20/07/18 20:31:28.01 W5L6KHPs0.net
>>345
中心は根室に近い厚岸あっけしでしたが、千島列島の島々との交易がしだいに発展するにつれて、
1701年には、キリタップ(霧多布)に、やがては根室のノツカマップに場所(交易地)がおかれ、
1754年国後場所が開かれました。
日本の北の島々が、世界の人々の関心を集めだしたのは、
マルコポーロの「東方見聞録」に書かれている金銀島のことなどが、そのきっかけであるといわれています。
この金銀島の発見のため、オランダ、スペインなどが日本の北方海域の探検に力を入れました。
そのなかでオランダのド・フリースを司令官とする探検隊は、
1643 年(寛永20年)に、濃霧のなかで択捉島を確認し、スターテランド(国家島)と名づけ、
ウルップ島に上陸して、「連合東インド会社」と書いた木の十字架を立て、コンパニースランド(会社島)と命名しました。
このように択捉島とウルップ島を最初に訪れた外国人はオランダ人でしたが、その探検は、
ウルップ島をアメリカ大陸の一部であると誤認するなど不完全なものでしたし、その後、オランダは領土権の主張をしませんでした