20/09/12 22:35:10.47 JXGB/zuO0.net
>>740
乍併、邪は正に勝つべくもない。
彼れ米国の如何なる恫喝も術策も、吾等はビクともする者ではない。
満洲事變を契機として、湃然として日本精神は蘇った。
昭和の四、五年迄の、米国の魔手も漸次我が國内から拂拭せられ、デモクラシーも、日一日と其の影を消して行った。
蒋の態度は益々抗日的となったのも其の背後には英米の使嗾と尻押しがあった爲めに外ならぬ。
是れが昂じて遂に昭和12年7月7日の盧溝橋事件の勃發となり、支那事變の發端となった。
・・・支那事變を解決せんが爲めには、所詮蒋の背後の英米を除かねばならぬことは、心ある者の常識で・・・
支那事變勃發以来の米英の態度は如何、今更歴史として叙述する迄もないが、一言にして盡せば、
日本恫喝、日本軍作戰の妨害、莫大なる武力と財力とを以てする援蒋、竝に精神的援蒋であり、其の事例は枚擧するに遑はない。
併し我が方は忍べるだけは、忍んだ。
越えて昭和14年頃になると、歐洲の天地の風雲は漸く急を告げ、其の年遂に歐洲戰爭となった。
米国は時到れりと、愈々露骨に援蒋を策し、日本彈壓の手を更に强めるやうになった。
併し吾等は、米国の恫喝など恐るるものではない。又別に好んで平和を害しようとするものでもない。
非禮極まる彼の恫喝脅迫外交に對しても事理を盡して其の反省を求めたが、彼れは附上る計りであった。