20/07/18 20:33:58.67 W5L6KHPs0.net
>>368
16世紀にウラル山脈を越えてシベリアに進出したロシアは、
当時ヨーロッパ市場で高価に取引きされていた毛皮を求めて東進しました。
そして、1697年(元禄10年)、カムチャッカまでのびたロシアの勢力は、千島列島にまでおよびはじめました。
1711年(正徳元年)、コサックの反乱兵2名が、小さな革舟で、シュムシュ島とパラムシル島に渡り
抵抗するクリル人を征服したというのが、ロシア人が千島列島に渡った最初であるとされています。
それ以後、ロシアは、1724年(享保9年)から9年間にわたる東方大探検で、
アジア、アメリカ西大陸の関係をみきわめ、日本、中国、インドとの航路を開こうとして、日本沿岸の探検も計画していました。
1725年(享保10年)、ベーリング探検隊のスパンベルグが、千島列島にそって探検をしましたが、
その結果、千島列島が、ラッコ、オットセイなど海獣の宝庫であることがわかりました。
18世紀には、ロシアの南下する勢力は千島列島におよび、島々の名をロシア名にしたり、
アイヌの人たちに税として毛皮を納めさせたりしました。
このため、アイヌの人たちの生活は苦しくなり、ロシアに対する反抗がくりかえされました。 ://www.hoppou.gr.jp/highschool.pdf