20/09/13 21:02:54.16 hISnBtrr0.net
父親はイチゴ栽培で成功し、組合長を長くつとめた町の名士。
イチゴを中心とした農業での収入は、どんなに低く見積もっても普通の
サラリーマンの二倍。
これに町会議員としての収入が加わる。
まあ、年収は普通の三倍は堅い。
となると、菅さんはお坊ちゃまといっていいくらいの育ち。
姉二人は国立北海道教育大。
たぶん管氏の父親は教育パパ。しかもやたら官学を有り難がるタイプだった。
昔はよくいたんだ、官学がよくて私学は屑という考えの親父。
しかし、菅氏は数学が駄目だったんだろう多分。
それで親の期待(東北大、秋田大へ行けとか)に添えなかった。
もしかして秋田大とか受験して落ちたんじゃないか。
私学なんかなら学費は出さんからな、などと官学入学を無理強いする親父
に反発して、家を飛び出す形で東京で就職。
学費ぐらい自分で稼いでやる、と働きながら夜受験勉強して早稲田を目指した。
しかし全然成績は上がらない。
仕事は一年ちょっとでやめ、受験一本にしてようやく法政に合格。
会社辞めたあとの浪人生活では親の援助受けたのは当然である。
結局、官学受験を強いる親父から逃れて私学に入るのに、いったんは就職という形で
反撃するしかなかったんじゃないか。
「いいのかい、俺はこのまま会社員で働くから。大学行かないから。
そのつもりでいてね。」と言われた父親は、まあそう言うな、私立でもいいから行けや、と
答えるしかないのであった。