暇つぶし2chat NEWSPLUS
- 暇つぶし2ch959:ニューノーマルの名無しさん
20/10/19 12:11:32.37 Mdvcorb20.net
クマソは、明治以降の国史教育の中で、大和の英雄に「征伐」された「蛮族」と教えられ、毛むくじゃらのクマソ像が、教科書や「日本神話」の絵本を通して広まった。
「熊襲の地」とされた熊本県球磨郡免田町で1990年代前半に沸き起こったのが、クマソ復権運動だった。
自らをマジョリティの側に置いて他者(マイノリティ)を見下す人々の意識にある。戦後、皇国史観は緩んだものの、
高度経済成長が作り出した列島内部の格差は、中央(太平洋ベルト地帯)の優越(感)と地方の劣等感を一層増幅させる。
1960年代、四大工業地帯(東京・名古屋・大阪・北九州)を連ねるベルト地帯を工業立地の中心にする政策を、
社会党が「東北、裏日本、南九州が一層とり残される」と批判したというが、ここで(国家から)見捨てられたのが、
古代ヤマト勢力に「まつろわぬ人々」とされたエミシ、出雲、クマソの地であったのは、単なる偶然とも思えない。
古墳時代、南九州で特徴的なのは、固有の地下式板石積石室墓で、4世紀後半から7世紀後半にわたって築造されているが、
高塚古墳の分布との重なりはほとんどない。それは、ヤマト王権の勢力が及んでいないことを意味する。
考古学的には、こうした観点から、熊本県の球磨川流域と宮崎県の一ツ瀬川流域を結んだ線から南側がクマソの勢力圏であったといわれる。
永山修一は、ハヤトの朝貢の終了で、南九州人が「隼人」と呼ばれなくなり、「9世紀初頭、南九州の隼人は消滅する」と述べている。
801年といえば、桓武天皇が坂



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