移動して、岡田宮(福岡県北九州市)で1年過ごした
281:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:25:30.05 jkmQcJYP0.net
代々、男王が跡を継ぎ、九州の筑紫城を首都として
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見するなど
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」の指揮下に入り、150年間以上、倭国から対馬への航路を独占してきた
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
にとっては
220年 「後漢」が「魏」に皇帝の座を禅譲して
238年 「公孫淵」が司馬懿に討たれて、
魏が楽浪郡と公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」を占拠して、対馬も公孫氏の支配下から解放され自由になって
葦原中国(出雲)から対馬への航路が出来てしまったことが、邪魔だったのだろう
で、東征を決断した
282:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:27:40.03 eP7IZeG40.net
親魏倭王の印が天皇家に伝わっていない時点で、邪馬台国は大和朝廷とは別政権と考えるべき
283:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:29:10.45 BKWifkog0.net
>>268
天之御中主神って人気ないよね。
284:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:49:47.52 rLuMHT300.net
神武東征や崇神天皇など大和朝廷にとって根幹となる記述が正しいする
神武天皇が九州を旅立って畿内に至って国をまとめ、それが大和朝廷になったわけだが
崇神天皇が300年頃の人だとしても
イヨの後の出来事だとするのはかなり厳しいだろう
となると卑弥呼やイヨとは関係なく神武東征が行われたことになり
邪馬台国と大和朝廷は別物と考えざるを得ない
285:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:51:24.25 rLuMHT300.net
>>274
あー
神武東征のあと
畿内を舞台に邪馬台国、卑弥呼が存在したっていう可能性は残るわ失念してた
286:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 08:55:25.76 ubGehb2T0.net
>>275
ないない(笑)
287:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 09:15:53.05 ubGehb2T0.net
日本の記紀を素直に読めば
畿内の【邪馬台国】「親魏倭王」と、出雲の【葦原中国】の連合国を
九州の【倭奴国】「漢委奴国王」彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の四男坊天(津)皇(子)の神武が東征した
という話だからねぇ
288:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 09:21:13.27 ubGehb2T0.net
訂正
日本の記紀を素直に読めば
畿内の【邪馬台国】「親魏倭王」と、出雲の【葦原中国】の連合国を
九州の【倭奴国】「三十二代 漢委奴国王」天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の四男坊
天(津)皇(子)の神武が東征した
という話だからねぇ
289:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 09:29:12.71 ubGehb2T0.net
>>273
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や、佐賀の吉野ヶ里遺跡などの
大型建築物の跡や
鉄器や硯、鏡などの、大陸からの出土品は
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
150年間以上倭国王として君臨した
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
のモノである
のほうが、よっぽど胸を張れるのにねぇ
290:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 09:32:19.97 YxMOeeGS0.net
地図もない時代。地形も現在とかなり異なる。邪馬台国も初めから村だったわけではない。前衛がある。その後邪馬台国と呼ばれる程の集合体になる。その集合体の場所も前衛の場所と魏志倭人伝の場所と異なる。初めは佐賀と熊本の中間、その後東の方向宇佐・国東半島へ移動している。
291:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 09:58:21.61 vlK08m8u0.net
>>270
3世紀に西日本の大部分を席巻するような強大な政権が畿内に既にあって、それが延々何百年も安定して継続したというのは無理筋、ということもあるんじゃないかね?
卑弥呼の次の女王は、どっちかというと同じ職人が同じ字を同じように誤刻しただけで、台与ではないかな?
別モノといえば、邪馬台国時代に畿内にあった国は邪馬台国とは別モノで、別モノであるなら、「他に手頃な文献がない」からといって魏志の記述に合わせるというのは、それらの国の独自の歴史を封殺する愚行になるよね。
292:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:01:24.73 6caH2jcm0.net
>>269
こんばんは筑紫哲也です
293:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:03:32.87 6caH2jcm0.net
ハンコだけあっても何も出来ないんじゃないの?
金属製だからハッタリか本物か分からないなw
294:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:06:35.61 6caH2jcm0.net
大陸に大量の印鑑コレクションあるって聴いて
ズッこけたけどねw
295:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:10:54.21 YxMOeeGS0.net
台与が大和へ嫁ぐ。その子孫が大和朝廷なるものを立て永遠と続く。
296:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:13:33.97 RAzAGJdO0.net
>>37
>>1
邪馬台国との位置関係
【もっと北】 朝鮮半島 (狗邪韓国)
【北】 九州北部 (対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)
【女王国】 邪馬台国 ?
【南】 狗奴国
297:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:18:23.95 ubGehb2T0.net
>>280
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
150年間以上倭国王として君臨した
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」は
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見
いっぽうの邪馬台国は
238年 に、親魏倭王に任じられた時に生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 に、西晋に朝貢したときですら生口30人、白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
九州の、天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」と比較して、邪馬台国は完全に弱小国だぞ?
その後邪馬台国と呼ばれる程の集合体になる・・とか、完全に勘違いしとるわ(笑)
298:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:19:43.37 1lCV4sdQ0.net
年代論の解決www 考古学無能論?
299:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:20:17.15 6caH2jcm0.net
送りつけ商法みたいな?
うちの商品は世界中に流通している!誇らしい!
300:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:21:34.90 ubGehb2T0.net
>>281
266年に遣使を西晋に派遣したのは邪馬台国の壱与
魏志倭人伝(中国の歴史書『三国志』)は280年から297年の間に、西晋の陳寿が書いている
つまり、ほぼオンタイムの情報ですよ
301:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:21:47.40 RAzAGJdO0.net
>>125
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う
(わかりやすくまとめ)
日本の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国と日本は完全に別の国である。
B 倭国と日本は同じ国である。
C 日本は小国だったが倭国を併合した。
日本の使者はウソをついているようなので
中国は日本の使者の話を信用しなかった。
302:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:22:02.58 6caH2jcm0.net
>>228
日本人が明治時代によしつね♡って書いたんじゃないの?
303:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:22:17.68 6j3VhpN40.net
結局、邪馬台国って何処にあったんだ?
九州の学者や、畿内の学者が互いに譲らないけれども。
どちらかの方から、決定的な証拠出さないと。
304:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:26:32.89 uMpovp590.net
オードリー・タン「日本人は未来に住んでいるようだった」。台湾の天才大臣が語った来日時の記憶【インタビュー全文:その①】
URLリンク(drue.vomny.net)
「なんで働かないといけないんですか?」と聞いた学生への、とある経営者の回答。
URLリンク(drue.vomny.net)
305:高篠念仏衆さん
20/10/21 10:28:22.13 6caH2jcm0.net
金印コレクションの時代と日本で金印発掘された時代と
ピッタリ合うんだろ?w
306:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:43:19.75 N8OX3Fq+0.net
>>56
ヤマトは山への入り口っていう意味でしょ? 山から川が流れだしているあたり。
ちなみに水への入り口である港は記紀では水
307:門と表記されています。 だから佐賀で嘉瀬川が背振山系から流れ出しているあたりも「大和町」って言います。
308:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:48:05.71 uSyY3nYL0.net
>>287
新唐書を持ち出すのは、時代考察が足りてない。
309:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:51:51.23 1lCV4sdQ0.net
倭人伝には、女王卑弥呼が、次有列記21国で、此 女王 境界 所盡
其南有 狗奴國 男子為王 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里
さらに、
参問倭地 絶在海中 洲㠀之上 或絶或連 周旋可 五千餘里
で、可七萬餘戸の地域の王である。
と書いてある。
倭人伝論争の畿内説は、日本の大倭王が畿内に居たと主張しているが、
邪馬台国は、周旋可 五千餘里、九州上で北部2千里程度の小国である。
日本に統一王朝は無かった事を認めるなら、論争も糞も無い。
さらに、その南の狗奴国は同等程度の競合国である。
245年、其六年 詔賜 倭難升米 黄幢 付郡 假授
これは、三国志の帯方郡の韓制圧戦時に挟み討ちの参戦を求めた記録だが、
相手は、女王卑弥呼ではない、博多湾2万戸の奴国王=奴の升米への招請である。
240年の印綬で、卑弥呼が筑紫地域の軍事王でないことは知っていた。
のではないかな?
