20/09/24 15:55:16.21 V9CN6ekz0.net
自由で平和な世の中では、
だれかのように、
間違っていることや他人を不幸にすることでも、自分に都合が良ければ、
ちゅうちょなくそれを選択実行し、利己を追及するエゴイストが現れる。
そのちゅうちょなくエゴイストになる姿が、無知な人々には、リーダーシップや勇敢さかのように映る。
それを利用して彼らエゴイストは自分が本物の人物であるかのように大きな声で語りだし、上に立ちたがる。
こうして世界が歪みだすと、世界は互いに傷つけあい、痛みに覆われる。
なぜ世の中は悪くなるのか
複雑性が増してはっきり言えない環境では、
一言では瞬時に反論しがたい論理(モラハラなど)で自分にとって都合のいい流れをつくりだすエゴイストが台頭する。
世のため人のためと言ってナチュラルにエゴを追及して自分の既得権を作り上げる。維新みたいな。
世の中はお前がヒーローになるための道具ではない。
竹中が吹聴してすすめた「グローバル社会となるので個人主義で、実力主義、結果は自己責任」というのは、
あれは格差拡大してでも金儲けが正義のアメリカの論理であり、
人としてのやさしさを欠いた拝金主義者が台頭する社会をおしすすめる結果となった。
既得権の撤廃だと叫ぶやつらは、新たな既得権を得る側となり、
「これは実力主義の結果。君が得られなくても自己責任だ」と他者を傷つけ、
競合相手(究極的には自分以外の他者)は敵対関係となる社会をつくった。
そこに前記のようなナチュラルエゴイストが合わさり社会はより腐敗する。
庶民も無知なので、そういう時代なのかと思いこまされ、恐怖や恥をおそれて賛成してしまう。
こうして拝金主義の価値観でマウントをとる愚か者が蔓延。
多くの人が敗北主義者になったり、自己責任の結果だと言いだすサディストとなりはてた。
いつの時代もどこの国でも悪がトップにいる。
悪は常に栄えており、その悪が変わるのは次の悪によってのみだ。
聖はすべての方法はつかえない躊躇があり、そのハンディをおうためトップにはなるのは難しい。かつのは悪だ。
かといってすべての悪が強いわけじゃない。
他人に見えないように利己を働く悪のうち、タイミングが良かったり悪だとばれずに運がよかった者だけが実力のある聖なる者よりトップの成果を得る。
悪は他人を省みずに自分に集中するので、他人を省みるやさしい人より躊躇がなく成果を出しやすい。
この構造的普遍性があるので、成果主義では必ず悪が助長される。
そういう悪は、自分が安泰になってくるとしだいに成功者づら、善人づらしだす。
だが悪がいい人になる理由は、そうしたほうが自分の利になるときだけだ。
この世は悪がトップになるからといって悪がこの時間の主人公なわけではない。
悪は聖が成長するために負荷として存在しているものであり、たとえトップになろうとこの時間の主人公ではない。
この時間は聖の物語。
悪を負荷として聖の意思が成長していることこそがメインストーリーであり、この時間が生まれている価値なのだよ。