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>>782
1443年に朝鮮王朝側の使節として京都に赴いたことが
あり、その後、彼の死期が近づいたとき、当時の王であった
成宗が「何か言いのこすことはあるか」と尋ねた。
このとき、申叔舟は「わが国が日本との平和関係を失うことが
ないようにしてください」と言った。
その言葉をしっかり受けとめた成宗は、早速、日本との友好関係
の修復に努めようとした。
だが、派遣された通信使たちは、対馬海峡の風浪の激しさに驚き、
対馬にたどり着いたものの、すぐに引き返してしまった。なんとも
情けない有様であった。それ以来、朝鮮王朝は使節を日本に送らず、
日本からやってくる使節に対応するだけになってしまった。
『海東諸国紀』 申叔舟