女王卑弥呼 與狗奴國 男王卑弥弓呼 素不和
卑弥呼 卑弥 は九州北部の宗教上の統一王の職名だと考える
卑弥は役職名、呼、弓呼は男か女かの違いであろう。
310:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:53:27.75 ubGehb2T0.net
>>291
はいはい
『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について「倭国伝」と「日本国伝」の2つにわけて書かれており
倭國者古倭奴國也
倭国はいにしえの倭奴国のことである
日本國者倭國之別種也
日本国は倭国の別種なり
つまり
倭国とは九州にあった
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
『後漢書』の「倭奴國」である
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという大和の国【日本】は【倭国】ではない
311:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:54:28.87 vlK08m8u0.net
>>290
だから
陳寿の記述はどこかの段階の誤解誤訳誤伝等は絶無ではないとしてもかなり正確だろう
名前ははるか後世の職人の誤刻で「イヨちゃん」ではない「台与」臭い
その時点の畿内の国とは別モノ臭い
・・・という話。
312:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:57:52.24 uSyY3nYL0.net
>>300
魏志倭人伝が正確なら、当時魏で使われてなかった短里なんてものをそのまま残してるのがそもそもおかしい。
陳寿は参考文献の正確性なんて検証もせず、転記していったにすぎないよ。
313:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 10:58:44.22 ubGehb2T0.net
>>297
『旧唐書』東夷伝に
倭国とは九州にあった
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
『後漢書』の「倭奴國」である
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという大和の国【日本】は【倭国】ではない
と書かれているが、それは間違いで
日本は古の倭奴国である
その国王(天皇)が自ら言うには、
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
314:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:00:25.99 jkmQcJYP0.net
>>300
はい?
日本は古の倭奴国である
その国王が自ら言うには、
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
というのだから、邪馬台国と別物臭いのは九州のほうですよ
315:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:02:09.34 9vwwoRyT0.net
>>293
九州説の学者なんて数人しかいない
地元贔屓か立場上やむを得ずやってるだけ
実際、大多数の学者は畿内説
316:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:05:20.61 vlK08m8u0.net
>>298
圧倒的に強力な国がなかったから延々と揉めていて、どうもならんから仕方なく卑弥呼を祭り上げて一応納めて、しかし卑弥呼が亡くなったらまたすぐ揉めたわけで、
「圧倒的に強力で安定していた強国」なら、それは「邪馬台国時代の邪馬台国ではない同時代か別時代の別モノ」ということになるね。
317:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:06:04.69 gp320zjO0.net
>>304
邪馬台国に興味ある学者とかいるのか?
あれは素人が楽しむもんだって認識なんじゃないの?
318:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:06:58.64 gcMlk/Mw0.net
>>304
学者が何人か、なんてのは意味がない
畿内派は邪馬台国が畿内にあったとするまともな説を出して欲しい
今のところこのスレでは畿内派の根拠はロクなものがない
319:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:09:20.83 jkmQcJYP0.net
「日本」は古の「倭奴国」・・つまり
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土した九州の國の末裔
である
その国王(天皇)が自ら言うには
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
という【天皇家の主張を全否定】しないと成立しないのが、邪馬台国九州説
320:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:11:18.47 uSyY3nYL0.net
>>302
そんなこと全く書いてないなぁ
旧唐書東夷伝:倭国 全文
倭國者,古倭奴國也。
去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。
依山島而居,東西五月行,南北三月行,世與中國通。
其國,居無城郭,以木爲柵,以草爲屋。
四面小島五十余國,皆附屬焉。
其王姓阿?氏,置一大率,檢察諸國,皆畏附之。
設官有十二等。其訴訟者,匍匐而前。地多女少男。頗有文字,俗敬佛法。
並皆跣足,以幅布蔽其前後。
貴人戴錦帽,百姓皆椎髻,無冠帶。
婦人衣純色裙,長腰襦,束發於後,佩銀花,長八寸,左右各數枝,以明貴賤等級。
衣服之制,頗類新羅。
貞觀五年,遣使獻方物。太宗矜其道遠,敕所司無令?貢,又遣新州刺史高表仁持節往撫之。
表仁無綏遠之才,與王子爭禮,不宣朝命而還。至二十二年,又附新羅奉表,以通起居。
321:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:12:11.32 ubGehb2T0.net
>>307
はい?
九州説の根拠は「対馬に一番近いから」じゃねーか(笑)
322:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:14:54.84 qGzH4K5J0.net
無い物ねだり
ツチノコと同じ
323:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:15:45.40 ubGehb2T0.net
>>309
はいはい
古の「倭奴国」・・とは
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の國で
記述にある印綬が出土した九州の國のことですが?
324:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:15:52.02 9vwwoRyT0.net
>>306
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
325:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:18:21.00 xMJgCAzK0.net
畿内説は終わり
畿内は江南稲作の弥生がルーツだからもし魏志倭人伝のように交流してたらこちら側も文字が残っていてもおかしくない
日本に文字が残ってないのは縄文系と交流していたから
弥生は大陸から逃げて来てんのに大陸人と交流したいと思うか?
326:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:21:20.70 1lCV4sdQ0.net
>>305
大和朝廷の前身となる、畿内王と卑弥呼の絶対的な違いは
卑弥呼は、世襲王ではない、という事。
卑弥呼が倭国大乱を収拾して統一王になった?
それじゃあ、記紀の神武が女で卑弥呼か?
荒唐無稽な、卑弥呼=天照論の存在は知っている。
しかしこの時、畿内は既に、瀬戸内海、日本海、関東方面と連合している。
卑弥呼が収める倭国大乱の歴史は、日本には無い。
九州の日本軍への参加は、この倭人伝でも判る、
魏による、公孫氏滅亡と韓制圧での韓王朝滅亡、以降である。
BC200年から青銅器は、この滅亡地域からの輸入であるが、
この後、九州と内地の青銅器の文化差が無くなり、古墳時代となる。
そしてこの時の統一が、直後の高句麗馬の移入や、鉄器の国内生産に繋がる。
327:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:22:11.04 ubGehb2T0.net
畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきた
これに対して九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなった
けれど、それは
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性が高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。
さらに、
後漢の系統の鏡が多く出土していることも
北部九州は、
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
であった可能性が高いことを示している
328:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:22:43.16 9vwwoRyT0.net
>>307
畿内説はすでに通説になっているのだから、自分で調べられる
こんなスレで畿内説の根拠を聞く必要もないだろ?
