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- 暇つぶし2ch960:上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、奥羽に4万人の第三次胆沢征討軍を差し向け(2月)、 田村麻呂が「夷賊を討伏せり」という将軍奏を発した(9月下旬)年である(翌802年、アテルイ率いるエミシ軍は降伏)。 エミシ征討のため、桓武が田村麻呂を初めて征夷大将軍に任命したのが797年。 その翌(798)年3月の太政官符で、朝廷は出雲国造の政治的権力を完全に奪い(出雲国造の意宇郡大領兼務の禁止)、出雲の「国譲り」を完成させる。 こうして800年前後、出雲では「国譲り」が完成され、奥羽ではアテルイが敗れて大和の版図が広がり、そしてハヤトは(一旦)消滅した。 だがそれは逆にいえば、記紀の完成後80~90年の間は、「服ろわぬ者」出雲、エミシ、クマソ(ハヤト)は、記紀が暗示する勢力を、まだ残存させていたともいえるのである。 明治時代、大和民族が創造された時、出雲、蝦夷、熊襲が「服ろわぬ者」としてそれに含まれ得ない民族として構想されたのは、 記紀に基づくネーションビルディングが齎した必然の結果だったといえよう。




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