【稀代の愚将】「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に…【75年目の夏】★2 [ブルーベリーフラペチーノうどん★]at NEWSPLUS
【稀代の愚将】「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に…【75年目の夏】★2 [ブルーベリーフラペチーノうどん★] - 暇つぶし2ch1:ブルーベリーフラペチーノうどん ★
20/08/15 23:06:03 RfJxgR7N9.net
#1前スレ1の続き
#2
「えらいとこへきましたわ」
「気をつけろ。谷は深いからな」

 霧がなくなると、林のなかを走っていた。深い、長い密林の道であった。前方に赤いガラス玉のようなものが光った。

「なんだ、あれは」

 光は道を横切って動いた。前照灯の光のなかから、大きな動物のうしろ半身が消え去った。瞬間であったが、黄色の長い毛なみと、黒いしまと、ふとい尾が目に残った。

「虎じゃないですか」
「山猫だろう」
「まともに出あったら、一コロにやられますね」
「うん、大きかったな」
「えらいとこへきましたわ」
「よわねをはくな。貴様、出発の時は調子のいいことをいってたぞ。インパールへ、インパールへ、アラカン越えて我は行くなり、とかいって」
「いやあ、いまだって愉快ですよ。よくぞ、男に生まれけり、といったとこですよ」小山副官は童顔に笑いを浮かべた。
「しかし、大移動だったな」
「インパールへ行け、といわれて出発したのが端午の節句ですから、10日間で600キロ以上走りました」
「ビルマの東から西へ、ジグザグに横断したんだからな」

瀬古大隊は第15師団の歩兵第67連隊の第1大隊であった。昭和19年3月、インパール作戦が開始された当時は、瀬古大隊はこの作戦に参加していなかった。瀬古大隊はビルマの東部、シーポー地区の防衛司令官の指揮下におかれて、警備にあたっていた。シーポー地区は中華民国(当時)雲南省との国境に近く、中国軍が侵入しようとしていた。

 瀬古大隊は歩兵第67連隊から分離されていたし、第67連隊もまた、直属の第15師団から分割されていた。この連隊はインパール作戦のはじまる前には、タイ駐屯ぐん軍の指揮下にはいり、タイ国からビルマへの道路構築に使われていた。

 インパール作戦がはじまることになって、連隊主力は師団を追及中、降下した英軍空挺部隊の攻撃にふりむけられた。

以下省略 全文はソースで

▽次のページ瀬古大隊につきまとう不運の影
▽なかなか陥落しないインパール
▽「あと、ひと押しでインパールも陥落というところだ」
▽直轄となれば軍司令部とともに入城する光栄を与えられることが予想された
▽瀬古大尉が死を覚悟しているように感じた
▽「いよいよインドにはいったぞ」
▽将校は軍刀を地面につき立て、肩をいからして...
▽「急に更迭になったらしいな」「この作戦の最中にですか」
▽牟田口軍司令官は猪突猛進の豪傑が必要であると考えた
▽突然、東方の山のなかから重機関銃の音がひびいた

#3へ続く

以上

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★1の立った時間 2020-08-15 21:40

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