仮に畿内説の珍説を力説してる個人がいても、学問の世界で支持されてる畿内説とは違うのだから無視すればいいだけの話
329:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:23:58.28 uSyY3nYL0.net
>>312
まず天御中主なんて旧唐書には全く出てきてもいない。
王の姓が「阿毎氏」だと書くならまだしも。
倭国と倭奴国を同一というなら
東西五月行、南北三月行も説明どうぞ。
えらく東西に長い国だね?
そもそもの出発点として、中国の史書を信頼するのが間違い。
昔からそう書かれてるから程度の根拠で、正確かどうかなんて検証もせずにただ書いてるだけ。
330:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:25:43.90 ubGehb2T0.net
畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきた
これに対して九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることが、有力な拠りどころとなったけれど、
それは邪馬台国というよりも
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性のほうが高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。
331:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:26:24.58 gDWw9drL0.net
>>307
ホントそれ
どちらかに拘る気はないが、畿内説は余りに説得力がなさ過ぎる
332:高篠念仏衆さん
20/10/21 11:26:24.97 6caH2jcm0.net
音読み訓読みの歴史見れば、
民族入れ替わった痕跡無いぞ?
有能な日本語喋れる大陸の王様が日本民族支配した
みたいな?
333:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:26:33.08 YxMOeeGS0.net
誰かタイムマシンに乗って見てくるしかない。想像と妄想は出来るがどの件も確定は出来ない。宮内庁あたりの見解を知りたいとは思うけど。浪漫であって争うものではない。
334:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:27:31.94 jkmQcJYP0.net
>>318
だから、新唐書の
「日本」は古の「倭奴国」・・つまり
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土した九州の國の末裔
である
その国王(天皇)が自ら言うには
初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。
彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
という【天皇家の主張】をガン無視しないと九州説は成立しない
335:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:29:20.59 vlK08m8u0.net
>>301
「当時に存在した可能性は絶無の現代の正確な地図」を見ながら記述と照らし合わせて云々するのは根底から間違ってるよ。
距離は、陸上なら歩測とか、伊能忠敬の例で見てもかなり正確に測定できる可能性はある
しかし「測量しに行って正確な測定結果を記録し続けたとは考えにくい」し、「海上の距離は正確に測量など不能」
「元々正確であるはずがない距離の数字を根拠にして記述全体の信頼性を云々するのはナンセンス」
方位は当時でも太陽や星で簡単に把握できていたし、「そうではない方向音痴なら海上も含めた長距離を生きて往復できるわけがない」
「現に生きて往復できた」という事実があるなら、方位はかなり正確に把握し続ける能力があったということでしかない。
誤伝誤記等はありうるとしても、概略の方位は合ってると仮定するのが穏当。
「自分の思い込みに沿わないからといって都合に合うように誤記としようとする」のは科学的に公平な態度とは正反対でしかない。
ま、小保方と取り巻きみたいなもんだな。「邪馬台国はこっちだから、そっちに行くように書いてあるのは記述が違ってまーす」?
336:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:23.88 gTTlBiQz0.net
>>323
【天皇家の主張】をガン無視しないと九州説は成立しない
そこに事実が無ければガン無視すればいい
事実を知りたいのか天皇家を崇めたいのか畿内人が始めるのはそこからだろ
337:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:30.30 uSyY3nYL0.net
>>322
だから>>297で新唐書なんて者を持ち出すのは論外だと言ってる。
ウガヤ王朝を語るには文献も物証も少なすぎるし
神武以降の天皇の漢風諡号は淡海三船が8世紀に一括諡号するまで存在しない。
338:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:35:55.34 vlK08m8u0.net
>>304
関西の学者が地元で自分が発掘した物を文献に合わせるために言ってるだけでしょ。
「魏志のいう邪馬台とは別の独自の歴史がある国」を抹殺しようとしてる、ということになりかねないぞ。
思い込みを優先する没科学的な小保方思考からそろそろ脱却しなさい。
それができない限り先はない。
339:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:36:20.90 jkmQcJYP0.net
>>324
北部九州にあった
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」は
後漢の地方官だった公孫度が遼東地方に樹立した半独立政権「帯方郡」と150年以上交易を独占して大繁栄していた
のだからへたすりゃ、「帯方郡」の役人の手元には【北部九州の地図】すらあった可能性がある
そのあとに親魏倭王となった邪馬台国が九州にあったなら
距離も方位も間違えないよ
340:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:38:36.03 ubGehb2T0.net
>>325
邪馬台国を九州にしたいから
書かれているという事実を無視するとか(笑)
341:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:38:38.36 9vwwoRyT0.net
>>1
>ただ、考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして
そんな大きな違いがあると主張してるのは、極めて一部の考古学者だけ
少数の九州説論者かアンチ畿内説
実際、古墳時代の始まりは教科書にも、3世紀中頃か後半と書かれており、
考古学者の間で大きな違いはない
342:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:40:01.18 9vwwoRyT0.net
>>327
東大は関西ではない
九州大学も関西ではない
歴博も関西ではない
343:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:40:15.91 BKWifkog0.net
>>279
外国の歴史書だけをソースに日本の歴史を語っても意味がないと思う。
344:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:41:13.03 gTTlBiQz0.net
日本書紀の編纂に関わった人は、魏志倭人伝は知っていた
魏志倭人伝を引用したにもかかわらず、邪馬台国にも卑弥呼にも全くふれていないということは
神功皇后は卑弥呼ではないということを言っているのも同じである
主張よりも言ってない事を紐解いた方が事実に繋がる
畿内人は主張ばかり気にし過ぎ
邪馬台国に従わなかった国のどれかが大和王権東遷前ではないかな?
345:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:42:53.93 vlK08m8u0.net
>>328
魏志のいう邪馬台は九州のどこか確定ね。
半島南端 対馬 壱岐 と辿って直近というと九州でしかない。
346:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:44:05.08 vlK08m8u0.net
>>331
関西の地元の説の丸覚えが分散しただけでしょ。
347:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:44:09.01 jkmQcJYP0.net
>>332
>>325
邪馬台国を九州にしたいから
外国の歴史書に書かれているソースを無視して
日本の歴史を語る
ほうが頭がおかしい(笑)
フォーラムでも
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることが、有力な拠りどころとなったけれど、
それは邪馬台国というよりも
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の『後漢書』では「倭奴國」・日本の記紀では「筑紫城」
の可能性のほうが高く
考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱
しとる
348:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:45:01.85 gTTlBiQz0.net
九州説、いや九州で邪馬台国は確定だよ
書いてることより書かない事を見れば明らか
349:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:45:08.72 YxMOeeGS0.net
だからそこを畿内とどうしてもしたい人がいる。
350:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:46:09.37 YxMOeeGS0.net
佐賀でも無いのは確かかと。
351:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:46:24.34 uSyY3nYL0.net
>>324
当時の距離単位って身体尺がベースにある。
現代日本人の感覚でいうと『2歩歩いた距離=距離単位の1歩』となる。
距離単位の1歩=約1.3mで、距離単位300歩=約390mが1里となる。
なので、もし当時概算何里なのかを数えていたとしたら(歩測)
短里/長里のような極端な5~6倍の結果になることはない。
陳寿は誰かが適当に書いたもの、昔からの言い伝えの文献を検証せずに転記しただけだよ。
352:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:47:15.68 vlK08m8u0.net
>>332
外人さんの日本探訪記はそれなりに有意義だよ。
ズレてるところはありうるがね。
353:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:47:40.21 CFHKKnMi0.net
九州説なんて考古学界ではとっくにオワコンなのに粘るねぇ
354:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:48:13.54 vlK08m8u0.net
>>336
いつまでも小保方ってなさい。
355:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:48:28.22 BKWifkog0.net
>>336
邪馬台国好きの人って、なんでも邪馬台国に関連付けて語るんだね。
356:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:50:12.87 vlK08m8u0.net
>>340
測量しに行ったわけでもあるまいし、細かい数字を論拠にするのはナンセンス。
357:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:09.98 gTTlBiQz0.net
今後は畿内人の性格を紐解くことが九州邪馬台国をより強固なものとする
2000年前から性根は変わってない
358:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:32.70 +d8TcqxF0.net
考古学者も歴史学者も邪馬台国なんて基本的語らない
話題の中で「これこれこういう物があってその時代は邪馬台国の頃だから関連あるかも」と言う論調で出てくる程度
で、そういう流れの中で九州にその当時の中心地と呼べるものがなく、畿内に情報の発信源がある事から「その頃の中心とされるのが畿内だった」と言う話になってる
「わかった!」「確定した!」とか喚いてるのは大体素人レベルのアホくらい
このスレで延々と張り付いてる奴らみたいな
359:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:52:58.14 jkmQcJYP0.net
>>337
>>338
はいはい
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」や
日本の記紀に書かれている「筑紫城」のものではなく
『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
とフォーラムは言ってますが?
360:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:53:45.24 uSyY3nYL0.net
>>345
だから陳寿は適当な記録を転記しただけなんだよ。
魏志倭人伝やその他中国史書は間違いだらけだと理解して読む必要がある。
因みに他にも魏志倭人伝にはおかしな事は多々書いてるよ。
船で一年かかる国なんて誰が調べたのか?
小人の国なんてどこにあるのか?
邪馬台国は本当にご長寿大国なのか?
等
361:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:53:51.43 +d8TcqxF0.net
>>344
全然無関係のスレに現れてバカみたいにコピペとか繰り返すからもう迷惑でしかないな
362:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:55:01.73 a2sRmzkG0.net
>>348
>吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
してない
363:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:55:20.44 gp320zjO0.net
>>347
まあそうだよなあ
学者が語るべきものじゃないもん
364:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:56:00.34 ubGehb2T0.net
>>337
>>338
はいはい
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、後漢の系統の鏡が多く出土していることを、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」や
日本の記紀に書かれている「筑紫城」のものではなく
『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
考古学的には
「邪馬台国」より50年から100年前の
『後漢書』に書かれている「倭奴國」のものだと思いますよ
とフォーラムは言ってますが?
365:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:56:40.99 ubGehb2T0.net
>>351
してますよ >>1
366:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:57:19.78 1lCV4sdQ0.net
250年より前に、王権が九州から東遷するなんてことは有り得ない。
しかし、250年程度に奈良纏向は建設され、古墳時代は始まる。
卑弥呼王権は190年辺りから247年までである。
同じものでは有り得ない。
この間、及びBC200年まで遡っても
九州は漢鏡等青銅器、鉄器などの中国文明が及ぶが
本州も青銅は搬入できているし、銅鐸文化も別途安定的に繁栄していた。
2600年以上前から東遷したのは、水稲耕作文明である。
367:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:57:22.80 a2sRmzkG0.net
>>347
そう
魏志倭人伝にしか出てこない邪馬台国を専門に研究する意味がないもんな
他の資料がないから比較のしようもない
368:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:58:49.82 a2sRmzkG0.net
>>354
それは>>1の場合で
九州説を唱えてる人のすべてがそうだとは言えない
それとも、
三角縁神獣鏡が出土するたびに卑弥呼の墓だと喚いてた畿内説の人もいたけど
畿内説のすべての人がそのような考え方だと決めつけていいのかな?
369:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 11:59:38.93 gTTlBiQz0.net
>>349
海流をまたぐから船で時間がかかるのは当然
日本南方は海洋系だから小さかった
その名残は今もあるだろ
小人の国と言う表現はあながち間違ってない
邪馬台国が魚食してたら長寿になってた可能性あるな
370:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:08.60 ubGehb2T0.net
九州説は、
吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたこと、
後漢の系統の鏡が多く出土していること
を、有力な拠りどころとしてるけど、
それは
『後漢書』に書かれている「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)のものではなく、『魏志倭人伝』に書かれている「邪馬台国」のものだ
・・という根拠を示してから九州説を提唱してね
考古学的には
「邪馬台国」より50年から100年前の
『後漢書』に書かれている「倭奴國」のものだと思いますよ
とフォーラムは言ってます
371:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:17.18 Wi/nov/s0.net
畿内はもちろんだが、吉野ケ里も邪馬台国でないだろう。
372:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:00:47.52 a2sRmzkG0.net
>>359
>を、有力な拠りどころとしてるけど
してない
373:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:05:03.04 JDSWGKwg0.net
吉野ヶ里が邪馬台国の中枢だよね
沖縄や南西諸島でしかとれない日輪を模したゴボウラ貝の腕輪を身につけている
少女が甕棺から見つかっている
彼女は卑弥呼と同じ系列だ
巫女だ
日本人は海洋民族である
暗黒大陸や半島は関係ない
374:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:05:35.69 nrQP9Z3K0.net
中国が名付けた邪悪な国という意味の
邪馬台国って読んでる時点でジャップだなぁ
正しくは倭大国だろ
アホウヨってこういうのは気にしないで尖閣がーとか言ってるからアホw
375:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:06:20.11 uSyY3nYL0.net
>>358
船で1年かかる国の有無ではなく、それを誰が確認したのかという話し。
身長3~4尺=72~96cmは明らかに人類ではない。
当時80~100歳がゴロゴロいたと書いてるが、そんなことがあったらそっちの方が大発見。
当時の遺骨でも70代まで生きてればご長寿だと、はっきりしてる。
376:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:07:09.90 N8OX3Fq+0.net
【天皇家の主張】とは
天皇家は九州から畿内にやってきました。 初代は神武天皇です。
神武の系譜は、九州山地の西側にあった高天原に住んでいた勢力が高千穂の峰を超えて
日向に向かい、コノハナサクヤヒメと結ばれるところから始まります。
って事でしょ?
377:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:04.45 nrQP9Z3K0.net
今で言ったら
日本人が、中国に尖閣諸島侵略されてジャップランドの将来を憂うって真顔で言ってるのと同じだから笑えるよな
邪馬台国w
378:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:19.05 gTTlBiQz0.net
魏志倭人伝より正確でなく嘘つきなのが畿内人と言うのは現代の都構想説でも明らかな通り
379:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:08:30.84 JDSWGKwg0.net
>>363
エベンキの
380:勉強をしようかw
381:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:10:48.06 GTVnKzBI0.net
>>367
短里を捏造してまで必死の九州人はチョンってこと?
382:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:11:29.22 gTTlBiQz0.net
東に都を取られてから過去から現代までずっと都構想言ってるのが畿内人
383:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:11:42.81 nrQP9Z3K0.net
>>368
ああいうこと言えば消去法で俺はチョンだと思う時点が思考停止したアホウヨなんだよ
エベンキはチョンのルーツでロシアから流れ着いた民族でそれが朝鮮人のルーツだよね。
だから中国人と日本人は顔つきは似てるけど
チョンはパンスト引っ張ったみたいな顔で微妙に違うのはこのせいってのも知ってるぞーw
384:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:18:58.83 YxMOeeGS0.net
喧嘩するもんでもない。こんなとこでがなる価値もない。
自論としての見解だしね~それぞれの心のうちにあれこれあるんでしょ?
385:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:21:28.70 uSyY3nYL0.net
>>372
真偽不明だからね。
まさにそれぞれの心のうちに色々な空想が膨らむんだけど、だからこそ無茶苦茶な自説は切っていかないと収集がつかなくなる。
386:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:22:36.22 JDSWGKwg0.net
>>1
日本と日本神道の成立に必須のイコン
三種の神器
勾玉
剣
鏡
鏡も剣もあと付けされたものだ
縄文と勾玉の歴史は古い
日本は海洋民族だ
387:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:26:41.73 uJAIKWmA0.net
>>1
近畿よりも九州の方が縄文人のDNAが濃いらしいからな
倭国邪馬台国は九州だろ
縄文人が既に九州を支配していたから渡来人は近畿に行った
388:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:39:20.72 uSyY3nYL0.net
>>375
その理屈だと、当時海外との交流が盛んだったのは近畿だったってことになるけどあってるの?
たった3行で矛盾してる。
389:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:42:19.83 YxMOeeGS0.net
>>375私もそんな感じに妄想している。邇邇芸陵墓・ウガヤフキアエズ陵墓・山幸陵墓が鹿児島に3つあること。宮内庁管理。霧島神宮これも宮内庁。数知れず。しかし邪馬台国は佐賀から大分より。外敵牽制してもっと東の国東半島。邪馬台国は移動したと思っています。自論ね。
390:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:43:15.95 JDSWGKwg0.net
>>375
渡来人とか弥生人とかな
民族の構成を変える人種の動静はそもそもない
渡来人とか弥生人とはデッチアゲだ
少数の人間の移動しかない
391:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:53:16.90 m9UotYUM0.net
>>34
文字が無い地域で300年の空白なんて誤差やで
文字があった殷王朝と周王朝でもそれくらいの空白あるし
392:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:58:09.91 uSyY3nYL0.net
>>378
縄文人、弥生人と一括りにするのがそもそも無理があるよね。
日本列島が大陸から分離してから、アフリカにホモサピエンスが発生してるんだから
日本人の祖先は全員いつかの時代に海を越えて日本列島にたどり着いた人々。
それも単一民族が日本列島に移り住んで縄文人や弥生人になったわけでもなく
複数のルートから複数の集団が色々な時期に日本列島に移り住んでる。
縄文人は〇〇だった!とかって論調自体がナンセンスだと思う。
393:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 12:59:11.16 s8I4YQSf0.net
もう熊本説で決まりやろ
394:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:02:24.72 mcGvBHKO0.net
>>375
神武より先に近畿大和を支配してた者がいると
日本書紀に書いてるからこれは信じるしかない。
吉野ヶ里は楼閣が有ったという証拠が無いのに
捏造した。テーマパークの本家アメリカディズニーランドの開拓の国を真似をした
所詮町興しの弥生の国テーマ・パークだ。
纏向は祭祀の霊場で生活臭が無い。
生活臭が有るのは唐子鍵遺跡。
唐子鍵にはちゃんと楼閣があった証拠が出土している。
395:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:04:52.98 ku3+LD3C0.net
日本のルーツを邪馬台国にしたい人だけが近畿説を取る
当時は小国がたくさんあってそのうちの一つが近畿に移動して平定したと考えるのが妥当
邪馬台国は九州にあって滅びた
396:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:09:55.13 uSyY3nYL0.net
>>383
それは多分逆だと思う。
邪馬台国九州説には九州王朝説、九州王朝東遷説という派生モデルがある。
九州王朝の起源を九州邪馬台国に求め、その九州邪馬台国が九州王朝につながり
やがて東遷して畿内に入ったというルーツを信じたがってる人たち。
貴方のように九州邪馬台国滅亡論者は(俺も含めて)少数派
397:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:09:56.22 N8OX3Fq+0.net
【天皇家の主張】とは(神無月編)
神武一行はまずは畿内に一番入りやすい大和川経由で入ろうとする。
ところが、ナガスネヒコが攻めてくる。
(ナガスネヒコめ! 大国主はすでに国譲りしてんねんぞ! 何逆らいよんねん!)
( )内は私の心の叫びです。
あっさり敗れた神武一行は淀川(大和川?)をあきらめて南下、紀ノ川経由で入ろうとするも
なんと地元の豪族にまたまた敗れてしまう。 おまけに兄貴が戦死してしまう。
(神武よわっ!w 兄ちゃん! なんで氏んでしまうん?(泣))
しかたなく神武一行はさらに南下し、昼なお暗い熊野の獣道を人目を避けながら畿内入りを目指す。
(まるで、○キブリのようだぜ!(悲))
しかし! 苦労の甲斐あって畿内入りに成功した神武達は大物主に温かく迎えられます。
めでたしめでたし。
・・・
398:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:10:12.69 N8OX3Fq+0.net
(あれ? ちょっと待て! なんで大物主が畿内の主として神武を出迎えるん?
国譲りしたんとちゃうん? 話がちがうやんか!(怒))
そう。全然国譲りなんてされていなかったのです。(笑)
神武は出雲系の姫を嫁にあてがわれて葛城に住むことになります。
その後、九州からついてきたタギシミミは邪魔者になったのか、腹違いの弟の綏靖に
殺されてしまいます。 (このあたりはいつの時代も変わらないんですね。)
この神武一行を出迎えた大物主は崇神垂仁の頃にはなぜか祟り神となっています。
この段階では国譲りはなされています。
実際の国譲りはこの2代~9代のいわゆる欠史8代の間に行われたのでしょう。
欠史八代の間に起った事は記紀神代の中にまとめられました。
10月は「神無月」。 全国の神様が出雲に集まる月です。 きっと大国主の命日なのでしょう。
399:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:12:37.30 GX7ddzUA0.net
>>1
日本書紀に既に朝鮮に住んでいた秦氏の事が書かれているんだが
神功皇后、応神天皇の時代に秦氏一族は日本に来て帰化している
その数もかなりのもの
朝鮮半島で虐げられていた秦氏は神功皇后、応神天皇の時代に救援を要請している
日本に連れてきたのも日本人自身
『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)などが祖とされる。
朝鮮から移住してきた秦氏に関しては日本書紀などに詳しく書かれているのでそれに目を通そう
400:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:16:46.41 Dq17MqAH0.net
半島スパイの阿波とかいう馬鹿いなくなったか?w
401:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:19:07.61 GX7ddzUA0.net
>>387
日本書紀には卑弥呼は神功皇后の時代にあった事と間接的に書かれているので
この時代に既に朝鮮半島の人間が日本に帰化していた事となる
ついでに神功皇后は三韓征伐をやっている
これは祇園祭の大船鉾や全国各地に残る山車や伝承からこっちの方が真実とわかるよ
402:ね? 魏志倭人伝の記述には方位や距離にあまりにも間違いが多く その他の記述にも不審な点が多いものが多い
403:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:21:42.86 T7I1dc2T0.net
NHKに全く相手にされていない考古学者どもwww こいつらが優勢な畿内説なんて
バカの考えることwww 何しろ発掘土方の捏造も見破れなかった「専門家」だもな
wwwwwwwwww
404:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:23:02.79 uSyY3nYL0.net
>>386-387
おもしろいなw
大物主と大国主の関係について、同一視していいのかどうかがちょっと微妙
大国主の国造りの話でも、同一人物なのか別人なのかが微妙
記紀や三諸山、大神神社の縁起なんかを見ても、別人のような気がしないでもない。
なので、出雲で大国主が国譲りをしてても、三諸山の大物主的には「知らんがな」と
思ってたという解釈もできなくはない。
405:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:24:21.87 1t1e+wQc0.net
畿内説の方が有力なんですかい?
406:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:26:11.85 uSyY3nYL0.net
>>392
畿内説にも九州説にも、決定的な証拠がないから今の現状です。
状況証拠的には九州の方が有利かな?とは個人的には思うけど
断定できる証拠といえるものはない。
407:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:27:29.28 GX7ddzUA0.net
>>386
欠史八代は神武天皇の後の事
神代は神武天皇の祖先だよ
日本書紀などの記述にはデタラメなものがあるけど
それでも系譜はある程度正しいよ
つまり神武天皇の時代は卑弥呼の時代よりはるかに過去の出来事という事
神代の出来事はさらに過去の事で
天照大神は中国でも神代の頃の出来事で淮南子などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和がそれに該当する
408:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:28:05.05 +d8TcqxF0.net
>>392
位置論争とかしてる馬鹿はこのスレにいるような素人だけ
考古学も歴史学も邪馬台国の事なんて語らない
当然、位置がどこだとかそんなもんはテーマになってない
409:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:35:32.82 1lCV4sdQ0.net
倭人伝に邪馬台国は
九州北部に190年から247年まであった21国構成の7万戸の女王国
って、書いてあるのに、証拠が要るか?
この時点での、漢鏡渡来品の出る遺跡は
九州北部になら、いくらでも有るだろ?
410:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:42:48.21 uSyY3nYL0.net
>>396
九州北部にあったと断定してないから物証が必要なのよ。
決定的な証拠さえ見つかれば位置論争終わってる。
411:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:44:16.78 a2sRmzkG0.net
>>397
九州に上陸した後に、東や南にしか進んでないんだよ
位置論争で、九州よりも北にある畿内を持ち出してくるのは、そもそも間違いなんだよな
412:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:44:40.83 +d8TcqxF0.net
歴史や考古学のテーマは文献や、発見された物をまとめてその時代のあり様を見出すこと
その結果、畿内から土器や古墳が弥生時代終末期に日本全国に展開して中心となる様子が見て取れる
なので「この時期には畿内にそれまでにない全国的な中心が出現してる」と言う見解を出している
で、それに対する学者もその中心性の在り方に対して疑義を提示していると言う形
あくまでもその時代の日本における文献や発掘物の集成によって中心や発展の過程を読み解こうと言うアプローチ
だから仮説を立てるにしても、それと違う物証が出れば修正がされる
歴史と言うのは結論は先にはなく、物証や文献を集成した結果見出される妥当とされる結論を見つけ出すこと
邪馬台国論争とやらが素人遊びに過ぎないと言うのは、
最初から結論ありきの話に文献や発掘物を好き勝手に解釈して用意した答えに当てはめて言い張ってる学問以前の論争見ればよく分かる
413:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:16.87 GX7ddzUA0.net
ちなみに日本書紀を元に考えると九州説も近畿説もどちらも正解
なぜなら当時の天皇は時折 神武天皇のふるさとの九州に帰っていた
宮崎には西都と言う場所があるが一時的に天皇が帰還する場所があった
崇神天皇の時に不作と疫病が発生して帰省どころではなくなる
垂仁天皇の時に混乱が収まり垂仁天皇の時に伊勢神宮を建立する
景行天皇の時に九州巡回を再開する
その時に熊襲退治もする
その子のヤマトタケルは九州から東北まで巡回する
これが倭国大乱
これは崇神天皇の時の不作と疫病が原因だった
414:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:33.50 GX7ddzUA0.net
それを収めたのが夫である哀仲天皇を持つ神功皇后
当時は九州の熊襲と交戦していた
そのために山口県と福岡に数年滞在していた
しかし哀仲天皇の死後に熊襲を倒し三韓征伐を行う
そして帰還後に今の住吉大社を建立した
つまりこの時点まで天皇が住む御所は関西と九州に存在していたのだ
その後に夫を熊襲で失った神功皇后は九州への帰省を中止した
415:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:47:46.22 uSyY3nYL0.net
>>398
それは魏志倭人伝の記述がどこまで信用できるか、できないかの話してもあるし、水行陸行の解釈の話もあるので断定的には言えんよ?
416:高篠念仏衆さん
20/10/21 13:48:09.86 6caH2jcm0.net
当時は石油ストーブなんか無いんだから
南から北へ南から北へ
だろうけど。
417:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:48:29.64 a2sRmzkG0.net
>>402
そもそも方角を間違えるかね?
418:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:51:36.21 +d8TcqxF0.net
そもそも歴史と言うのは同時代の文献を読み合わせて裏を取る作業に基づく
なので「それ一つしかない」と言う物は資料たりえない
ながらく記紀がただの伝説扱いされていたのは裏を取る同時代の書物が無いから
その為に考古学の力を借りて今は歴史としてある程度の信頼度があるものであると言う見直しがされている
そして魏志倭人伝は同時代の倭について記した書物が存在しない単独の史書
こんなものを「解釈」しても何の結論も見いだせない
だから巷にひろまる珍説のような「正しい読み方」等と言うバカげた話はどんなにそれっぽいことを言おうが全く意味をなさない空想でしかない
だから歴史学者も考古学者も邪馬台国などと言う物を語らない
この事からも位置論争などやっているのが学問以前の素人でしかないのがよく分かる
419:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:53:09.95 a2sRmzkG0.net
>>400
記紀はなぁ
自分たちに都合よく書いてるだろうから
あくまでも参考程度のものだろうし
歴史書は、事実をありのまま書くべきだという考えがその当時の日本にあったとは思えないし
420:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:53:56.44 1lCV4sdQ0.net
逆に言うと、240年以前に
九州は畿内王権の統制下に在ったという証拠は有るか?
なぜこれ以前の青銅文化は、九州と本州で違うのか?
倭人伝では、卑弥呼は、世襲制の日本の統一王ではないが
銅鐸文化を流布した200年以前~250年以降にも継続していたはずの
後の大和王権に繋がる畿内王権の王であるわけが無い。
この九州統一~古墳時代への隙間に、
ぴったり収まる筑紫王が倭人伝の卑弥呼である。
421:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:54:20.68 uSyY3nYL0.net
>>404
距離も方角もアテになるかならないかが判定不能でしょう。
だからこそ物証が必要。
卑弥呼が貰った親魏倭王の金印か、部下二人が貰った銀印か
3つのうちどれかが出てくればかなり楽になる。
やり取りしたことを示す書物、木簡、竹簡でもいい。
何か出てこないと、これ以上進みようがないと思うよ。
422:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:56:04.15 mcGvBHKO0.net
>>390
邪馬台国スレとか見てると九州では時々邪馬台国スペシャルが
放送されてるみたいだが関西では邪馬台国=畿内が定着してるから
めったに放送されないわ。
朝鮮がしょっちゅう反日教育してるのとおなじだわ九州はw
423:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:57:41.80 aoaEVH6J0.net
ていうか、考古学者はちゃんと論文を書いてるの?
424:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:58:41.24 aoaEVH6J0.net
あ、ごめん。
考古学者はちゃんと邪馬台国についての論文を書いてるの?
