【研究】地方別に見た縄文人の遺伝的影響は? 高めなのは九州と東北、低めな近畿と四国は中国・北京の漢民族に遺伝的に近い ★3 [樽悶★]at NEWSPLUS
【研究】地方別に見た縄文人の遺伝的影響は? 高めなのは九州と東北、低めな近畿と四国は中国・北京の漢民族に遺伝的に近い ★3 [樽悶★] - 暇つぶし2ch437:" class="reply_link">>>361 宮の本遺跡で出土したイモガイ製の腕輪。女性が身につけていた(佐世保市教委提供) https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_001.jpg 宮の本遺跡 https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_002.jpg 筋骨隆々の弥生人の集団が西北九州にいた-。佐世保市・高島の「宮の本遺跡」 でこの夏、 上腕骨が一般的な弥生人よりも一回り太い、約2千年前の人骨が出土した。人類学者によると、西北九州の離島で見つかった 弥生人骨には、こうした特徴があるという。「弥生文化=農耕社会」と思われがちだが、高島の弥生人は異なる暮らしをして いたようだ。 高島は九十九島の一つで、本土の相浦港から海上タクシーに20分ほど揺られて渡る。その先には世界文化遺産の黒島天主堂 で有名な黒島が浮かぶ。 遺跡の発掘調査は昭和50年代に行われ、弥生時代の墓地で人骨約40体が出土した。 市教育委員会は2016年から範囲 を広げて調査を再開。今年8月、箱式石棺墓2基から男女各1体の人骨を取り出した。 スポーツ選手の骨が太いように、高島の弥生人も何らかの“運動”をしていたのか。日本人の起源を探っている 海部さんは、弥生時代に始まったとされる「貝の交易」に着目する。 その手掛かりが、宮の本遺跡で1978年に出土したイモガイ製の腕輪。女性の人骨が身につけていたもので、 イモガイは沖縄近海でしか採れない。弥生時代、北部九州の有力者は南海産の貝を珍重したため、 高島は交易の中継地だった可能性がある。高島の弥生人が船で貝を運んでいた、と海部さんは考えているのだ。 西北九州の弥生人が南海へ渡った足跡は見つかっている。西北九州特有の墓制が沖縄で確認され、縄文時代 晩期の佐賀・腰岳産の黒曜石が沖縄で大量出土したとの報告もある。熊本大の木下尚子教授(考古学)は「西北 九州沿岸の全ての弥生人が交易したとは言えないが、福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな海人の世界が あった」と推測。その行動様式は縄文時代から続いている、とも指摘する。




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