20/09/12 22:33:00.97 JXGB/zuO0.net
>>724
(四) 米國の對日政策(第二期)
日露戰爭後は、米国の對日態度や對日政策は全く一變した。
明治39年頃から米国加州方面の排日熱が著しく高まった、そして日本學童の排斥と云ふ敎學上の差別待遇を始めた。
元来排日の原因には色々あったと傳へられて居るが、日本人恐るべしと云ふ疑心暗鬼もあったであらうし、
日本人を抑へ付けねばならぬと云ふ政策観もあったであらう、日露戰爭後日本が、米国の頤使に甘んぜないと云ふ腹癒せもあったであらう。
兎に角、彼れ米人の本性を現はして来た。
明治42年になると、米国政府は突如として在満日露鐵道の中立提議を出した。
併し日本も露国も斯かる傍若無人の非禮決議を一蹴した。
そして、之に依り却て日露の間が接近すると云ふ皮肉な結果を来たし、米国は頗ぶる男を下げた、けれども、
彼れ米国としては、爾後の呍ひ懸りを作り又、對内外的に排日熱を作らんとする底意もあったと思ふ。
殊に支那に對し歡心を得ようとすることをも心にあったとも考へられる。
明治時代の末期には、彼れ米国は鐵道敷設や銀行業に關し満洲に割込みを策すると共に、
引續き本国に於ける排日熱を昂めつつ、一方依然として、日本内部に對する日本精神文化破壊策の手を益々强めて来た。