でした。
425:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 13:59:45.72 a2sRmzkG0.net
>>408
では魏志倭人伝そのものが当てにならないんじゃね?
まずは文献に書かれてる記述を信用してみなさい
それが第一歩だろ?
それを行わずにいきなり記述が信用ならないとしているからおかしくなる
東や南にしか進まず
直線距離ではなく実際に踏破した距離で計算する
それだけで大方の場所は分かる
>何か出てこないと、これ以上進みようがないと思うよ。
それは分かる
ここが邪馬台国ですとか、
ここが卑弥呼の墓ですとか書かれた看板が出てこないとどうしようもないだろう
426:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:00:58.10 viIC9Dse0.net
当時のラノベと
そのファン向けグッズやろ
427:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:04:14.51 +d8TcqxF0.net
だからこういう話でそもそも「邪馬台国」とやらをテーマにしてる時点で論外
あてにならない本一つに書かれてるだけの物をまず根拠なく実在と決め
↓
裏の取れない、意味不明な文章を「解釈」してそのあり様を創造する
↓
その上で文物を都合よく組み合わせていく
↓
ここが邪馬台国です
バカバカしい
こんなものを学問として扱えると思ってる方がどうかしてる
学者がテーマとしないのは当然だろう
428:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:05:03.81 uSyY3nYL0.net
>>412
俺は魏志倭人伝の大部分がアテになるとは思ってないよ。
明らかに魏の公文書から転記された部分については
当時洛陽でのやり取りの経緯など事実だろうとは思うけど
他はもっと古い時代の伝説、伝承なんかも混ざってるので
そこをアテにしても無意味だと思ってる。
>>349に現代人でもわかりやすい魏志倭人伝の例を3つ挙げたりしてる。
他の中国で正史とされるものにしても、適当な事が書いてあると思うし
そう思うだけの根拠もあるよ。
429:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:07:00.08 a2sRmzkG0.net
>>415
>俺は魏志倭人伝の大部分がアテになるとは思ってないよ。
なら、卑弥呼も邪馬台国も妄想だよ
で終わりじゃん
430:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:11:16.11 uSyY3nYL0.net
>>416
所が、洛陽の公文書からの転記部分に卑弥呼と邪馬台国がでてくるのよ。
だから邪馬台国があったことも卑弥呼がいたことも事実だとしかとらえようがない。
具体的には魏志倭人伝の後半部分の
「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡」のあたりから
「其八年太守王?到官」辺りまで。
この辺は公文書っぽい綺麗な文体で、魏志倭人伝の他の文体と全く違う。
431:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:12:21.21 aoaEVH6J0.net
あんまり関係ないけど、今グーグルマップ見てたら現在の中国の
海岸線の長さって日本(沖縄を除く)とだいたい同じくらいなんだな。
いや、当時の魏(西普)からみたら日本なんてかなり遠い国だから
記述もおかしくなるとも思ったけど、案外近かった�
432:烽ナ。
433:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:13:26.59 a2sRmzkG0.net
>>417
>洛陽の公文書からの転記部分に卑弥呼と邪馬台国がでてくるのよ。
それ、結構知られてる事じゃん
434:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:08.77 CLSwQQTw0.net
>邪馬台国の女王卑弥呼が魏から贈られたという三角縁神獣鏡
日本の文系学者って、平気でこういうデタラメを言いふらすんだよなw
文系が冷遇されるのは当然だな。
435:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:19.06 aoaEVH6J0.net
>>391
横からですが、わたしもオオクニヌシ≠オオモノヌシ派です
436:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:15:52.17 uSyY3nYL0.net
>>419
だから卑弥呼も邪馬台国もなかったとはならないが
魏志倭人伝の他の部分はアテにできないから何処にあったかはっきりしない。
437:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:17:05.88 CLSwQQTw0.net
>>417
中国語に明るいわけではないけど、倭人伝全
438:体の文体も立派に見えるけどな。
439:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:06.80 a2sRmzkG0.net
>>422
だからと言って
記述全体を疑うのはやりすぎ
中国だから数字を誇大表現するだろうくらいの先入観はあってもいいけど
方角が違うというのは無理やりすぎる
まるで畿内説信者のように見える
440:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:14.23 GX7ddzUA0.net
>>406
記紀は聖徳太子の時に原型の本が火事でなくなっているからね
その事を忘れてはいかんと思うよ
今の記紀はそもそも半分は記憶の産物だから
それでも記紀の方が魏志倭人伝よりよほど正しい
卑弥呼の謎とやらもよく読めばわかると思うよ
正しい解釈をしていると思われるのはやはり本居宣長あたりだと思うけど
441:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:18:26.86 CLSwQQTw0.net
>>422
虚心に読めば、北部九州ということになるだろ?
距離感についても、魏志全体で比較すれば不自然ではない。
442:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:20:06.60 CLSwQQTw0.net
>>425
記紀から魏志を読み解くのは無理w
邪馬台国と大和王朝には直接の関係がないとみるしかない。
443:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:21:26.38 ubGehb2T0.net
>>361
完全にしてますよ
九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなった
と、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平氏が言ってます >>1
444:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:21:50.94 a2sRmzkG0.net
>>425
それ以前に、国家が主導して編纂した自国の歴史本とは、
自国の、当時の為政者に都合がいいように書かれていることも忘れてはいけないと思うよ
中国様から金印を賜ったのは自分たちの祖先だ
という事にしときたい
というねつ造なんて簡単に行うと考えるべき
445:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:22:16.95 GX7ddzUA0.net
>>425
ついでに言うと朝廷内の文献は火事で焼失したけど
実際には文字はその頃には発達していろいろな豪族の中には文献を朝廷ほどではないけど保有していた
朝廷の運よく焼けなかった文献とそれら豪族の文献を元に今の記紀は制作されているよ
446:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:23:53.75 GX7ddzUA0.net
>>429
記紀は日本の歴史書の再現だからね
しかも他の豪族などの文献なども参考にしている
447:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:23:59.17 aoaEVH6J0.net
>>428
吉野ケ里以前から邪馬台国論争というのはありましてね
448:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:26:53.92 GX7ddzUA0.net
>>427
いやいや十分に可能だよ
むしろ記紀を軸に日本の歴史を考えるのが妥当
該当する部分はたくさんあるから
但し魏志倭人伝の方位や距離はマジで無視するのがいい
これは神功皇后の右腕の武内宿禰の軍略だから
449:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:27:45.47 aoaEVH6J0.net
記紀については継体以降はそこそこ正しい感じかなって感じかなあ。
まあ、それ以降でも怪しいところはあるけど。
450:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:29:28.79 GX7ddzUA0.net
>>433
地図は当時の日本の軍事機密だから
武内宿禰がそんなものを簡単に中国に渡すわけがない
三韓征伐を成し遂げた軍師はそんなに間抜けではない
451:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:30:33.09 a2sRmzkG0.net
>>431
だからこそ、
その当時の為政者、豪族に都合がいいように書かれていると考えるべき
452:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:30:47.98 uSyY3nYL0.net
>>424
魏志倭人伝の元ソースがどういうものなのか?って点をもう少し考えるといいかも。
①洛陽の公文書・・・一番正確でアテになる
②帯方郡にあった出張報告・・・やや微妙
③もっと古い文献の伝説や寓話(山海経など出典がわかってるものもある)
公文書部分はきっちり区分けできるので良いけど
他の分は玉石混交過ぎてアテにならない。
数字を盛ったというのも実態がわからなくなって困るし
本当に魏の使者が倭国にわたって各地を見てまわったのかどうかも不明
453:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:32:57.80 a2sRmzkG0.net
>>437
元ソースがなんであれ、
方角を間違えるのかね?
