20/09/11 15:33:42.74 kTaq4rrp0.net
>>162
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、
OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を
紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。
以後11年にわたり秘書を務めた[8][要出典]。
1983年、小此木の通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官を務める[17]。
1987年、神奈川県の横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選。
その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、
当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として、秘書時代に
培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、高秀秀信市長から人事案などの
相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれた[8]。