って事
畿内にたどり着きたいのに
東や南にしか進まない記述というのはおかしいだろ?
454:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:33:03.96 GX7ddzUA0.net
>>1
日本の天才軍師の武内宿禰は三韓征伐を行った軍師
この武内宿禰に今の日本人の子孫さえも騙されていると言うわけだ
魏使者の張政の地図がデタラメなのも武内の戦略で実際には日本人は文字も持っていたし軍馬も保有していた
455:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:35:14.62 uSyY3nYL0.net
>>438
当時「間違えた」のではなく、もっと過去の伝承が「間違ってた」であって
陳寿はそれを裏取りせずに転記したというだけの事だよ。
三国時代、西晋の時代に生きていた陳寿にしてみれば
距離だって「間違ってる」んだからね?
456:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:37:21.36 a2sRmzkG0.net
>>440
過去の伝承が間違ってたと決めつけるのもおかしいだろ
なんで間違ってたと決めつけられるんだ?
457:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:41:39.29 ubGehb2T0.net
まぁ
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「倭奴國」「倭國」「光武賜以印綬」の記述と、その記述の印綬が出土したことや
後漢の系統の鏡が多く出土していることから
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や
佐賀の吉野ヶ里遺跡は
『後漢書』に書かれている、「邪馬台国」より50年から100年前の「倭奴國」(日本の記紀だと「筑紫城」)の遺跡
と考えるのが自然だわな
458:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:43:01.67 uSyY3nYL0.net
>>441
明らかにおかしい山海経からの転載なんてかもあるからだよ。
>>349に3つの例を挙げたけど、うち二つは山海経からのパクリ
あと一つははっきりしないけど、現実的にあり得ないことくらいはわかる。
間違ったことを混ぜてしまった文書から、正しい部分だけ抜き出せってのは
他の当時の文献を大量に集めて答え合わせする以外に方法がない。
そして現代人にはもう既に文献が失われてしまって答え合わせはできない。
分離できない以上、アテにする方が間違い。
459:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:43:18.28 N8OX3Fq+0.net
>>394
>欠史八代は神武天皇の後の事
>神代は神武天皇の祖先だよ
記紀の順番ではそうなってるんだけど、その順番が正しいのならばなぜ国譲りされてるはずなのに神武はすんなり畿内入りができず、
あれほど苦しんだのかって事。 またなんとか畿内入りした時になぜそこには出雲系の勢力が満ち溢れていたのかって事。
460:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:45:58.70 uSyY3nYL0.net
>>442
肝心の後漢書が後の時代の三国志より後に編纂されて
魏志倭人伝からの転記が混ざってるんだけどね。
後、後漢書には倭奴国は倭国の南端にあるとも書いてある。
福岡県は倭国の南端にあったのか?
中国正史を信じるなら志賀島の金印は矛盾してるか
後世に移動したってことになる。
461:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:48:10.39 a2sRmzkG0.net
>>443
よく知らんけど山海経に方角が書いてあったの?
>間違ったことを混ぜてしまった文書から、正しい部分だけ抜き出せってのは
そうなると、
朝鮮半島から九州に上陸した後に西に向かった可能性もあるわな
邪馬台国朝鮮説か
462:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:55:21.67 uSyY3nYL0.net
>>446
山海経には倭国内の詳しいことは書いてないよ。
扶桑国とか小人国とかおとぎ話みたいな内容。
轆轤首も出てくるし、神話伝承の生き物も出てくる。
陳寿はそんなおとぎ話を魏志倭人伝に混ぜてしまってるし
他にも正確性に難のある伝承を混ぜてしまってる可能性が高い。
中国正史は全体的にアテにできないと思った方が無難。
魏志倭人伝に書いてることを全部正しいと思うのは100%間違ってる。
463:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 14:58:35.16 a2sRmzkG0.net
>>447
>可能性が高い。
あぁ、可能性ならどんなことでも言えるわな
>魏志倭人伝に書いてることを全部正しいと思うのは100%間違ってる。
全部正しいと言ってる人はまず存在しないだろうけどな
ただ、
東や南にしか進まないのに、北上しないとたどり着けない畿内はありえない
464:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:02:18.53 GX7ddzUA0.net
>>444
ちゃんと日本書紀を読もうな
神武天皇と対峙し戦った長髄彦は神武天皇の親族の饒速日尊に仕えていた
しかし長髄彦は勘違いして神武天皇の軍に襲い掛かり神武天皇の兄を矢で射ってその傷がもとで死んだ
そしてBC660年に即位
出雲の時代はさらに過去だし中身も実は複雑なので省略
GHQが主張していた歴史が日本の歴史ではない
465:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:03:25.75 6caH2jcm0.net
URLリンク(ameblo.jp)
空白の4世紀
466:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:06:12.75 1lCV4sdQ0.net
楽浪帯方の在った、313年以前に三韓征伐なんて無い。
卑弥呼を神功皇后に仕立てるとか、万世一系の歴史捏造なんて無理。
魏が制圧した馬韓、辰韓はともかく弁韓=加羅、任那は日本側の進駐地域である。
350年以降の百済新羅成立は、
楽浪帯方を追った楽浪帯方より北の民族、
高句麗が、中華貴族の幽州刺史、楽浪候となり、
半島南部に侵攻するのを
背後の日本の援軍と競合し押し返すことで成立している。
広開土王碑にもある、
この歴史が無ければ、日本に高句麗馬は移入できていない。
百済新羅の歴史は、七支刀や人質の日本への献上だが
これは征伐ではなく、対高句麗防衛に対する属国の朝貢。
これは南朝との、400~500年の倭の五王による、
高句麗交戦権や半島利権の交渉でも明らか。
半島古代史で、高麗は韓民族ではなく北方からの侵略国である。
韓は、百済の白村江と新羅の高麗、モンゴル帝国で、完全に滅びている。
現代史では、大日本帝国が、既に無いw 大韓帝国の復興を試みた。
467:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:09:05.10 6caH2jcm0.net
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫
倭國之極南界也 光武賜以印綬←
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
468:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:09:39.48 Wi/nov/s0.net
邪馬台国は、もう1ミリも畿内に勝ち目はない。
日本の学者が畿内って言ってるだけw
本場の学者も天文学もDMAも九州1択w
469:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:15:03.73 6caH2jcm0.net
新羅に纏足って伝わったのかな?
宦官は伝わったらしいけど。
こういう事言うと日本人もちんちん切除してたんだ!
とか言う人が現れるw
470:高篠念仏衆さん
20/10/21 15:17:48.23 6caH2jcm0.net
そこまでの、支配して魅力ある国だとは
思えないんだけど。
🇯🇵弥生時代の日本w
471:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:18:11.78 VIZ/NQo00.net
>>389
三韓討伐なんて日本の虚言だから
広開土王碑が知られてる今ではバレバレ
472:ニューノーマルの名無しさん
20/10/21 15:19:43.76 uSyY3nYL0.net
>>448
洛陽の公文書部分以外が正しいという証明もできないんだよ。
本当に国が30もあったのか、一大率はいたのかも正しい事が証明できない。
卑弥呼に弟がいて